雨よ降れ!
北窓なる
雨よ降れ!
その異変に気づいたのは偶然だった。
体育祭を翌日に控え、ほとんどの生徒が帰宅、もしくは体育祭の準備に向かってしまった放課後。準備をサボって誰もいない校舎の一階をふらふらと歩き回っていた。
一年A組の教室を前を通った時、黒板に一匹の蛇が描かれているのを発見した。その時はさほど気にしなかったのだが、一年B組の教室の黒板にも同じ蛇が描かれていたのだ。C組、D組、E組と確認しに行くと、すべての教室に同じ蛇が描かれていた。
こうなると、違う学年の教室も確認してみたくなるのは当然のこと。二階へと上がると、次々に教室を確認していく。やはり、すべての教室に蛇が描かれていた。
三階へと上がり、三年A組の教室を確認する。やはり蛇の絵が描かれている。ここまでくると、次は新たな疑問が湧いてくる。誰が、何のために蛇の絵なんか描いたのだろうか?
三年B組へと向かい教室に入る。するとそこに、同じクラスの女子がいた。高梨さんだ。彼女はクラスでも有名人なので、見間違えるわけがない。高梨さんはショートヘアで顔が小さく、小柄だ。スカートからスラリと伸びる脚には黒いニーソックスを履いていて、スカートとニーソックスの間から見える太ももは細くて白い。蛇を描くのに集中しているからか、こちらに気づく気配はないようだ。
「あのー」
声を掛けると、高梨さんはビックリした様子でこちらへと視線を向けた。
「な、なんだ、キミか。ビックリした……」
「高梨さん、いったい上級生の教室で何をしているの?」
「何って、見てわからないのか?」
「うん、全然わからない」
「見ての通り、龍神様を描いているんだ」
「龍神様? これが?」
「そうだ。どうだ? なかなか上手いと思わないか?」
黒板に描かれた絵を見てみる。蛇だと思っていたのだが、どうやらこれは龍神様だったようだ。
「ああ……うん、上手いんじゃない……かな?」
「なんで疑問形なんだ?」
どうやら不服だったようで、高梨さんは腕を組んで口を尖らせた。
「それより、なんで蛇……ゴホン。龍神様の絵を描いてるの?」
「知らないのか? 龍神様にお願いすれば、雨を降らせることができるのさ」
「……つまり、雨乞いをしていたと?」
「雨乞いか。そうだな、そういう言い方もできるかもしれない」
高梨さんは龍神様を描くのを再開する。雨乞いのためにわざわざ龍神様を描くなんて、よっぽど雨が降ってほしいのだろう。体育祭は雨天中止。きっと体育祭を中止にしたいのだろう。
だが、なぜ高梨さんが雨乞いなんかするのだろうか。
「なんで高梨さんが雨乞いなんてしてるの?」
そう訊くと、高梨さんは手を止めてこちらを見た。
「明日の体育祭が中止になって欲しいからに決まってるだろう」
「それはなんとなくわかるけど……雨が降ると、高梨さん大変なんじゃないの?」
「もちろんだ。ボクは雨に当たると消えてしまうからな」
……そう、彼女が有名なのはこれが原因だ。高梨さんは『雨に当たると消える』と周囲に言いふらしている。そしてそれを徹底するためか、雨の日は絶対に学校を休んでいるのだ。朝から雨が降っている日はもちろん、午後から雨が予報されている場合は早退までする徹底ぶり。
こんな不思議ちゃんを相手にする人がいるわけもなく、高梨さんはクラスでも浮いた存在だった。黙っていれば可愛いのだが……俗にいう、残念美女というやつだろう。
「当たると消えちゃうのに、なぜ雨乞いを?」
「さっきも言っただろう。体育祭を中止にするためだ」
「雨乞いするぐらい中止にしたいんだね」
「……フォークダンスをしたくないからな」
思わず吹き出してしまった。そんな理由でわざわざ雨乞いをしているというのか。
「わ、笑うな!」
高梨さんは顔を真っ赤にしている。怒っているわけではなく、恥ずかしくてだろう。
「ごめんごめん。それより、どうしてフォークダンスを踊りたくないのさ?」
「……二人一組にならないとダメだから」
つまり、一緒に踊ってくれる友達がいないから中止にしたいということだ。耐えきれなくなり、笑ってしまった。
