第11話 お嬢様、同居開始
夏休み中頃、東條親子の引っ越しはつつがなく終了した。
清華と渉は隣り同士の部屋になり、壁を叩けば聞こえる距離に、二人とも緊張しつつも、日常に交じる非日常を楽しんでいた。
清華としては、少しでも渉と過ごす時間を作りたいのだが、食事時と寝る前にたまに一緒に勉強をするくらいしか、渉との時間がとれていなかった。
家事が忙しいということもあるが、渉が夏休みには短期のアルバイトを入れており、家にいないことも多かったからだ。
そんな渉は、バイトから疲れて帰ったときに、女性の声でお帰りなさいと言われると、それだけで癒され、清華の手作りの夕飯を食べる楽しみのためにも、頑張ろう!と思えるのだった。
「清華さん、来週から学校だね」
「さようでございますわね」
清華は渉のために夕飯を温めなおす。
渉がバイトだったため、すでに九時を回り、西園寺家の人間はみな就寝していた。
健も自室に入り、たぶんTVでも見ているのだろう。
「ごめんね、遅くなって。夕飯、置いといてくれて良かったのに」
それですと、渉さんとお話しする時間がなくなってしまいますもの。
「かまいませんわ。温かいお食事を召し上がっていただきたいですし、私もまだすることが残っておりましたから」
清華は渉の向かいではなく、隣りの椅子に座る。椅子をひくときに、わずかに渉に近寄ってみるものの、椅子だと満足いく距離に近寄れない。
「お茶、お入れいたしますね」
最近、渉との関係に少し不満がある清華だった。
家にあまりいないからなのかもしれないが、渉が手をつないでくれないということだ。
清華は準備万端、渉のすぐ横でさりげなく渉の腕に触れてみたり、袖を引いてみたりするのだが、いつの間にか距離が開いていたり、清華が衣服を整えてくれたと勘違いしてお礼を言ったりしてくるだけ……。
少し……いやかなり寂しい思いをしていた。
渉にしてみれば、家を間借りすると決まった日、清華が男女関係のいろはを初めて知り( もちろん、知識としてである )ショックを受けたあの日から、なるべく清華と距離を置こう、自分は無害な生物であるとアピールしなくては! と、とにかく男臭を消す努力をしていた。
「あのさ、明日で夏休みもおしまいだろ? もし、明日暇だったらだけど、清華さんのしたいことしないか? 」
「したいこと……ですか? 」
清華はお茶をいれながら、すぐにしたいことは頭に浮かぶ。
手をつなぎたいです!
でも、あまりに直接的な表現に言うのが躊躇われる。
「どこかに行きたいでもいいし、何か食べたいでもいい。買い物でもいいよ。アルバイト代が入ったから、家のこと頑張ってくれている清華さんにご褒美」
「よろしいんですの? 」
「もちろん」
手をつなぐためには、デートでしょうか? でも、近所ではきっとシャイな渉さんは人目を気にしてしまうかもしれない。日帰りで行ける場所で、私達のことを誰も知らない場所は……。
「海……はいかがでしょう? 」
「海? 泳ぎたいってこと? 」
渉は、清華の可憐な水着( ビキニ )姿を妄想してしまい、お茶も飲んでいないのに喉がなってしまう。
「いえ、水着は学校の物しか持ち合わせておりませんから。夏休みといえば海かと……。私、海に行ったことがございませんので、見てみたいのです」
「海かあ……」
清華達のいる町は、それなりに大きな町ではあったが、海は近くにはなく、電車で二時間くらいかかる場所に泳げるビーチがあった。
「駄目でしょうか? 」
「いや、行こう! でも、明日は早く起きないとだな」
「二時ですか? 三時ですか? 」
渉は苦笑する。
清華は毎日早く起きて家のことをしていたから、早くと言うと、本当に夜中に起きそうだ。
「その時間はまだ電車も動いてないよ。七時くらいに出れればいいんじゃない? 」
「承知いたしました」
清華は極上の笑顔を浮かべる。
その笑顔を見て、渉は誘って良かったと思った。
夏休み、友達と遊ぶこともなく家事をする清華を見て、実は清華には友達がいないのでは?と思わずにいられなかった。
清華といえば西園寺家のご令嬢、それはこの町に住む住人周知の事実で、みなが敬愛する存在であった。
だからこそ、気軽に話せるような、遊びに誘えるような友達がいないのでは? とも思える。清華様と呼び、敬語で話しかけてくる人間と、馬鹿話しもできないだろう。
渉は、清華の恋人は無理だとしても、友達ならば可能性はあるのではないかと、遊びに誘うための軍資金を貯めるためのバイトでもあったのだ。
「あのさ、そろそろ敬語は止めないか? ( 友達として )遊びに行くくらい仲良くなったわけだし」
「そうですわね。では、渉……君も私のこと名前にさん付けは止めてください。( 婚約者なのですから )なにか他人行儀ですわ」
「清華……ちゃん? 」
「ちゃんもいりませんのに……」
清華は不満そうに唇を尖らせる。その表情の愛らしさに、渉は頭を撫でたい、清華に触りたいという欲求に負けそうになり、フラフラっと手が伸びそうになる。
その手を精神力で清華のいれてくれたお茶に持っていく。
「アチッ! 」
「渉君たら、湯呑みをそんなふうに握ったら熱いですわ」
湯呑みを温めてからお茶をいれているので、湯呑みは想像以上に熱かった。渉は、手をヒラヒラと振って冷ますと、照れ隠しに笑う。
「明日、楽しみだね」
「はい! とっても」
明日は三時に起きて支度をしましょう。渉さんは、六時半くらいに起こせばいいかしら?
清華は明日は家のことをやり、お弁当も作らなければ! と張り切っていた。
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