イケメンウイルス

花 千世子

イケメンウイルス

 椎名文直しいなふみなおは、子どもの頃からまったくと言っていいほど風邪をひかない。


 小学生の頃にクラスの友人数名が風邪をひいていても、うつることはなかった。


 中学も、そして高校生になった今も、風邪をほとんどひかないし、インフルエンザにもかかったことがない。


 家族や友人に『なんとかは風邪ひかないっていうもんな』と言われても、文直は気にしなかった。


 だって、風邪をひかないほうがずっといいのだ。


 一度だけ、本格的な風邪をひいたことがあるのだけど、くしゃみは出るし、鼻水は止まらないし、熱で体はだるいし、頭痛もあるしで、最悪だった。


 そんな経験をするくらいなら、バカのままでいいとすら思う。


 それになにより、丈夫な体が一番だ。


 ……そう思っていたはずなのに、今、直文はこの丈夫な体が憎らしい。


 自分の願いが叶うとしたら、絶対にこう願う。


 どうか、新型インフルエンザにしてください! と。


 それは別に『インフルエンザになったら学校を何日も休めるし、ちょっと気になっている女子に心配されるかも』という理由ではない。


 もっともっと切実なものだ。




『それでは、今日はバレンタインデーにどれくらいチョコをもらったのか、街角の男子に聞いてきました!』


 テレビで流れているのは、やけにテンションの高い朝の情報番組。


 文直はなんとなくテレビに視線を向ける。


 画面には、やけに整った顔立ちのイケメンアナウンサーが『私は今年は義理チョコばかりでした』と苦笑いをしていた。


 うそつけ、本当はそれ義理じゃねーんだろ。


 心の中で毒づいて、すっかり冷めてしまったトーストをかじる。


 街角インタビューに答える若者も、サラリーマンも、文直の父親くらいの年齢の中年男性も、みんな外見に恵まれていた。


 その様子を文直はカフェオレを飲みながら、眺めていた。


 胸の中に焦りが生じる。


「一般の人にもイケメン増えたよねー。やっぱ例の『関東大感染』のせいかな」


 斜め向かいで同じようにテレビを観ていた妹の綾子が独り言のように言った。


「だろうな」


 文直は、それだけ答えて残りのトーストを食べ終え、カフェオレを一気に胃に流し込んだ。


 そして、ダイニングを出て大股で洗面所へ。



 洗面所の鏡には、ブサイクな男が映っていた。


 もちろん、文直の顔である。


 自分だけが思っているわけではなく、自他ともに認めるブサイクなのである。


 そのせいで文直は今のところ、十六年彼女がいない。


 せめてもう少しマシな顔だったら――知らない女性にすれ違いざまいに『きも』とか笑われないくらいの外見だったなら。


 文直は大きな大きなため息をつく。


 だが、歯磨きの度に鏡を見て落ち込むのは、もう毎朝の儀式のようなものだ。

 

