第10話 お嬢様、婚約成立
「どうも、お邪魔いたします。これ、たいした物じゃありませんが、お納めください」
渉の父親の健が、清華の母親の彩華に和菓子の詰め合わせを渡し、渉は米が入った袋を黒沢に渡した。
渉達は手土産のつもりで持ってきたのだが、清華達は結納品として受けとった。
「いくひさしくお受け取りいたします。東條様、まずお部屋にご案内致します。こちらへ」
それから、黒沢が先頭に立って屋敷を案内した。
清華は、ショックから立ち直っておらず、ただボーッとしてその後をついて歩いた。一見、きらびやかな着物を着て、おしとやかに歩いているように見えたが、内心ではさっき見た巻物のことが頭から離れず……。
渉と健は候補となる部屋を数ヶ所見て、結局は以前使用人達が使っていた広い離れではなく、清華が幼少時代に遊び部屋にしていた、清華の部屋に増築する形で建っている1LKの部屋と清華が寝室としていた一間を合わせて、2LKとして貸すことになった。
清華の部屋は一間を寝室、その隣りに衣装部屋として使っていただけなので、わずかの家具と布団さえ衣装部屋に移動させれば、すぐに渉達を迎えることはできた。
清華と渉は、隣りの部屋……になるわけである。
後は大人達の話し合いでと言われ、清華と渉は庭の菜園を散策していた。
「……だね」
清華は、いつもは渉が手を繋げる距離をキープしているのだが、今日ばかりは渉の後ろを歩いていた。渉の話すことも、聞いているのかいないのか、空返事ばかりだった。
「清華さん? 」
渉が立ち止まり振り返ったことに気づかず、清華は渉にぶつかってしまう。
「ウワッ! 」
五センチくらいの草履を履いた清華と、渉の身長はあまり変わりがなく、渉の唇が清華の鼻をかすめた。
清華は硬直した。
接吻…ですか?!
「清華さん、大丈夫? 清華さん?! 」
硬直してしまい無反応の清華に、渉は心配して覗き込み、その途端、清華は目をギュッと閉じた。
「清華さん、息しましょう! 息が止まってる! 」
あまりに近い位置に渉の顔がきたのと、キスされるのかと思わず息を止めたので、清華の顔は真っ赤になってしまっていた。
「深呼吸! はい、吸って、吐いて、吸って」
清華は、言われるままに深呼吸をする。
「どうしたんだよ? 今日の清華さん、おかしいよ」
深呼吸したことで、少し平常心が戻ってきた。
「……もしかして、僕達がお屋敷に住むのが嫌になったとか? 家のために我慢してるみたいな? 」
「ち、違います! それは全く違います! 」
清華は勢い余って渉の手を握り、カアッと赤くなり、パッと離れて距離をとった。
「やっぱり変だ」
昨日までの清華は、小指を動かせば触れそうなくらい近くにいることが多くて、正直、渉はかなりドキドキしていた。
同じことを普通の女子がしてきたら、確実に自分に気があると思っていたと思う。
体温すら感じれる距離で、清華の髪のいい匂いや、たまに触れる腕や手に、ついフラフラっと吸い寄せられそうになり、手を握りたい衝動を抑え、抱きしめたい、キスしたいという欲求と戦い、恋愛感情を持っても無意味なんだと言い聞かせていた。
その清華が、今は渉から一歩以上距離を取っている。
まあ、これが普通の男女の友達の距離なのかもしれないが、納得のいかない渉だった。
この屋敷に来たときから、何か清華に違和感を感じてもいた。
「清華さん、知らない間に失礼なことをしたり、言ったんなら謝ります。何か、嫌われるようなことしちゃったのかな? 」
渉の困ったような、少し悲しそうな表情に、清華の胸がギュッとなる。
「嫌いになんかなりません。……あの、私の部屋にいらしてください」
清華の今の態度に至った原因を、きちんと話さないといけないと思い、清華は渉を自分の部屋に案内した。
部屋に入ると、鍵のかかった机から、西園寺家女子心得の巻物を取り出し、渉の前に置いて正座した。
「これは? 」
「西園寺家女子心得でございます」
渉も清華の前に正座する。
「ええと……」
女子心得を自分が見ていいのかもわからないし、渉は清華と巻物を交互に見た。
