第2話 お嬢様カミングアウト
「おなか……すきましたわね」
清華は、校舎の屋上に上り、一人日向ぼっこをしていた。
お弁当はすでに食べ終わり、教室に残っていると、他の生徒のお弁当のよい匂いで、おなかが派手になりそうだったので、早々に退散してきたのだ。
青い空に、白い雲が浮いていて、それが自然と食べ物の形に見えてくる。
あれは唐揚げ、焼売に餃子、秋刀魚、鳥の丸焼き、アイスにショートケーキ……。おにぎり!おにぎりが沢山!!
まずいですわ、おなかがよけいすきました。
派手にグルグルグルグル! とおなかがなる。
まあ、人はいませんし……。
と思ったとき、ガタンと音が響いた。
清華が振り向くと、わずか十歩くらい後ろに男子生徒が立っていた。
清華の髪と、膝丈のスカートが風にフワリと広がる。白い肌に日光が反射し、清華の回りだけ光っているように見えた。
まるで一枚の絵画のように、それこそ頭に光の輪を付け、白い羽を描いたら、天使が降臨したかのような神々しさがあった。
「西園寺……さん」
「グルグルグルグルグル……」
清華のおなかが返事をする。
ま……まずいですわ! 西園寺家の威厳が! 格式が!
「おなか……すいてるのか? 」
「キューグルグル……」
喋らずに、すでに会話が成り立っている。
男子生徒の手に、購買部で買っただろうパンが握られており、その匂いのせいか、清華のおなかの音は止まることなくなり響く。
「これ、食べる? 」
男子生徒は、パンを一つ清華に差し出す。
パンの中に、なにやら茶色い麺のような物が入っている。
「そ……それはなんですの? 」
「焼きそばパン。食べたことないの? 」
清華はこっくりと頷いた。
「さすがお嬢様だな。食べてみなよ、うまいから。高価な食事ばかりじゃなく、たまには庶民の味もチャレンジしてみれば? 」
「これ、おいくらですの? 」
清華のお財布の中には、五十三円しか入っていなかった。
たぶん足りませんわよね……。
清華は、かなり残念に思いながら、どんな味がするパンなのか想像してみた。すると、よけいにおなかがなる。
「二百円だけど、別にこれくらいやるよ」
清華はパアッと笑顔になり、パンを受けとると、屋上にあるベンチに座った。そして、パンを手でちぎって食べようとする。
「ダメダメ、かじりつくんだよ」
男子生徒は、口を大きく開け、かじりつくジェスチャーをする。
清華は、小さな口で上品にかじりついてみた。が、あまりに上品にかじり過ぎたせいか、最初はパンしか食べれなかった。数回かじり、焼きそばにたどり着く。
「美味しいですわ! 」
清華の表情が、フワリと明るくなる。
パスタとも違う麺に、ソース味がしっかりついていて、アクセントの紅生姜がピリッと全体を引き締める。なによりも、細切れではあるが豚肉が入っている。
肉! 肉ですわ!!
清華は、ゆっくりと噛みしめながら、肉の感触をじっくりと味わう。
十分ほどかけ、やっと焼きそばパンを一つ完食した。
「こんなに美味しいパン、生まれて初めていただきましたわ。ご馳走さまでございました」
清華は丁寧に頭を下げる。
「あの……、よろしかったら、お名前を教えていただけませんでしょうか?
男子生徒は、少し困ったように笑い、ごそごそとポケットの中からポケットティッシュを取り出した。
「この学校に、西園寺さんを知らない奴はいないだろ。僕は
「まあ、存じ上げませんで、失礼いたしました。では、渉さんは先輩ですわね」
渉は、ティッシュを清華に差し出すと、口を拭く動作をしてみせた。
「……? 」
「口の回り、青のりがついてる。あと歯も」
清華はポーチから鏡を取り出すと、口の回りを見て後ろをむいた。もらったティッシュで口と歯を拭い、渉のほうに向き直る。
「重ね重ねありがとうございました」
「どういたしまして」
清華は、ジーッと渉の顔を見た。
渉は、身長は清華より少し高いくらいだろうか? どちらかというと華奢な身体つきをしていて、眼鏡をかけた顔はあまり血行がいいようには見えなかった。
「あの……もしかして、私、渉さんの大切なお昼ご飯をいただいてしまったんじゃないですか? 」
「大丈夫、大丈夫!家でおにぎり作ってきて、おかず代わりにパン買っただけだから」
「まあ、おにぎり……」
渉は、鞄から大きなおにぎりを三つとりだした。
「本当は、父親のが二つなんだけど、朝渡し忘れてさ。量だけはあるから気にしないで」
清華の視線がおにぎりに釘付けになる。
「……食べる?塩にぎりだけど」
「よろしいんですか? 」
断るだろうと思いながらも、あまりに清華がおにぎりに熱い視線を向けるものだから、とりあえず聞いてみたのだが、清華は予想に反して素直に両手を出す。
渉がおにぎりをその手にのせると、まさに天使の笑顔を浮かべておにぎりを頬張った。