 顔は変わらないから、俺は日陰で一人で生きていく。


 文直があきらめかけていた頃に、『関東大感染』が起こった。


 東京を中心とした、埼玉、神奈川、千葉の一部地域で、新型のインフルエンザが大流行したのだ。


 それが、ちょうど、二年前の今頃。


 この新型インフルエンザ、何が新型なのかというと、軽い風をひいたあとで、顔が変わる。


 自分の理想の外見に顔が変わるという、前代未聞のウイルスだ。


 しかも、顔が変わるのは今のところ男性限定。女性は感染しても軽い風邪のみで顔は変わらない。


 おまけにこの新型のインフルエンザは、顔を変えるだけで、あとは悪さをしない。


 だから死者も重病人もでなくて、さらには男性に限って外見が良いほうに変わる、ということから積極的にワクチンが研究されていないのだ。


 そして、変わった顔は二度と元に戻らないという研究結果だけが、やたらとイケメンぞろいの白衣の学者たちによって発表もされている。


 つまり、新型インフルエンザにさえかかれば、人生の勝ち組になれる。


 文直は、そう確信して、新型インフルエンザがこの地域まで流行するのを、今か今かと待っているのだ。


 都心で大流行したんだから、北関東でだって流行する。


 そんな期待を胸に、最近は積極的に外に出かけるようにしていた。


 学校だって行くのが楽しみになったくらいだ。


『大感染』の時にたまたま東京に旅行をしていた二組の男子は、イケメンになって戻ってきた。


 そして、インフルエンザの仕業だと女子もわかっているものの、やっぱりそいつはイケメンになってから、モテていた。


 文直は、歯を磨きながら思う。


 今日こそ、クラスの誰かが軽い風をひいていたり、突然、顔が変わって登校していたりしますように、と。


 そんな願いを今日も胸に抱きつつ、学校へと急ぐ。


「おはよう、椎名」


 そう言って挨拶をしてきたのは、文直の中学時代からの友人の|四ツ谷蓮太郎≪よつやれんたろう≫だった。


 四ツ谷も、文直に負けず劣らずユニークな顔をしている。おまけに四ツ谷は骨と皮だけみたいなガリガリ体型、文直はガタイは良いものの頭が大きいので、陰で『モンスターコンビ』だとか『魔王軍』と呼ばれていることは知っている。


 それでも、今日もひっそりとすみっこのほうで無害に生きているのだ。


 文直は四ツ谷とゲームやアニメの話をしながら、教室にたどり着く。


 しかし、今日の一年一組の雰囲気はなんだか様子がおかしい。


 他のクラスの奴らが、教室の前の廊下から教室を覗いているのだ。


 文直と四ツ谷は、顔を見合わせつつ中へと入る。


 すると、クラスメイトは隅に寄って何やらひそひそと話していた。


 クラスメイトの視線が注がれているのは、中央の席。


 その席で授業の支度をしている男子を、文直は知らない。


 あそこは、確か田中の席じゃなかったか。


 だが、今その席でせっせとノートをカバンから取り出しているのは、俳優のような彫りの深い顔立ちの男。


 年齢は自分たちと同じくらいだし、背格好も田中と似ているが、顔がまったく別人だ。


 昨日までの田中は、さえない顔で……。


 文直は、そこまで考えてハッとする。


「もしかして……」


 文直に続いて四ツ谷も口を開く。


「ああ、新型インフルエンザ、だろうな。そういえば、風邪っぽいとか言ってたな」


「え? そうなのか?」


「ああ、昨日、購買でそんなこと言ってるのを聞いただけなんだが」


「そうか……」


 文直はそう言ったものの、田中に近づけないでいた。


 きっとまだ感染する可能性はあるとは思う。


 だけど、いま、近づいたら絶対に目立つし、クラスメイト全員から『あいつ感染したいんだ』という魂胆が見え見えだ。


 どうしたら、田中に自然に近づけるのか。


 そんなことを考えていたら、「よお、田中、だよな?」と一人の男子が声をかけた。


 やるな! リア充グループの雰囲気イケメン!


 文直が感心していると、それに続いて男子がどんどん田中の周りを囲んでいく。


「やべえ。これじゃあ近づけねえ」


 文直がそう言葉にすると、四ツ谷が驚いたように言う。


「え?! お前、まさか、新型に感染したいの?!」


「そりゃあそうだろ!」


「だって、顔がまったく変わるって話だぜ」


「むしろ、それ目当てだ」


「一生戻れないって噂なのに?」


「一生、今の顔でいたくないんだよ!」


「気持ちはわかるけど、俺はそれでイケメンになるのは、なんか違う気がする……」


 四ツ谷の言葉は、文直には理解できないものだった。


 そして、四ツ谷は小さく呟く。


「だって、インフルエンザで顔が別人になるとか、なんか怖いじゃん」


「この顔のまま人生過ごすほうが怖いよ」


 文直はそう言うと、田中に近づこうとするが、既に大勢の男子で囲まれていて田中の姿さえ確認できない。


 これじゃあ感染できないし、それどころかクラスの男子にどんどん先を越されてしまう。


 そこまで考えて文直は「ああ、そうか」と頷く。


 むしろ、これでクラスの男子がぞくぞくと新型インフルエンザに感染してくれれば、どこを見ても感染者だらけになるだろう。


 文直は誰かに近づかなくても、学校に行くだけで感染できる、というわけだ。


 これで俺も勝ち組の仲間入りだ。


 文直はそう確信して、小さくガッツポーズをする。


 そして、自分の席についてから考えた。


 感染するためには、風邪にかかりにくい丈夫なこの体をなんとかしなければいけない。


 そのためには免疫力が落ちている状態にしなければ。


 さすがに免疫力が落ちれば、自分だって感染するだろう。


 

 前に一度だけ風邪をひいた時は、どんなことをしていたっけ。


 文直はそんなことを思い出しつつ、授業そっちのけで記憶を手繰り寄せる。


 そういえば、母が仕事で忙しくて自分の好きなものばっかり食べていて、野菜はほとんど摂らなかった。


 よし、それだ。


 もう野菜は食べない!


