第29話 お嬢様、涙する


 葵の部屋を出た渉は、小走りで自分の部屋に戻った。

「びっくりした!」

 まさか、葵のカミングアウトを聞くことになろうとは、思ってもいなかったから。

「渉君?」

 渉が部屋に戻った音を聞いた清華が、渉の部屋のドアを叩いた。

「はい、どうぞ。」

 清華が寝間着姿にガウンを羽織って入ってきた。


 ウワッ!可愛い…。


 髪がしっとりしているのは、風呂上がりなんだろう。

 清華が入ってくるだけで、部屋が良い香りになったような気がした。

「ど…どうしたの?」

「こんな時間に部屋を出られたので、どうなさったのかしら?と思いまして。もしかして、おなかでもすかれたのかなって。」

「違う違う。英訳でわからないことがあったから、ちょっと葵先生に聞いてきたんだ。」

 清華は、僅かに眉を寄せる。


 いくら勉強のためとはいえ、この時間に葵の部屋を訪れるのはちょっと…。


 もちろん、清華は葵の性別が女性だと知っている。自分が同じように渉の部屋を訪れているというのに、それは問題にはしないらしい。


 まさか渉君、年上の方が好みなのかしら?

 だから、渉君のお世話は全部私がしたかったんです!


 渉の好みが世話好きな女性だと聞いていた清華は、葵の存在にもやきもちをやいていた。

 最近は、裕美の存在も気にかかるし、さらに葵までとなると、いつ渉が心変わりをしてしまうんじゃないかと、不安でしょうがなかった。


 そう、何か証明のような物がいただけたら…。

 自分が渉の彼女であると実感できるようなことがあれば…、不安なく生活できるますのに、例えば毎日キスするとか…。


 清華はボッと顔を赤くする。

「どうしたの?」

 部屋に入ってきて、いきなり無言で赤くなった清華を、渉は覗き込んだ。

「いえ、あの、何でもございません。渉君は、まだお勉強なさるんですか?よろしかったら、お夜食でもお作りいたしましょうか?」

「大丈夫、もう勉強終わったから。気にしないで寝て。」

「そうですか…。」

 清華はモジモジとして、部屋に帰ろうとしない。

「サーヤ?」

 渉が清華の肩に手をかけると、清華は身体を硬直させて目をつぶった。


 何でまた?!


 瞼がフルフルと震えていて、長い睫毛が揺れていた。


 いや、さすがに夜遅くに寝間着姿で、仮にも男子の部屋でそれはまずい!

 すぐ横には布団もあるわけで…。


 渉は、最大限の理性をフルに稼働させ、清華の肩から手を離した。

「明日は早いし、寝たほうがいいと思うよ。」

 情けないくらい声がうわずってしまう。

「……そうですね。」

 清華の目に涙が浮かび、それを隠すようにうつむいたら、涙がポトッとたれた。

「サーヤ?」

 清華は踵を返し部屋を出ていこうとする。

「ちょ…ちょっと待った!」

 渉は慌てて清華を追いかけ、その腕を引いた。

 清華はよろめいて渉に倒れこみ、情けないことに渉は清華を受け止めきれず、尻餅をついて清華を抱き止める形になる。

「ごめん!ってか、何で泣いてるのか教えて。」

 渉は正座して問いかけ、清華は喋ることなく、ただうつむいている。

「あのさ、僕に言いたいことがあったら言ってよ。ちゃんと聞くし答えるから。(ついでに、何で頻繁に目をつぶってみせるのか教えてほしい!)」

 清華は、戸惑いがちに口を開く。

「葵のこと…どう思われてます?恋愛感情的にです。」

 渉の頬がひくつく。

「葵先生は、いい人だと思うよ。でも、恋愛感情は…。僕はそういう趣味はないから。」


 そういう趣味?

 年上は苦手…ということでしょうか?


「では、裕美さんのことは?」

「なんでいきなり彼女がでてくるの?」

「最近、仲が良いように思いまして。」

「仲が良くはない。お世話係だから、接点があるだけで。第一、僕は彼女にバカにされてる気がするんだけど?ちょいちょい、人のこと落とすようなこと言うし。」


 やはり、やきもちなんだろうか?

 サーヤにとって、僕はたぶん初めてできた友人かもしれないし、僕が他の人に取られそうで、不安になってるとか?

 でも、だからってなんで目をつぶって誘惑するようなことするんだ?

 きっと、何か勘違いしてるんだ!


 勘違いは渉であった。

 友達にこだわるから見えてきてないが、清華が渉に恋愛感情があると仮定すれば分かることなのに。


「あの、僕も聞いていい?」

 うなずく清華に、渉は咳払いを一つしてから聞いた。

「あのさ、たまに僕の前で目を閉じたままでいる時があるだろ?あれは何かおまじない的なことなの?」

 清華はキョトンとして、涙まで引っ込んでしまう。


 おまじないって…。

 通じてなかったんですのね?

 渉君は、私以上にオクテなんですわ!


 まさか、キスをして欲しかったから目を閉じたんですとも言えず、清華は言葉に詰まってしまう。

「それは…。」

 その時、ドアがノックされた。

「葵です。ちょっといいですか?」

「あ、はい。」

 渉の返事と同時にドアが開き、葵が入ってきた。

「お嬢様、(いくら婚約者といえど)こんな時間に男性の部屋を訪れるのはどうかと…。しかも寝間着で。」

 清華はムッとしたように葵を見たが、その格好に困惑した。

 葵は、いつもは着ないような胸元の開いたシャツを着ていて、わずかに化粧もしているように見えたからだ。


 葵ったら、渉君を誘惑しにきたんだわ!


「ちょっと、葵!渉君、おやすみなさいませ。お邪魔いたしました。」

 清華は、渉の問いに答えることなく、葵を引っ張るようにして部屋を出ていってしまう。


 僕の疑問は?


 渉は何が何だかわからず、バタバタと遠ざかって行く足音を聞いていた。

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