「美味しいですわ。絶妙なお塩加減ですね」
渉も、清華の隣りに腰を下ろし、おにぎりにかじりついた。
「このおにぎり、渉さんがお作りになったの? 」
「まあ、そうだね。うち、母親がいないから、料理作る人間がいなくて。僕も父親も、簡単なものしか作れないから」
「まあ! うちは母だけですけど、母はおにぎりも作れませんわ」
「まあ、西園寺の奥様だからね。シェフがいるから必要ないんじゃない? 」
「あら、シェフなんておりませんのよ」
清華は、おにぎりを片手に、深いため息をついた。
「えっ? いないの? 」
清華の上品な精進弁当は有名だった。よほど名のあるシェフの作だろうと、噂になっていたのだが。
「あれは、自分で作っております」
「料理できるの? 」
「幼いときより、ばあやにしこまれましたから」
ばあやとは執事の黒沢の妻の豊子で、最近はめっきり身体が弱り、寝込むことが多くなったため、家のことは清華が仕切っていた。
清華の母の
祖父の
それでも、清華にとったら大好きな祖父に母だったので、少しでも昔の西園寺を維持しようと、孤軍奮闘しているのであった。
「へえ……、意外だな。何もできないお嬢様だと……。あ、悪口じゃないぞ」
清華は、ふんわりと微笑んだ。
「いえ、多少演出している部分もありますので、そういったイメージがあっても当然ですわ」
「演出? 」
清華は、辺りをキョロキョロと見ると、渉に顔をぐっと近づけた。
渉は、思わず赤面しながらも、ぬけるようなその透明感のある肌質に感心する。清華の肌は、間近で見ても毛穴など見えず、陶器のようになめらかで、赤ん坊の肌のようにプルンと張りがあった。触りたくなるような……。
渉はそこまで考えて、思考を急停止させた。
「このことは他言無用でお願いいたします。西園寺はとうに廃れているんですの。財産も底をつきましたし、あるのは西園寺の屋敷のみ。切り売りするわけにもいかず……」
清華は、初めて会った渉に、誰にも話したことのなかった西園寺家の現状をツラツラ語り始める。
清華にとって、西園寺家の体面を保つことは、何を犠牲にしても行わなければならない最大の責務であった。その重責は、清華が思っていたよりも清華を縛り付けていたようだ。押し込められた感情が、一気に流れ出てしまう。
「……食事は、庭に作った菜園の物で自給自足ですし、足りない物は、お中元やらお歳暮やらで送られてくる食料でしのいでおります。お米半年分とか送ってくださる方もいて、本当に助かっておりますわ。お返しができないのが心苦しいのですが。まあ、お米は一週間前になくなってしまったんですけれど……」
「ちょっと待った! 」
渉は、唖然としながら清華の暴露話しを聞いていたが、こんな誰も予想もしていなかった話しを、たまたま屋上で会っただけの自分が聞いていいのか? と、慌ててしまう。
清華は、キョトンとしながら喋るのを止め、渉の顔を見た。それから、あぁ……とうなづく。
「そうですわよね、こんな話し面白いものではありませんものね。食事をしながらの会話としては、不適切でしたわ」
「そうじゃなくて、なんで僕にそんな暴露話しするわけ? 噂が広まったらまずいだろ? 」
清華は、理解できませんというように小首を傾げ、一口おにぎりにかじりつく。
「あまり、そういう話しはしないほうがいいと思うんだ。西園寺さんのイメージがさ……」
清華は、おにぎりをしっかり噛んで味わい、飲み込んでから喋る。
「清華とお呼びください。この話しは、渉さんに初めてしましたのよ」
渉は、さらに戸惑う。
「なんで僕なんだ? 」
「あら、渉さんなら誰にもお話しにはならないでしょう? 」
「いや、まあ、そりゃこんな話し、誰にも話さないし、話したって信じてもらえないから」
清華は、にっこりと笑って、最後の一口を頬張る。
その疑うことを知らなそうな瞳に、渉は心の中でため息をついた。
「あのさ、僕はおにぎりとか肉焼いたりとか、それくらいしか料理ができないわけ。全体的に見ても野菜が不足してるんだ。……さ、清華さんは逆だろ? 」
「そうですわね」
「ならさ、明日からここで一緒に昼飯を食べないか? 僕は米と肉を持ってくる。清華さんは野菜担当だ。これでお互いにバランス良くなるだろ」
「よろしいんですか? 」
「もちろん。清華さんさえ良ければ」
なんて、良い方なのかしら!
まさに仏様のよう……。
清華には、渉の後ろに後光がさしているいるように見えた。思わず拝みたくなる。
こうして、西園寺家の令嬢清華と、西園学園生徒会長の渉は、お昼ご飯を一緒に食べる約束を交わしたのだった。
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