第9話 お父様、原因は何ですか?
翌日、しっかりと眠ってから目覚めた私は、朝の身支度をしながらマルグレット伯爵に婚約を取り下げてもらう方法を考え始めた。
「私の評判を落とす方法……。穏便に……、なるべく穏便には……無理かしら」
いや、まだ大丈夫なはずだ。
ちょっとダンスを踊っただけだもの。お父様と伯爵の関係上、私がお義理で誘ってもらったと言い訳ができるはず。多少、何かあったんだろうとは思われるだろうけど。
一番いいのは、表面上は何事もなかったと見せかけて、伯爵だけにお断りの申し出をしてもらうこと。
すると、やはり先方に伺うなどした時に、とんでもないことをやらかすべきだろう。
「何をしたら嫌ってくれるかしら。花瓶を壊す? 弁償額が怖いわね……。あの方がかつらをかぶっていたら、それを取ってしまえば激怒してくれるだろうし、二度と私と関わりたくないと思ってもらえそうなんだけれど」
「あらお嬢様。婚約のお話を破談になさりたいのですか?」
ぶつぶつつぶやいていたら、着替えを手伝った後で髪を結ってくれていた召使いのイロナが尋ねてきた。
まだ私、寝ぼけていたみたい。口からだだもれとか、うっかりしすぎたわ。
「……お父様には内緒にしてもらいたいのだけど」
「よろしゅうございます。あたしは何も耳にしなかったことにしましょう。いつものことですものね」
微笑むイロナはもう40代。私が物心つく前から勤めているので、気やすい間柄だ。
「まぁ、あたしよりも年上のおじいさんに嫁ぐらしいと聞いて、お嬢様のことを心配はしていたんですよ。いくら婚約がダメになったり、他のお話がうまく進まないからって、旦那様もひどいことをなさると思っておりましたよ」
渋い表情でイロナが言う。
「でもいつもの旦那様でしたら、そこまでなさることはないんですがねぇ……」
「そうなのよね」
お姉様二人の嘘に、ころっと騙されてしまうようなお父様だ。
それに、いつもなら私に結婚相手を見つけて来いと言った以上、パーティーシーズンが終わるまでの間は、待ってくれたはず。私もそのつもりでいた。
なのに強引に婚約をまとめてしまうなんて、お父様らしくない。
「誰か、入れ知恵をしたとか……」
「案外、お相手の伯爵から借金をなさっているとか?」
イロナの言葉に、私は目をまたたく。
「ありえなくはないけど……娘を売るほどの借金? フェリクスのところから、婚約の違約金をもらったはずなのに」
だから今現在のうちの財政は、それほど悪くない、と思っていたのだけど。
「御領地の運営のことはイロナにはさっぱりでございますよ、お嬢様。でも、そういったのっぴきらない理由でもないと、旦那様もここまでのことをなさるかどうか……と思うのですよ。はい、できました」
イロナは横髪を編んで結い、銀で作られた小花で飾ってくれていた。室内着ではあるけれど、深い青紫色のドレスによく合っている。
「ありがとうイロナ。……領地の収支かお父様のへそくりの額を確認するしかないかしら」
「もうお嬢様ったら。イロナはまた聞かなかったフリをいたしますよ」
イロナが苦笑いする。私、どうしてもイロナの前だと、考えてることを口にしてしまうみたい。
そんなイロナと一緒に私は朝食の席に向かい、まずはお父様に色々と尋ねることにした。
「ところでお父様。フェリクスの家からは、お約束した通りの違約金は支払っていただけたのでしょうか?」
「……お前が金のことを気にするとは珍しい。それに淑女は、家の財政のことをあからさまに尋ねるものでは……」
「まだなのですね。すぐには支払えないと、先方からお話があったのでしょうか」
話をそらそうとするので、私はずけずけと続けて聞いた。
「いや……。今月末にまとめて、という話だ」
「綺麗に始末がつくなら、良かったですわ」
私はいったん引き下がり、チーズを口に運んで、水を飲む。丸パンにはうすくジャムを塗り、ふわふわの食感を楽しみながら一個をたいらげた。
「…………」
お父様は、そんな私をちらちらと気にしつつ、サラダを口に運んでいる。
イロナの予想が大当たりしたようだ。
これは予定していた違約金が入らないことで、何かの資金繰りが上手く行っていないに違いない。それに私が関係していなければ、お父様もこちらの様子をうかがうような目を向けてはこないだろう。
ただ、これ以上は聞いても教えてはくれまい。
なので私は予定通り、収支の帳簿を見ることにした。
「お嬢様、旦那様が今この時に金策に苦慮するとしたら、おそらく帳簿には書いていない出費があって、隠しているのではないでしょうか」
お父様が出かけた後、私は家令のグスタフと一緒に帳簿を検証した。
お父様は忘れているみたいですが、私、帳簿の見方などは習っているのです。家令のグスタフから。
お姉さま方が家を継がないことは濃厚になった時に、教わった。
よそから迎えた夫に財政の全てを任せきりになるのも不安だからと、「帳簿の見方を、初歩的なものだけでも教わっておきたいんです」とお父様に申し上げて、グスタフから教えてもらうというお墨付きをもらっているの。
ただ、私は初歩的なもので済ます気はなかったし、グスタフもその頃婚約者として決まりかけていたフェリクスに、少々不安を感じていたらしい。
彼が、あまり乗り気ではない様子だったから、万が一の場合には、私に家の采配を全て握ってもらえたらと考えたのだ。
二人の利害が一致し、私はきちんと帳簿をつけられる程度まで、グスタフから手ほどきを受けていたのだ。
そのようなわけで、グスタフにお父様が借金の末に私をマルグレット伯爵と娶せようとしている話をしたところ、グスタフと一緒に帳簿を検証することになった。
しかし何も見つからない。
例年とほぼ同じくらいの金額が並ぶ帳簿と、ちょっと去年よりは少ないくらいの資産額を眺めて、私もグスタフと同じ結論に達する。
「お父様が帳簿をごまかしても、どうしようもないでしょうに……」
グスタフにさえ知られたくない出費があったのだろう。
「賭け事で大負けでもなさったのかしら」
「その辺りが最も怪しいでしょう」
私の予想にグスタフが同意してくれる。
パーティーなんかでは、男性達は男性だけで集まってゲームに興じたりすることもある。その時は女性達も女性だけでお茶やお菓子とおしゃべりを堪能しているのだけど。
だから賭け事をする場合もあると知っているけれど、現場を見ていないので、お父様がどの程度参加して、どれくらい負けているのかがわからないのだ。
そして以前、ちょっと帳簿をごまかして、お父様が負けを補填したこともある。
だからこそグスタフも、借金の線が濃厚だと思っているだろう。
「もしマルグレット伯爵に負けて、その負債をゼロにするために婚約を……なんて話だとしたら」
あちらからも、簡単には断ってくれないだろう。
そう……よほどのことをしなければ。
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