第31話 葵先生の恋?

 とある日曜日、珍しく葵は休みをとらせてもらった。

 季節は秋というより既に冬であるが、珍しくポカポカ陽気で、コートを脱ぎたくなるような暖かさだった。


「お呼びだていたしまして申し訳ございません。」

 葵が頭を下げた相手は、渉の父親の健だった。

「とんでもない。いつも僕達の住まいまで掃除してもらって、お礼を言わなければならなかったのに、つい仕事にかまけてしまい申し訳ない。本当にありがとう。」

 健も頭を下げる。

「いえ、西園寺家の執事として、当然のことですから。」

「でも、掃除は執事の仕事じゃないだろ?」

「西園寺家にいらっしゃる皆様が快適にお住まいになられるように手配いたしますのが、執事の勤めにございますから。」

「なるほど…。でも、やっぱりありがとう。君のおかげで、仕事に専念することができるし、何より渉が電気のついた家に帰宅させてあげれるというのは、親としては本当に良かった。」

 二人で住んでいたときは、いつも渉が先に帰って夕飯の準備をし、休みの日に二人で家の掃除をしていた。

 渉には本当に無理をさせていると気に病んでいたものの、病死した妻を思うと再婚にも踏み切れず、二人きりの生活を続けていたのだ。


「それで、僕に話しって?」

「あの、それは歩きながら。」

 待ち合わせをしていた喫茶店を出て、二人は公園を散策した。 公園といっても、あるのはだだっ広い芝生だけで、南端に大きな池があり、ボートに乗れるようになっていた。

 あまり娯楽のない田舎だからか、若者のデートスポットになっており、ちらほらとデートしている若者がボートを漕いでいる。

「乗りましょうか?」

「そうですね。」

 あまり、人前でしたくない話しだったので、健の提案はありがたかった。


 健はボート乗り場で手配をすると、先に乗り込み、葵に手を差し出した。

「ありがとうございます。」

 健の手を取りボートに乗り込むと、健は当たり前のようにボートを漕ぎだした。


 さっきの態度といい、ボートを漕ぐか聞かれなかったことといい、もしかして健様は私が女性だと、わかっていらっしゃるのでしょうか?


「あの…、ボート漕ぐの疲れたら代わりますから。」

「大丈夫ですよ。アラフォーの中年ですけどね、まだまだ女性にはいい格好をしたいものですから。それとも、漕ぎたいですか?」

「いえ、…私が女性だとお気づきだったんですね?」

 健は、キョトンとして葵を見る。

「お気づきも何も、女性以外には見えませんよ。」

「そうですか…。ご子息にはいまだ男性と思われているようで、この間清華お嬢様との関係を聞かれたんです。それで、女性には興味がないことを告げましたら、あろうことか…ホモだと思われてしまったようで。」

 苦々しく話す葵に、健は思わず吹き出してしまった。

「失礼!うちの愚息がとんだ勘違いを。お話しとは、そのことですか?」

 笑うと目尻がクシャッとなり、葵は思わずドキッとした。


 優しそうな顔つき、落ち着いた態度、ボートを漕ぐ腕は、中年と言うわりに力強く見えた。

 多少白髪もあるようだが、ふっさりとした髪形、渉によく似ていて特に美形ではないが優しげな面持ち、中年太りはしておらず、年を知らなければ三十代前半でも通るだろう。葵と一回りちょい離れているはずだが…。

 今まで、渉の父親としか意識していなかったのだが、初めて東條健一個人として健を見ていることに葵は気づいた。


「いえ、それもありますが…。」

 葵は、いつものポーカーフェイスからは想像できないほど、ドギマギとしてしまい落ち着かなかった。

 執事という仕事柄、派手な世界を見てきた葵にとって、ごく普通で平凡な男性のほうが珍しく、癒しを感じた。


「渉様とは、清華様とのご婚約について、どのようなお話しをされたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「婚約についてですか?特には話してませんよ。ほら、あの年代は、付き合っているのもあまり話したがらないじゃないですか?恥ずかしいんですかね?清華さんがうちに初めていらした時も、彼女とは紹介してくれませんでしたから。」

 葵は確信した。

「やっぱり…。」

「やっぱり?」

 健が何です?と、中腰で葵の隣りに移動してきた。

「あのですね、清華様の勘違いからこのご婚約は始まってしまったようなんです。清華様が泣いてしまったのを、渉様がなだめようとして、それを好意と勘違いしたお嬢様が、告白されたと思い込んだようなんです。つまり、いまだ二人は付き合ってすらいないということです。」

 あまりに健との距離が近くてドキドキした葵は、早口でことの顛末を話す。

「次は私に漕がしてください!」

 勢いよく葵が立ち上がったためボートが揺れて、葵が倒れそうになる。

「ダメだ!ボートで移動するときに、勢いよく立ち上がったら。」

 健の上に倒れるような形になってしまい、葵のポーカーフェイスが完全に崩れた。

「ごめんなさい。すぐにどきます。」

「いえ、役得です。」

 真っ赤になって場所を移動する葵を、葵でもこんなヘマをするんだ…と、和やかな気持ちで見ていた。

 しっかりしていて、キビキビと西園寺家を取り仕切っている葵とのギャップが、魅力的に映った。

 といっても、年の差がありすぎるので、魅力的=恋愛対象には結びつかないが。

「では、渉は清華さんのこと好きではないということでしょうか?」

「いえ、多分ですが…特別な感情は持っていらっしゃるようです。男だと勘違いした私のところに、清華様への気持ちを聞きにいらしたくらいですから。」

 葵はオールを漕ぎながら、なんとか平常心を取り戻す。

「清華様は?」

「渉様とご婚約していると信じておりますから、もちろんご好意をお持ちです。」

 健は、ウ~ム…とつぶやく。

「回りがとやかく言って、上手くいくものが上手くいかなくなっても困るしな…。難しい年頃だから。」

「そうですね…。さりげなく付き合う方向に誘導してみようと思いますが、私も恋愛に関してはあまり得意な方ではないので、健様にご助言いただけたらと思います。」

はやめてください。僕は、様扱いされるような人間じゃありませんから。」

「健でよろしいでしょうか?」

 葵は、赤くなりつつ健の敬称を変える。

 そうすると、健との距離も少し近くなったような気がした。

「それでお願いします。まずは、二人にデートをさせないとですよね。」

「そうですよね。」


 二人は、渉と清華を本当の恋人にするプロジェクトを発足した。


 ここに新しい恋が始まろうとしていた。










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