 ああ、そういえば、夜ふかしも多かったな。


 深夜アニメ観まくり、ゲームし放題のせいで睡眠時間を削っていた。


 さらにスマホで『免疫力 低下』で検索をしてみると、運動不足やストレスが多い生活も、免疫力が落ちる原因だと書かれてある。


 つまり、偏った食事を心掛け、徹夜をしまくり、さらにはストレスを多くすればいいのだ。


 もともと運動音痴だから、そこは心配いらない。


「今日から頑張るぞ」


 文直は、免疫力を落とすべく、不規則で不健康な生活を送る決意をした。

 


 昼は、菓子パンとジュースで過ごし、放課後はコンビニに寄ってお小遣いでお菓子やジュースを大量に購入。


 今日からしばらくは、ご飯これで済ます。


 家に帰ってキッチンへ行き、買ってきたジュースを冷蔵庫にしまっていると、テーブルの上に母のメモがあるのを見つけた。


 どうやら、今日も仕事で遅くなるらしい。


 カレーライスがあるそうだが、これは食べないほうがいいだろう。


 カレーは好物だが、我慢しなければ。


 文直は、「しかたがない」と呟き、自室へ戻る。


 部屋でスナック菓子を食べながら、ぼんやりと考えた。


 もし、感染したら、どんなイケメンになるんだろう。


 ああ、そういえば、『感染者の理想の顔に変わる』はずだ。


 自分の考えるイケメン……ぼんやりしている……。


 これでは、この靄のかかったような顔が理想になるのか。それじゃあまるでオバケだ。


 文直はそう考えて、スマホで今時のイケメンの顔を検索する。


 彫りが深く濃い顔や塩顔と言われる彫りは深くないものの、整った顔立ちの顔、女の子みたいな顔立ちの中性的な顔立ちもいい。


 だけど、ガタイが良いから、女の子みたいな顔立ちは似合わないだろう。


 今日の田中を見る限り、体型や顔のサイズ、身長なんかは変わらないようだ。


 この顔で似合う顔立ちは、やはり彫りの深い顔立ちだろう。


 文直はそう結論を下すと、彫りの深い顔立ちの俳優やモデルなどの写真を見て、理想の顔を探す。


 そこで、スマホを持つ手がぴたりと止まる。


 もし、理想の顔立ちが俳優やモデルであれば、顔が一緒にならないか?


 そんなことを考えつつ、アニメを見るべくリビングへ行くと、ちょうどテレビで新型インフルエンザについての特集をやっていた。


 司会者が医者に『自分の理想の顔に変わるのだとしたら、同じような顔の人が増えてしまうのではいのですか?』というなんともナイスな質問。


 医者は答える。


『えー、完全に顔を変えてしまうわけではありません。元の患者さんの顔が、その患者さんの描いていた理想の顔に変化するので、やはり基本は患者さんの顔なんです。だから、俳優やモデルと多少は似ても、別の顔になるんです』


 なるほど。じゃあ、俳優と同じ顔にはならないわけだな。


 万が一、俳優と同じ顔になってしまったら、ややこしいことになりそうだ。


 文直は、その疑問が拭えてホッとした。


 これで、心置きなく免疫力を下げることができるというわけだ。


 