「笑うなって言っただろ! ボクだって雨を降らすのは我が身を危険に晒す苦肉の策なんだからな!」
「ははは、ごめん。しかし、それにしたって雨乞いの方法が手間かかる方法すぎやしない?」
「む? そうか?」
「十五の教室に龍神様を描くなんて、重労働すぎるでしょ」
「ふっふっふ。確かにそうかもしれない。だが、ボクは水の神である龍神と契約している。この方法で龍神に祈りを捧げれば、ほぼ確実に雨を降らせることができるのだよ」
「なるほど。その代償として、雨に当たると消えちゃう体質になったってわけ?」
「その通りだ! なんだ、キミは話がわかる奴だな」
嬉しそうに笑う高梨さん。それにしたって、この方法はめんどくさすぎる。
「てるてる坊主を逆さに吊るすとか、それじゃダメだったの?」
「ん? てるてる坊主は晴れにするおまじないだろ?」
「それを逆さに吊るすと雨になるらしいよ」
「そうなのか? なんだ、そっちの方が簡単じゃないか。そっちにしよう」
どうやら知らなかったようだ。手に持っていたチョークを置くと、黒板消しで描いた龍神を消していく。
「ほら、キミもそんなところに突っ立ってないで、他の教室の龍神様を消してきてくれないか?」
「拒否権は?」
「ない。どうせ暇だろう? キミは一年生の教室の龍神様を消してきてくれ。そして二年B組の教室で落ち合おう」
有無を言わさぬ態度の高梨さん。仕方ない、ここは高梨さんに従っておこう。教室を出ると、一階へと向かうのだった。
「遅かったな」
すべての教室の龍神様を消し終えて二年B組に向かうと、すでに高梨さんが待っていた。
「さ、準備は終わっている。さっそく作ろうじゃないか」
高梨さんは自分の席に座り、てるてる坊主を作り始める。
「どうした? キミもこっちに来て作ってくれ」
「……ま、いいけどさ」
高梨さんの席へと向かうと、隣の席の椅子に座り、一緒にてるてる坊主を作る。
「ところで、いったいどれぐらいてるてる坊主を作ればいいんだ?」
高梨さんは出来上がったてるてる坊主を見ながら言った。
「さあ。いっぱい作った方が効果あるんじゃないかな?」
「じゃあ百個作ろう」
「ごめんなさい。少数精鋭部隊ということで十個にしましょう」
「そうか? じゃあ十個にしよう。ボクとキミで五個ずつな」
次々とてるてる坊主を作っていく高梨さん。見かけによらず手先が器用なんだな。
「よし、できた」
てるてる坊主を机に並べる高梨さん。五個作り終えると、同じように高梨さんの机に並べた。
「あとはこれを吊るすだけだな。……ん、逆に吊るすんだったか?」
「そ。逆さに吊るさないと逆効果だよ」
「ああ。じゃ、ここに吊るすとするか」
「ここって、この教室に?」
「そうだ。なにか問題があるか?」
いろいろ問題があると思うが、言っても理解されないだろうから言いはしない。
てるてる坊主に糸を括りつけると、カーテンのレールへと吊るしていく。無論、逆さにだ。
「よし、これで明日は雨で間違いなしだな!」
高梨さんはすべてのてるてる坊主を吊るすと、満足そうに見渡した。
「ちなみに明日の天気は晴れだってさ」
スマホの天気予報を確認しながら言う。
「……ふん、龍神様と契約しているボクがこれだけ頑張ったんだ。明日は雨間違いなしさ」
「そんなに自信があるなら別にいいけど。それよりもさ、もっと根本的な解決策を考えた方がいいんじゃない?」
「根本的な解決方法? たとえば?」
「友達作るとか」
「……それができたら苦労はないだろ」
「それもそうだね」
「まあ、明日は雨天中止になるはずだから別に問題はないさ」
「……ねえ、高梨さん」
「ん、どうした?」
「明日なんだけどさ。もしも雨が降らなかったらどうするつもりなの?」
「…………」
どうやらなにも考えていないらしい。詰めが甘いというか、なんというか……
……ふと、画期的な解決方法を思いついた。この方法ならば、高梨さんもフォークダンスを踊ることができるのだが、はたして了承してくれるだろうか?
