第10話 婚約話を壊す方法を考えました
しかし「よほどのこと」の程度も考えなければならない。
私に対して嫌悪感が勝ったら、婚約はお断りしてくれるだろうけど、お金の問題は残る。
地道に返せる額ならいいのだけれど……払えるかしら?
婚姻を代償にしたのなら、それ相応の金額だと思うのよ。
不安になった私は、とりあえず質に入れる品を紙に書き出してみた。
お父様の宝石がついた杖とか、お父様の部屋にいくつかある壺とか、大事にしている絵画。
おばあ様から譲り受けた宝石も、お値段が高いものは売り払おう。孫が生理的に無理な相手と結婚するよりはと、亡きおばあ様もご理解くださる……はず。
それで足りなければ、この王都の館を売り払ってもいい。領地に引っ込めばそうそう必要ないのだし。もし王宮に呼ばれるようなことがあったら、どこか小さな館を借りるしかない。
「これで領地の収入の五分の二ぐらいにはなるかしら」
返済が必要な場合、これだけあれば残りを猶予してもらう交渉もできるはず。
ちょっと肩の荷が下りた気分になった。
「あとは、あまり大げさにならない場で、伯爵に嫌われなくては」
そんなことを考えていた私だけど、その三日後、お父様とともに、マルグレット伯爵の家を訪問することになった。
「チャンスだわ……」
先方の家に訪問して『やらかす』分には、他の貴族に私の粗相が知られる可能性は低くなる。
マルグレット伯爵も私を嫌うだろうけれど、とんでもないことをされたと吹聴しても、普段大人しい淑女らしくしている私と落差がある状況であればあるほど、否定しやすい。
……その噂を流すにあたっては、エリスやお友達に救援要請をしましょう。一人では無理だわ。サロンの皆様にも、同情をいただければなおいい。
次に、マルグレット伯爵に何をするかを考えましょう。
なるべくうっかりと失礼なことをしたい。
想像した私が、ふと思い出したのは、先日、私に失礼なことばかりしてきたシャーロットのことだ。
私もお茶をかけてみようかしら?
でもあの方高齢だから、熱湯がかかったショックで心臓が止まりそう……。水を頼んで、足がもつれたふりをしてコップごと投げつけた方がいいかも?
他にもいくつか考えたところで、マルグレット伯爵邸へ到着した。
マルグレット伯爵の館は、王都の中でも権門の貴族家の館が並ぶ一角にある。
王都内の館なので、通常、それほど庭を広く作ることはできない。でも古くからある家などは、王宮に近い場所だというのに広い敷地を確保して、馬車で一周するにも少し時間がかかるほどの庭を持っている。
マルグレット伯爵邸もそんな館の一つだった。
ちなみにサロンを開いているレンルード伯爵夫人の館も、マルグレット伯爵邸の近くにあって、畑や花壇をいくつも作れる広さがあるのだ。
マルグレット伯爵の館へ、鉄柵の門から中に入った私は、庭の広さを眺めつつ、畑が作れたらあれもこれも作れるのに……と思ってしまう。
館の前に馬車が到着し、お父様の手を借りて降りると、すでに待機していた家令らしい人物と召使い達が一礼してきた。
「いらっしゃいませ、フォーセル子爵様、リヴィア様。主がお待ちしております」
招き入れられて、私とお父様は館の中へ。
マルグレット伯爵の館の内装は、外観と同じく重厚な雰囲気の落ち着いたものだった。さすが王都に広い館を構えられるだけの、古い家柄らしいものだ。
成金趣味だったり、理解できない前衛的な色や調度で埋め尽くされた家ではなくて、私はほっとした。
いや、むしろおかしな趣味だったほうが良かったのか、とそこで思い直す。
マルグレット伯爵の趣味が悪ければ、さすがのお父様も結婚話をためらいを感じたでしょうに。
悔しく思いながら、私はお父様と一緒に館の居室へ案内される。
広々とした居室は、暗いえんじ色の壁紙のセンスのいい内装だった。
お茶ができるテーブルと椅子が奥の窓際に、その手前に数人ずつ座れるソファが向かい合わせに設置されている。
マルグレット伯爵はソファの前で待ち構えていた。
「今日の到着を待っていましたよ、フォーセル子爵。そしてリヴィア嬢」
伯爵の視線が私に向いた瞬間、ぞわっとした。会わない間にも、私の中の嫌悪感が醸成されていたみたい。
「ありがとうございます」
お父様が応じ、伯爵ともども三人でソファーに座る。
「それにしても、この度のお話を受けてくださってありがとうございます」
「約束ですからな。私としても、後妻が決まってよかったと思っていますよ、子爵」
お父様がにこやかに言うが、伯爵は笑みを浮かべもしない。
なぜだろう。自分から婚姻を借金の形にと申し出たわけではないから? やっぱりお父様の方から、結婚で借金の代わりにしてくださいと頼んだのかしら。
ついじっとりとお父様を横目で見てしまうが、今はそんなことをしている場合じゃない。
話の流れ的に、もう今日のうちに婚約の取り決めをしてしまう気のようだ。
と思ったら、マルグレット伯爵が側にいた従僕に指示して、一枚の紙を持ってこさせた。
「先に婚姻契約書を取り寄せておきましたよ。私の方は記入済みなので」
「さすがですマルグレット伯爵。ご配慮感謝いたします」
それどころか、婚姻契約書を書かされる!? これは阻止しないと!
おろおろと視線をさまよわせた末に、私は召使がお茶を運んで来たのを見て、もうこれしかないと決意。
お茶が卓上に並べられた後、机の上に厚い保存に適した羊皮紙の婚姻契約書が置かれた瞬間に、私はカップを手にした。
「それではリヴィア、署名を……」
「きゃっ」
「うおっ!?」
わざとらしく声を上げ、私はカップを手から滑り落とした。
盛大に紅茶が卓上にぶち撒けられる。
カップも落ち、お父様が驚いて声を上げながら立ち上がった。
そしてお茶はしっかりと、婚姻契約書を茶色に染めていく。
「あらいけない!」
私は急いでハンカチを取り出し、
「おい!」
マルグレット伯爵が止めるのも聞かずに、契約書をこするようにして、書かれていた文字をにじませて台無しにした。
よし、上手くいったわ!
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