 不規則な生活というのも、なかなか楽ではない。


 文直がそう実感したのは、免疫力低下生活から三日目のこと。


 ちなみに、まだ風邪のような兆候は見られない。


 だから、ライフスタイルを変えるわけにはいかないのだ。


 それにしても、三食、お菓子もしくはカップラーメンや菓子パンで過ごしていると、どうしても飽きがきてしまう。


 ウィンナーを焼いてご飯に乗せて食べるとか、目玉焼きくらいなら作るのだが、できれば、お菓子などで過ごすのが理想だ。


「なんかちょっと飽きたな」


 文直はベッドの上でポテチを口に放りこみつつ、自室を見回す。


 漫画やゲーム、脱いでそのままの服やお菓子の空き箱や空のペットボトルなどのゴミで散らかり放題だ。


 いつもは文直が学校へ行っている間に母が片づけてくれていたのだが、今、母は仕事で忙しい。


 だから、部屋の掃除くらいは自分でしてね、ということなのだが。


 文直は掃除が嫌いだ。


 放っておくといつの間にか部屋が汚くなる。


 しかし、きれいに整頓された部屋よりも、散らかっているほうが落ち着く。


 文直は、そこでふと思い出す。


 そういえば、免疫力をを下げるためには、ストレスのある環境がいいとネットに書いてあった。


 この心地良い環境はマズイのかもしれない。


 文直は「やっべ!」と飛び起きて、部屋の掃除を始めた。


 そして、ゴミ袋に適当にゴミを突っ込んでから、手をぴたりととめる。


 いつもは、ゴミを袋に突っ込んでおけば、母が分別してくれいた。


 だって、分別するのは面倒だから。


 だけど、面倒でもゴミをきちんと分別をすれば、面倒だからそれがまたストレスになるかもしれない。


 そう思って文直は、ゴミを分別し始めた。


 これもイケメンになるためだと思えば、我慢ができる。



「……うそだろ」


 次の日、教室に入った文直は驚きでドアの前で硬直した。


 なぜなら、クラスの男子で、見たことのない顔の奴が数名いるからだ。


 しかも、みんなイケメン。


「なんか田中が新型に感染してから、うちのクラスの奴らにも感染者が増えたなあ」


 背後で声がしたので振り返ると、四ツ谷が眉間に皺を寄せている。


 その姿は、いつも通りで文直はホッと安心をした。


 そして、再び教室に視線を戻す。


 イケメンになった男子は女子に声をかけられている。


 笑顔で話しているところを見ると、からかわれているわけではなさそうだ。


 文直は、羨ましいと感じると共に、無性に焦りを感じた。



 その日は、家族が外食にそろって出かけた。

 

 絶好のチャンスだが、免疫力を落とす良い方法は浮かばない。


 あれこれと考えつつ、テレビをつけて適当にチャンネルを変える。


 すると、アニメが放送していた。


 ちょうど、主人公がうっかり川に落ち、びしょ濡れになって風邪をひくというシーン。


 それを見て、文直は閃いた。



「なんで今まで、この方法を思いつかなかったんだろう」


 文直はそう言って、風呂場へ直行。


 そして、蛇口をひねってシャワーを浴びる。


 服のままで。


 服のままずぶ濡れになれば、さすがにこの丈夫な体でも風邪をひく、と考えたのだ。


 もちろん、お湯ではなく水。


 頭から水をかぶると、驚くほど冷たいが、これもストレスになる、これで風邪をひけると思うとなんてことはない。


 そして、全身、びしゃびしゃになり、そのまま浴室を出た。


 本当は温まらずにこのまま乾くまで放置したほうが、風邪をひけそうだが。


 しかし、もたもたしていると家族が帰ってきてしまう。


 しかたがないので、バスタオルで服ごと体を拭いて、それから自室でじっとしていることにした。


「これで、俺も、イケメンの仲間入り」


 そう呟いて、文直はガタガタと震えながらニヤリと笑う。



 次の日の朝。


 文直は、急いで学校へ行った。


 なぜなら、ほんの少しだけ風邪っぽいからだ。


 もしかしたら、これは新型のインフルエンザに感染したのかもしれない。


 しかし、確証がない。


 だからこそ、感染者が多いであろう学校へ行って、確実に感染をするつもりなのだ。


 文直は、最初こそ躊躇したが、ウイルスによるイケメン軍団や、咳やくしゃをしている奴らに積極的に近づいた。


 近づいたと言っても、話しかけるわけではなく、ただ本人に気づかれないように、そばにいるだけだ。


 その甲斐あってか、文直は昼には頭痛と咳が出るようになった。


 このまま学校にいるべきか、それとも早退をして家でニヤニヤゴロゴロしながら過ごすか。


 どっちにしようか考えていたら、誰かに肩を叩かれる。


 振り返ると、マスクをつけた四ツ谷が立っていた。


「四ツ谷ってお前、さっきまでマスクなんかしてなかったのに……まさか!」


「いや、椎名が風邪っぽいから感染防止だ。バイト休めないんだよ」


「でも、もし、俺が新型ウイルスに感染してたら、お前だってイケメンになれるんだぞ?」


「俺は新型ウイルスに感染しても、今の顔を理想として浮かべて顔を変えない」


「え?」


「それは、自分の顔に自信があるとかそうじゃなくて、この顔でも好きになってくれる女子がいるって思いたいからだよ」


 四ツ谷はそこまで言うと、照れくさくなったのか、「早く治せよ!」と大股で廊下を歩いて行った。


 その細い背中を眺めながら思う。


 あいつ、ロマンチストだなあ。


 でも、現実はそんなに甘くない。


 イケメンが正義なんだよ。


 文直はそう考えて、教室に入ろうとした途端、咳が出た。


 なんだか頭がふわふわしてきたし、寒気もする。


 