「高梨さん。もしも明日晴れたら、一緒にフォークダンスを踊らない?」
「…………すまん、もう一度言ってくれないか」
「もしも明日晴れたら、一緒にフォークダンスを踊ろうよ」
「……ボクでいいの?」
「うん。明日、万が一晴れたらだけど」
「そ、そうか……まあ、キミがそこまで言うのなら、一緒に踊ってあげようじゃないか」
高梨さんはニヤニヤしている。きっと嬉しいのだろう。
「そういうことなら、このてるてる坊主はいらないな。キミも片づけるのを手伝ってくれ」
てるてる坊主を片づける高梨さん。
「ふふっ、明日が楽しみになってきたな」
そうつぶやく表情はとても嬉しそうで、今まで見たことがない表情だった。
翌日、昨日の雨乞いなんかまったく効果がなかったようで、雲一つない快晴だった。
体育祭は時間通りに開始され、滞りなく種目が消化されていった。特に種目に出る予定のない高梨さんと自分は、教室の窓から校庭の様子を眺めていた。
昼休みを終え、最後の種目であるクラス対抗リレーが終わる。閉会式が始まり、順位が発表された。
だが、閉会式の最中に、急に雨が降り出した。すぐに閉会式は中止となり、生徒たちは校舎の中へと避難する。
高梨さんと踊る約束をしていたフォークダンスは、閉会式の後の後夜祭でのプログラムだ。閉会式が中止となった今、後夜祭の開催は絶望的である。
「雨……まさか降るなんてね」
生徒用玄関から外の様子をうかがう。雨は大降りに変わり、止む気配はない。
「ははは……ボクの雨乞いが強力すぎたのかな?」
体操服姿の高梨さんが顔を伏せながら言った。楽しみにしていたフォークダンスが踊れなくてショックなのだろう。
空を見上げながら思わず舌打ちをしてしまう。なんてタイミングが悪いんだろう。せっかく高梨さんが楽しみにしていたというのに。
校内放送が流れてきた。どうやら、後夜祭は雨のため中止。片づけも明日以降に行うので、生徒は下校するようにという内容だった。
「残念だがフォークダンスはなさそうだな。キミはもう下校したらどうだ?」
「高梨さんは?」
「ボクは雨が止むまで下校できないから……だからキミは先に帰ってくれ」
高梨さんは悲しそうな顔で、雨が降る校庭を見ていた。よほど楽しみにしていたのだろう。
その悲しそうな顔を見て、ある決心をした。
「高梨さん」
「ん、どうした?」
「一緒に踊ろう?」
「…………ごめん、もう一回言ってくれるか?」
なんか昨日も同じようなやり取りをした気がする。だが、もう決心したんだ。
「一緒に踊ろう」
「踊るって、ここでか?」
「違うよ」
「じゃあ、どこで?」
「校庭で」
高梨さんへと右手を差し出す。
「キミ、いったいなにを言っているんだ。ボクは雨に当たると消えてしまうと言っているじゃないか!」
「うん。知ってる。それでも、高梨さんと一緒に踊りたいんだ」
高梨さんの顔が赤くなっていく。
「ボクが……消えてもいいっていうのか?」
「ううん。そんなわけないよ。でも、高梨さんの悲しそうな顔、もう見たくないんだ」
高梨さんの右手を無理やり握る。
「ちょ、ちょっとキミ!」
驚く高梨さんの手を引っ張り、校庭へと向かう。高梨さんは抵抗する様子もなく、手を引かれるまま、一緒に校庭へと出てきた。
雨が降っている。体中に雨粒が当たる。冷たい。そしてもちろんそれは、高梨さんも同じだろう。
「…………」
高梨さんは黙ってうつむいたままだ。髪が雨で濡れ、毛先から水が滴っている。
「雨に当たっているのに、なかなか消えないね」
そう言うと、高梨さんは自分を見上げてきた。いつもは勝気な印象を受けるつり目だが、今はとても弱々しく、儚げに見える。
「……キミ、思いのほかイジワルなんだな」
視線を反らす高梨さん。
そう、雨に当たったからって消えるわけがない。そんな人間、どこにいるというのだ。
「嘘だって、いつからわかっていたんだ?」
「はじめから。そんなの、みーんなわかってたと思うよ」
「そう……なのか?」
上目使いで見てくる高梨さん。
「さすがに雨の日を全部休むっていうのはやりすぎなキャラ付けだったと思うけどね」
高梨さんは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「さ、高梨さん。一緒に踊ろう」
握ったままだった高梨さんの手を一度放す。そして、改めて手を差し出した。
「……ああ、よろしく頼む」
差し出された手が握り返される。
雨が降る校庭。ずぶ濡れになりながら、二人で踊った。自分と高梨さん以外、誰もいない。誰も見ていない校庭で、クルクルと踊る。
「高梨さん、今日は薄いピンクのブラなんだね」
「なっ!? 見るんじゃない!」
また高梨さんの顔が真っ赤になった。見るなと言っても、濡れた白い体操着が肌にぴったりとはりついているのだから、気にしない方が無理だろう。
「可愛くて似合ってると思うよ」
「ふ、ふん! そういうキミだって、今日は水色のブラなんだな」
「似合ってる?」
「えっ!?」
「似合ってないの?」
「いや、似合ってると思うが……って、いったいなにを言っているんだボクは!」
「そんなに恥ずかしがることないって。ここ女子高なんだしさ」
「そういう問題じゃない!」
それからお互いに笑いあう。笑いながら、二人で踊った。
雨を全身に感じながら。そして、新しい友人の手の温かさを感じながら。
雨よ降れ! 北窓なる @naru_kitamado
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