第36話 葵先生の告白
「こんなかっこう…大丈夫ですかね?」
ジーンズに紺のパーカー、緑のチェックのシャツが襟からのぞいている。淡いグレーのコートとお揃いの縁色の眼鏡をかけ、ニットの帽子をかぶった健は、どう見ても二十代にしか見えない。
「お似合いです。」
黒髪ロングのかつらをかぶった葵は、真剣な表情でアイメイクをしていた。
化粧を終え、葵は健の横に並ぶ。紫色のサテンのシャツに、黒のパンツ。格好自体はいつもと代わりはないが、髪型と化粧のせいで別人のようだった。
鏡でチェックし、男女のカップルに見えることを確認して微笑んだ。
「では、まいりましょう。」
葵は、健の手を取り指を絡めた。
「あの、…ここまでするんですか?」
女性と手をつないだのなんて、死んだ妻以来だったから、健は照れたように手をもちあげて見せた。
「もちろんです。今日は、カップルのふりをして、お嬢様達を尾行するんですから。そのための変装です。」
役得…ということでいいのかな?しかし、こんなに若くて綺麗な子と、四十を過ぎて手をつなぐなんて思ってもみなかったな。
支度をした清華が走って出て行くのを確認し、二人はタクシーで駅まで先回りをした。
駅につくと、清華達と一両離れた車両に乗って、二人を観察した。
「あれ?」
葵が、一人の男性に目を向ける。
「どうしました?」
健が言うと、葵は唇に人差し指をあて、座っていた席から立った。
健も引っ張られて立ち上がり、席を移動する。
「ここからだと、渉達が見えませんよ。」
「シッ!あそこにいる、スマホで写真撮ってる男の子、清華様のクラスメイトの高橋君です。」
葵は、ばれないように健の耳元に口を寄せ、囁くように喋った。
葵の吐息が直に健の耳に当たり、健は思わずウヒャッと叫んでしまう。
「すみません、耳弱いもんで。」
「そうなんですか?」
葵は、健の耳をジーッと見ると、その細い指で健の髪を耳にかけた。健はゾクゾクとして、おなかの芯がむず痒いような感覚を覚えた。
「耳、出てたほうがいいですね。」
葵は、わざと健の耳元で囁く。
「そうですか?」
健は真っ赤になりながら、耳を引っ張った。
はたから見たら、仲の良いカップルがイチャついているようにしか見えないから、カップルのふりとしては大成功だ。
葵には目的があった。
もちろん、一番は清華と渉を正式なカップルにすること。それだけなら、デートのお膳立てをすればいいわけだし、何より清華に告白でもさせれば、一発解決だ。
こんな手の込んだ変装をしてまで、清華達を尾行しているのは、ただたんに葵が健とデートしたかったのである。
葵のもう一つの目的、それは健に葵を女性として、恋愛対象として意識させることにあった。
「あ、彼も降りましたね。」
映画館のある駅で、高橋が降りたのを見て、葵達も慌てて降りる。どうやら、高橋も清華達をつけ始めた様子だ。
「なんだって彼までこそこそと、渉達の後をつけてるんでしょうね?」
「さあ?高橋君は清華お嬢様の熱烈なファンだからでしょうか?」
清華と渉の後を高橋がつけ、その後ろを健と葵がつける。
何やら奇妙なことになっていた。
映画館につくと、葵がチケットを買ってきた。しかも、席が清華達の斜め前だ。
高橋は、一番後ろの座席のど真ん中に席をとったようだった。
「こんなに近くてばれませんかね?」
「大丈夫、カップルらしく、私の肩に手を回してください。」
「失礼します。」
健が葵の肩に手を回すと、葵は健に抱きついてきた。
「く…くっつき過ぎじゃ…。」
「嫌ですか?」
「嫌じゃないです。でも、申し訳ないかなって。」
「誰にです?」
葵の手が、健の胸を撫でるように動く。
下から見上げるように健の目をじっと見た。
まさか、亡くなった奥様とか?
そう言われてしまえば、葵には勝ち目はなかった。
健は、久しぶりにムラムラ湧き起こる感情を押さえつけ、常識のある大人であろうと頑張った。
「葵さんの彼氏とかですよ。」
葵の手を握り、膝の上に戻した。
「彼氏なんておりません。…健さん、私の彼氏になって下さいませんか?」
「や…やだなあ、四十過ぎのおじさんをからかわないで下さい。本気にしちゃいますよ。」
「本気です!」
葵は、健のパーカーの紐を引っ張ると、健の唇に自分の唇を重ねた。
軽く唇を吸い、舌を健の口の中に押し入れる。
最初は硬直していた健だが、葵の肩に回していた手に力が入り、葵の舌に自分から舌をからませた。
しばらく熱烈なキスを交わし、葵は満足したように健の胸に顔を埋めた。
「本当に僕でいいんですか?」
「あなたがいいんです。」
健は、降参するしかなかった。
こんなに若くて綺麗な女子に迫られて、降参しない中年男はいないだろう。
「改めて、僕と付き合ってくれますか?」
「もちろんです。」
この辺りの思いきりの良さは、やはり年の功なんだろうか?渉にも見習わせたいところである。
「あれですね…。」
幸せのため、すっかり当初の目的を忘れて健に寄り添っていた葵に、健が真面目な顔で言った。
「何でしょうか?」
「渉の勘違いを、早く解かないといけませんね。」
「…?」
「僕達、ホモのカップルに思われてしまいますから。」
「そうですね。」
葵はクスクス笑い、健にキスをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます