第6話 お嬢様、目を閉じてみる

 爽やかな若草色のワンピースに白いカーディガンを羽織り、ユルフワに編み込んだ髪を同系色のリボンで結んだ清華が、重そうな袋を持って早朝から歩いていた。

 時間は朝の七時少し前。

 歩いているのは、犬の散歩をしている人くらいだ。


 いつもは五時に起きて、家の掃除やら食事の用意をしている清華だったが、今日ははりきりすぎて三時に目が覚めてしまった。

 家のことは全て終わらせ、家庭菜園から野菜を収穫し、シャワーを浴びてもまだ六時だった。

 母親からもらったワンピースに着替え、まだ早いとは思ったが、家をでてしまった。

 執事の黒沢は、車で送って行くと言ってくれたが、あまりに早いのに、車で行ったら余計早くついてしまうからと、歩くことにしたのだ。


 たまにすれ違う人が、清華を二度見して振り替える。

 最初は、綺麗な子だな……と思い目が行き、西園寺家の清華であることに気がつき、驚いて二度見するという感じだ。

 確かに、車に乗らずに道を歩いている清華はレアだったから。しかもこんな早朝に。


 清華は、住所を確認しながら、黒沢に書いてもらった地図を見る。

 家からそんなに離れていない場所であるが、道を歩く習慣がない清華にとって、未知の場所とかわりない。家から学校まですら、歩いたことがなかったのだから。


 困ったわ。さっぱりわからない。


 清華は、黒沢の車に乗っていたとき、外の景色を見ておくべきだったと後悔した。

 登下校の車の中は、いつも清華の勉強時間だった。そこで宿題を終わらせ、予習をする。

 家では勉強などやっている時間がないからだ。屋敷の掃除だけでも、一日じゃ終わらないのだから。


 家から学校までの途中に、渉の住むマンションがあるはずだった。

 清華は、コンビニを見つけ中に入る。


「あの……」


 店内を掃除していた店員に声をかけた。

 若い男の店員は、面倒くさそうに振り返ると、清華を見て一瞬硬直し、持っていたモップから手を離してしまう。

 カランカランと、モップが転がる音がして、店員は我に返ったように慌ててモップを拾った。


「大丈夫ですか? 驚かせてしまいましたかしら? 」


 清華は、いきなり声をかけたから、店員が驚いたと思っているが、実際は清華の可憐な姿に店員の思考回路がストップしてしまったのだ。


「い……いかがなさいましたか?何かお入り用でしょうか? 」


 店員は、意識せずに丁寧な口調になる。

 通常は『らっしゃいませ! ありがとっした! 』と、客の顔を見ることなく叫んでいるのにだ。


「いえ。この住所の場所に行きたいんですの。おわかりになるかしら? 」


 店員に、渉の住所を書いた紙と、黒沢が書いてくれた地図を見せる。


「おわかりになりますです。ご案内いたします! 」


 意味不明な日本語になりつつ、店員はモップを棚にたてかけて清華の前に立って歩きだす。

 もちろん、店にはだれもいなくなる。


「あの、お仕事は大丈夫なんでしょうか? 」

「大丈夫であります。お荷物、お持ちいたします」

「ありがとうございます」


 店員は、うやうやしく清華から野菜の入った袋を受けとると、地図の通り案内した。


 歩いて五分くらいだっただろうか? 渉のマンションに到着した。

「こちらの三階になります」

「ご丁寧にありがとうございます」


 清華が荷物を返してもらおうと手を差し出すと、店員は首を振った。


「上までお運びします」


 店員のエスコートで、清華はマンションの三階、渉の部屋の前まできた。

 店員がインターフォンを数回ならす。

 しばらくすると、眠そうな声で渉がインターフォンにでた。


「……はい? 」


 たぶん、インターフォンから見えているのは、コンビニの制服を着た男だけなんだろう。

 渉は明らかに不審そうな感じだ。

 店員は、お届け物です……も変だし、なんて言ったらいいかわからず、とりあえず身体をずらして清華がインターフォンに映るようにした。


「清華さん?! 」


 渉の慌てた声が響き、ドタバタと走り回る音がした。

 一~二分待っただろうか、やっとドアが開き、寝癖のついた渉が顔を出した。


 まあ、可愛らしいですわ。


 いつもは優等生っぽく身なりを整えている渉の、まだ顔も洗っていない、ボサボサ髪の寝起き姿に、清華の胸がキューッとなる。


「ごきげんよう」

「うん、おはよう……。えっと、その人は? 」


 渉が、コンビニの店員に視線を向ける。

 一番家から近いとこにあるコンビニの制服を着ているし、たぶんコンビニの人だろうというのはわかるが、なぜコンビニの店員が清華の後ろにいるのか理解できなかった。


「コンビニの店員さんですわ」

「まあ、そうだろうね」

「荷物を持ってくださったの」


 店員は、渉に袋を差し出すと、清華に向かって頭を下げた。


「また、いつでもお寄りください。お困りのときには駆けつけるであります」

「ありがとうございました」


 清華も丁寧に頭を下げる。

 店員は、名残惜しそうに振り返り、手を振りながら帰っていった。

「コンビニの店員……だよね? 」


 困ったときに駆けつけるのって、コンビニ店員の仕事じゃないよな……と思いながら、もう一度清華に確認する。


「ええ、道を聞きましたら、ご丁寧に案内して下さって、荷物まで運んで下さったんです。親切ないい方ですわね」


 仕事を放棄しているわけだから、いい人かどうかはわからない。


「あのさ、ちょっと待ってもらえる?着替えてくるから」

「はい」


 清華は、言われるままに玄関で待った。

 しばらくすると、ジーンズにTシャツに着替えた渉が玄関に戻ってきた。さっきまでの寝癖はなおされており、清華は少しだけ残念に思った。


「父親がまだ寝てるから、少し散歩でもしようか」

「まあ、もしかして、早く来すぎたのでしょうか……? 」


 清華は、もしかして非常識だったのでは? と、この時初めて考えにいたった。


「いや、まあ、学校行くときには起きてる時間だから、早すぎはしない……かな? 」


 渉はスニーカーを履きながら玄関から出ると、鍵をかけた。


「そういえば、いつもの車ではこなかったんだね」

「はい、車を使ったら早くつきすぎてしまうと思ったものですから」


 まだ七時半にもなっていないから、人の家に訪れるには、十分早いと思うのだが、三時に目覚めた清華にとっては、これでも我慢して待ったのである。


 もし次があるとしたら、きっちり時間を指定しようと、渉は心に刻んだ。まあ、ご飯を作りにくると言って、まさか朝の七時にやってくるとは、誰も思わないだろう。


「土手にでも行ってみようか」

「はい」


 渉が前を歩き、清華が半歩後ろを歩く。爽やかな風が吹き、清華の若草色のスカートを揺らす。


 いつ、手をつないでくださるのかしら?


 清華は、前を歩く渉の手をじっと見た。

 母親は、男性が手をつないできたら、握り返せば良いと言っていたが、いっこうに渉の手は動かない。


 渉さんは奥手なのね。

 私から手をつなぐのは、やはりはしたないかしら?


 清華は後ろを歩いているからいけないのかと、小走りに横に並んでみる。

 渉はそんな清華を見て、足が早すぎたかな? と思い、歩くペースを落とした。

 土手に並ぶベンチを見つけ、渉はキレイそうなベンチを選び、ハンカチを広げた。


「ちょっと座って待ってて。飲み物買ってくるから。何がいい? 」

「なんでも……。でも、私お金を持ち合わせておりませんが」

「じゃあ、適当に買ってくる」


 渉は、土手から降りたところにあるコンビニに走って行った。

 清華は、ホノボノとした気持ちで土手から川を眺める。天気はいいし、まだ暑すぎもしないし、なにより渉と二人で散歩なんて……。


 デートですわ!

 これがいわゆるデートというものなんですね。


 清華が幸せを噛みしめているところに、渉が色々と買い込んで戻ってきて清華の隣りに座った。


「朝ごはん買ってきたよ。清華さんは、おにぎりとサンドイッチ、どっちがいい?あと、お茶」

「よろしいんですの? では、おにぎりを。……こんなふうに売っているんですね」


 おにぎりの包みを不思議そうに見た。

 渉は、おにぎりを開けて清華に渡した。


「ありがとうございます。まあ、海苔がパリパリですのね、凄く美味しいですわ」


 清華は美味しそうに頬張った。


 ごく当たり前のことに驚いたり喜んだり、そんな清華を見て、渉は可愛いなと思った。けれど、すぐにその感情を否定する。

 どんなに貧窮しているとはいえ、相手は西園寺家の令嬢、いずれ西園寺家を継ぐ人物だ。渉みたいな一般の高校生が、恋愛感情を抱いていい相手ではない。


 そんな気持ちからか、渉は清華と少し距離を開けるように座りなおした。

 清華は首を傾げ、その距離を詰める。

 ほんの十センチくらいの距離だったが、そんなことを数回繰り返すと、渉はベンチギリギリまできてしまった。

「清華さん、なんで寄ってくるのかな? 」

「渉さん、なんで離れるんですの? 」


 二人は同時に言う。

 一瞬、無言の空気が流れる。


「ほら、学校じゃないしさ、僕みたいなのが、あんまり近くに寄って勘違いされたら、西園寺の名前に傷がつくんじゃないかなって」

「そんな心配を……? 」


 清華は、渉にピッタリくっつくと、その腕に腕をからめて肩に頭をのせた。


「清華さん!? 」


 清華の柔らかい身体や、髪から匂う爽やかなフローラルの香り、高校生の男子には毒でしかない。思わずガバッと抱きしめたい衝動に駆られつつ、最大限の理性を総動員して動きを止めた。息をするのすら控える。

 突然硬直してしまった渉に、清華は腕をからめたまま不安そうに顔を上げた。


 はしたないと……嫌われてしまったのでしょうか?


 清華がそっと腕を離し、やっと渉は大きく息をした。


「あの……」


 渉は勢いよく立ち上がると、無駄に身体を動かす。


「渉さん? 」


 渉の頬は赤くなっており、若干にやけた顔は、嫌がっているようには見えなかった。


「た……食べ終わったし、ちょっとゴミ捨ててくる! 」


 渉はゴミをまとめて、またもやコンビニへ向かって走って行く。

 戻ってきた渉は、すっかりいつもの優等生の顔を取り戻していた。


「行こっか! 」

「はい」


 それから、ひたすら歩いた。

 ひたすら歩いた結果、清華の歩みが止まった。


「どうしたの? 」

「足が……、ちょっと……」


 考えてみれば、車移動の多い清華だから、靴で歩きなれていなかった。毎日お屋敷の掃除に明け暮れているから、体力的には問題ないのだが、靴擦れはどうにもならなかった。


「靴擦れかあ? 」


 とりあえず、もう一度ベンチに座り、清華は靴を脱いでみた。踵の皮が剥けて血が出てしまっていた。


「……ごめん」


気まずいからと、ひたすら歩いたことを渉は後悔した。


「いえ、私が運動靴を履いてくればよかったんですわ」

「歩ける? 」

「大丈夫です……。あの、手を貸していただければ」


 清華が手を差し出した。

 渉は戸惑いながら、その手を握って立ち上がらせる。清華は、手を握ったまま渉と腕を組んだ。

「痛い? よりかかっても大丈夫だから」


 清華の体重を支えようと、渉は清華の手をギュッと握る。


 お母様、これですわね!


 清華も渉の手を強く握り返す。

 足の痛みなど、どこかへ吹き飛んでしまったかのようだった。


 ここで目を閉じるんですのね?


 清華は、手を握ったまま、ギュッと目を閉じた。

 渉は、目を閉じて動かない清華を、不思議そうに見る。

「歩ける? 」

「歩けませんわ。真っ暗です」

「そりゃそうだよね。目を開けないと、転んで危ないからね」

「そうですわね」


 目を閉じても、特に何も起こらないことを不思議に思いながらも、清華は目を開けてみた。


 なんなんでしょう? まだ、目を閉じるのは早かったんでしょうか?


 清華は幸せそうに、渉は緊張してカチカチになりながら、手をつなぎながら、土手をゆっくり歩いていった。

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