 結局、文直は三十七度五分の熱で早退となり、その後もどんどん熱が上がった。


 三十八度越えの熱、頭痛、寒気。


 自室のベッドにもぐり、人生で二度目の風邪の症状に耐えながら、口の端を吊り上げる。


 もうすぐ、もうすぐでイケメンになれる。


 ああ、そうだ。理想の顔を、思い描いておかなければ、と考える。


 これまでの不規則生活で、理想の顔を決め、その写真を何度も眺めてきた。


 だから、目をつぶれば、その顔を容易に想像することができるのだ。


 俺はあのイケメンに生まれ変わる!


 そう考えた途端、文直は深い眠りに落ちた。



 目が覚めると、開けっ放しになったカーテンから見える外の景色は真っ暗だった。


 時刻を確認すれば、午前一時を過ぎている。


 随分と眠ってしまったが、体は軽いしどこも痛くもなく、寒気もなし。


「治ったのか?!」


 文直は大慌てで洗面所の鏡で自分の顔を確認。


 ワクワクしながら、鏡を覗くとそこに映るのは見慣れた自分の顔だった。


 大きな大きなため息をつき、がっくりとうなだれる。


 もしかしたら新型インフルエンザではなく、ただの風邪なのかもしれない。


 それとも、まだ新型インフルエンザに感染したばかりでこれから顔が変わるのかもしれない。


 さまざまな可能性を考えつつ、文直は理想のイケメンを常に思い浮かべることにした。




「さすがにこれは新型インフルエンザじゃないよなあ……」


 文直は、洗面所で自分の顔を鏡で確認して、ため息をつく。


 もう一週間が経ち、すっかり風邪は完治していた。


 しかし、顔は一向に変わらず、それでもついつい毎朝、鏡を確認してしまう。


「また、不規則生活しながら、シャワーも浴びなきゃな」


 文直は、鏡の中の自分に呟き、ため息をつく。


 イケメンになるのも楽ではない。


 だけど、あと少しまできているような、そんな気がしているのだ。


 人生の勝ち組になるまで、もうすぐだ。



 

 ……なんて考えていた時期が懐かしい。


 文直は、今日も今日とて、己の顔を鏡で眺めてため息をつく。


 変わらない顔。ぶっさいくな顔。


 丈夫な体が憎らしい。


 文直のクラスで新型インフルエンザに感染した奴が出て、そして感染が広がったのも、もう一年前。


 トイレを出て教室に戻ると、クラスの男子の半数以上がイケメン。


 しかも、みんなインフルエンザに感染して顔が変わった奴らばかりだ。


 それどころか、関東全域、関西にまで感染は広がり、道を歩けばイケメンに当たる、というレベル。


 どこへ行っても、イケメン、イケメン、イケメン。


 みんな、新型インフルエンザで、勝ち組の人生を手に入れているというのに……。


 あれから熱心に不規則生活を送っているし、服のままシャワーを浴びたけど、風邪をひくことすらなくなった。


 大きなため息を一つ。


 今日は、四ツ谷でも誘ってゲームをするかと考え、姿を探す。


 席にはいないし、教室にもいない。


 廊下を見ると、四ツ谷の横顔を発見。


 あいつの顔も変わらない。


 そんなことを考えていて、ふと気づく。


 女子数名と、四ツ谷が何やら楽しそうに話しているではないか。


 しかも、四ツ谷を囲む女子はみんなかわいい。


 驚きで文直は立ち上がったが、そこでふと冷静になる。


 きっと、誰かクラスの男子への告白を手伝ってくれとかそういうお願いをされているだけだろう。


 そうに違いない。


 ブサイクは、損なのだ。モテやしないのだ。

 


