第28話 葵先生のカミングアウト

 葵の一日は、朝の四時から始まる。屋敷中の掃除をし、授業の予習をする。

 シャワーを浴びてさっぱりしたところで、源造や彩香を起こす。清華の作った朝食を給仕し、源造や彩香の一日の予定の確認を行う。学校があるので、源造達については回れないが、そこは祖父に任せていた。

 清華と渉と共に登校し、授業をこなし、授業のないときはテストの作成をしたり、採点をしたり。清華達と帰れるときは、なるべく一緒に帰り、家に帰れば雑務をこなし、清華の作った夕飯を食べ、また雑務に明け暮れる。

 今まで、西園寺家を管理統括する人間がいなかったのだから、やることは腐るほどあった。

 それでも、日にちがかわる前に就寝し、また四時に起きる。


 これを、西園寺家の執事であるというステータスのみで行っているのだから、葵が執事という仕事を、西園寺家をいかに愛しているかがわかるだろう。


「葵先生、ちょっといいですか?」

 渉が葵の部屋をノックした。

 葵は、寝る前に西園寺家に届いた手紙の整理をしていた。

「どうぞ。」

 眼鏡を押し上げ、机から顔を上げる。

「あの、英訳で詰まっちゃって、これでいいか見てもらえますか?」

 渉からノートを受けとると、さらさらと英文を書き付ける。

「これはね、so~thatを使えばいいんです。これだけですか?」

「はい、ありがとうございます。あの、ちょっといいですか?」

 英訳は言い訳で、渉には聞きたいことがあったのだ。

「どうぞ。」

 葵の表情は柔らかい。最初に会った時は、若干挑戦的というか、険があったように思われたが、今は温和な雰囲気に変わっていた。


 西園寺家に入り込んだ人物として、最初は警戒していたのだろうか?


「葵先生は、サーヤが小さい時から一緒なんですよね?」

「そうですね、お生まれになられた時も覚えています。おむつのお世話から、入浴のお世話、離乳食を初めて口に運んだのは私です。」

 それだけの歴史が二人にはあって、深い信頼が清華にはあるのがわかった。

 それが恋愛感情かどうかはわからないが、前に聞いた清華のタイプの男性が葵に当てはまっているように思えたのが、どうしても気になっていて、葵の清華への気持ちを聞きたかった。

 本来であれば、清華の気持ちが重要であり、それを確認すればいいだけなのだが、恋愛初心者の渉には、直に確かめる勇気はなかった。

 自分の気持ちにだって、やっと最近気がついたくらいなのだから。


「私には子供はおりませんが、子育てはプロですよ。いつ子供ができても対応可能です。清華様にお子様が生まれても、大丈夫ですから。」


 それはさすがに気が早いと思うけど、言い方が葵先生とサーヤとの子供…という感じではなかったような?自分の子供にははつけないよな?


「葵先生にとって、サーヤはどういった存在ですか?」

 渉は思いきって聞いてみた。両手を握りしめ、葵を直視できない。

「お嬢様です。」

 迷いのない、葵の一言だった。

「恋愛感情なんかは…?」

「お嬢様にですか?」

 明らかに驚いたような葵の口調に、渉は顔を上げて葵を見た。

 葵は、口の端をピクピクさせて、笑いを堪えているような感じだ。


 もしかして渉様…。


 そこで葵は、渉が大きな勘違いをしていることに気がついた。笑いを引っ込め、真剣な口調で言う。

「一ミリもありません。」

「そう…なんですか?」

 渉はホッとしながらも、清華の気持ちはわからないということに思い悩んだ。それを先読みした葵が、渉の不安を払拭させようと断言した。

「ちなみに、お嬢様が私に恋愛感情を持つことも、絶対にあり得ませんから。」

「何故ですか?」


 そんなことは、葵先生といえどもわからないじゃないか?!


「私は…女性に興味を持つことはないからです。」

 渉の表情が固まる。


 それは、カミングアウトってやつですか?


 渉は固まりながら後退る。

「そ…そうですか。すみません!下らないことでお時間とらせてしまって。」

 渉は勢いよく頭を下げると、回れ右をして部屋から飛び出す。

「渉様!」

 葵は、さらにややこしい勘違いを渉がしたことに気がつき、訂正しようとして立ち上がったが、閉まったドアを憮然と見つめて、ドカッと腰を下ろした。


 学校に行くときのようなスーツでもなく、執事の制服も着ていない。今はラフな普段着を着ているというのに、何故勘違いとわからないんですか?

 執事は男の仕事…という思い込みのせいでしょうか?

 まさか、自己紹介する時に、私は男ですとか私は女ですとか言う必要があるってことですか?


 そう…、葵は正真正銘女性の執事だったのだ。

 学校では、バカにされないようにわざと男っぽく振る舞っているし、実際に男だと思い込んでいる生徒が大多数だということは知っていた。

 大学の演劇サークルで、男っぽい立ち居振舞いとかも勉強したから、葵の演技力の高さの賜物なんだが、何だか納得いかない葵だった。

「私は女ですと説明するのは、とっても屈辱的なんですが…。」

 葵は、自分の胸に手を当てる。

 真っ平に近いとはいえ、わずかに、よーく注意して見れば、微かな膨らみだってあるのに…。

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