「私……、昨日まで無知でした。あまりに何も知らないからと、ばあやから勉強するようにと、さきほどこの巻物を渡されたんです」
「見ても……? 」
「はい、ご覧ください。決して渉さんのことを嫌いになったのではなく、これを読んで、ショックが大きく……、それで……」
渉は、巻物を解いた。
ざっと目を通し、思わず頭を抱えたくなる。
内容はエロ本よりもかなりえぐいし、何も知らないお嬢様がいきなりこんな物を読まされたら、そりゃショックも受けるだろう。
ばあやが、清華をどこに着地させたいのか、全くわからなかった。まさか、大切なお嬢様をAV嬢にさせたい訳じゃないだろう。
「渉さんも、こういうことをお望みですか? 」
「はあ? 」
全く考えたことがないと言えば嘘になる。真面目が売りの生徒会長といえど、十代男子であるのだから。
「そりゃまあ、興味があるかないかって言われれば……。いや、そうじゃなくて、こういうことは誰彼構わず行うもんじゃないから」
「それはそうですわ。本来なら、これは婚礼の前に渡されるはずの物ですもの。旦那様になる方と、行う行為ですわね? 恋人同士では、まだ早いですわよね? 」
「まあ、今は付き合えば、結婚しなくてもありっちゃあり……。いや、なしだよね」
渉は結婚前でもありと言いかけて止めた。清華がこの巻物を読んで、男というものに恐怖を覚えてしまったのなら、結婚までは男性は安全な生き物だと言っておかないと、一メートル以上距離をおかれそうな気がしたからだ。
「渉さんは、そうだと思いましたわ。私、変な心配をしてしまって、恥ずかしい……」
清華は、今日始めて渉の前ではにかんだように微笑んだ。
そのとき、やっと渉が感じていた違和感の正体がわかった。いつもフンワリ微笑んでいる清華が、今日は会ったときから硬い表現をしていたのだ。
「やっぱり、清華さんは笑顔のほうがいい」
思わず渉の口をついて出た言葉に、清華は嬉しそうにうつむく。
「渉さん、以前も同じことをおっしゃいましたわ」
清華が渉のことを意識し、渉に好きだと言われた( 勘違いであるのだが…… )ときのことを思い出す。
渉は、いまいち記憶になく、曖昧に微笑んだ。
「渉さん、私が作っているお野菜をお見せいたしますわ。庭にまいりましょう」
清華は、上品に立ち上がると、巻物を机にしまい、渉の腕を引っ張る。
その距離は元に戻り、清華の気持ちは晴れ晴れとしていた。
いずれ、渉とそういう行為をするときがくるのかもしれないが、それはまだ先のことだし、今からびくびくしてもしょうがないと思えたから。
渉さんも、婚礼後のことだとおっしゃっていますし、今はまず恋人らしく手をつなぐことからですわよね?
いえ、婚約したのですから、接吻くらいはするべきなのかしら?
「渉さん、腕をお借りしてもよろしいですか? 」
清華は、手をつなぎたいという意味で言ったのだが、渉は着物だと歩きにくいからかな? と解釈した。
「どうぞ」
渉が腕を差し出すと、清華はその腕に手をかける。
そうして腕を組んで庭を歩く二人の姿を、彩華と健は窓から見ていた。
「なるほど、全然知りませんでした。清華さんがうちに料理を作りにきてくれると聞いたときは、彼女ができたのかとは思ったんですがね、あいつに聞いたらそんなんじゃないって言ってたもので。あの様子では、確かに付き合っているみたいですね」
「親に言うのが恥ずかしいお年頃なんですわ」
「そうかもしれませんね」
「渉さんはまだ結婚できる年齢ではないですし、婚約は内々の話しとして、正式な婚約式は二十歳くらいでしょうか? 渉さんが大学を卒業なさったら、結婚ということでよろしいかしら? 」
「それまでに、渉が清華さんに愛想をつかされてないといいんですがね」
「それは清華もですわ」
「親が口出しして、まとまる話しが壊れてもなんですから、しばらくは静観しましょう」
「そうですわね」
渉のみが知らないまま、清華と渉の婚約が成立した瞬間だった。
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