 家に帰ると、何だか咳が出る。体もだるい。


 以前の文直であれば、『新型インフルエンザかも!』と喜んだものだが、今は期待はしない。


 自分の体の丈夫さは、自分が一番知っている。


 もう、『イケメンになれるかも』なんて思って、ワクワクして、鏡を見てガッカリするのは疲れた。


 頭痛までしてきたので、文直は制服のままベッドにダイブ。


 するとすぐに、睡魔が襲ってくる。



 自室のドアが勢いよく開いて文直は目を覚ました。


「お兄ちゃん! ご飯!」


 妹がそう叫んで、文直の顔を見て、驚いたような顔をした。


 それから一言。


「だれ?!」


「は?」


「あんた、誰?!」


「兄だけど」


「いや、だって顔が全然、違うし!」


 妹はそう言って首を左右にぶんぶん振って後ずさりをする。


「顔が違うって何……」


 文直はそこでハッとして、勢い良く階段を降りて洗面所へ走った。


 恐る恐る鏡を見ると、そこにいたのは、文直ではなかった。


「イケメン、だ」


 正直は、自分の顔を手で触れてそう呟く。


 鏡の中にいたのは、まるで俳優のような彫りが深くて整った顔立ちの人物。


 しかし、その顔はどうやら自分のものらしい。


 文直はしばらくぽかんと口を開けたまま、鏡を見つめ続ける。


 それから、数十秒遅れて体の底から喜びが湧き上がってくるのを感じた。


「いやったー! イケメンになれた! 新型に感染したんだ!」


 正直はそう叫んで、その場で何度も何度もジャンプをした。


「喜んでるところ悪いんだけどさー」


 ふいに、綾子が声をかけてくる。


「なんだ?」


「なんでイケメンになっちゃったの? もったいなーい」


「はあ?! なんでもったいないんだよ! これで俺もモテモテ勝ち組人生!」


「違うんだなー。これが」


 それだけ言うと、綾子は文直の腕を引っ張ってリビングへ。


 テーブルの上に置かれていた雑誌を綾子は手に取り、パラパラとめくってから手を止め、文直に見せる。


 見せられたのは、『今の時代はイケメンじゃない! ブサイクがモテる!』と大きな文字で書かれたページ。


 そのページにはさまざまなタイプのブサイクと女の子のツーショット写真が載っている。


 よくよく読んでみると、そのブサイクたちは、みんな彼女がいるというリア充らしく、おまけにブサイクらの彼女はそろいもそろって美少女。


 文直は眉間に皺を寄せて言う。


「なんの冗談だ。まだエイプリルフールには随分と早いぞ」


「冗談じゃないよ。新型インフルエンザの影響でイケメンが増えすぎて、みんな見慣れちゃったんだよ」


「そうは言ったって、イケメンがいいんだろ?!」


「ううん。特に、新型インフルエンザでイケメンになる人は、『自分はもうイケメンだから何もしなくてもモテる』って勘違いしてる男子多くて、偉そうだったり、いきなり女遊び始めたりする人までいてイメージ悪いの」


「そんな奴は一部だろ、一部!」


「どっちにしても、イケメンが増えたのは事実だよ」


 綾子の言葉に文直は、自分のクラスの男子を思い出す。


 確かに、本当にイケメンは増えた。もう半数以上がイケメンだ。


 自分のクラスだけではなく、学校にいれば、あちこちに顔立ちのやたら整った奴らがいる。


 文直は、そう思って納得しかけるものの、こう言う。


「いや、イケメンは、モテるんだよ!」 



 次の日、文直はなんだか複雑な心境で学校へ向かう。


 ネットで調べて見る限り、『新型インフルエンザの影響でブサイクがモテる』という情報は確かに存在はしていた。


「だけど、俺は、信じない!」


 そう呟きながら、早足で学校まで歩き、下駄箱で上履きに履きかえていると。


「あのー」


 後ろから声をかけられ、振り返ると、ものすごくかわいい女子がいた。


 しかし、彼女は文直を見るやいなや、「椎名君と間違えました!」と謝ってくる。


「椎名は、俺だけど!」


 勇気を出してそう言ってみると、女子は振り返りこちらを見た。


「え、でも顔が全然ちがうから」


「新型インフルエンザで」


「ああ。そうなんですか」


「何か、用事があったんですか?」


 文直の言葉に、女子は悲しそうに言う。


「前の顔のほうが、好きだったのに」


「え?!」


「カッコイイ顔なんて今時、流行らないよ……」


 女子はそれだけ言うと、走り去って行った。


 訳がわからないまま、ぼんやりと立っていたらすぐ後ろを通り過ぎていくクラスの女子の会話が聞こえてくる。


「四ツ谷君ってブサイクでかわいいよねー」


「わかるー。他の男子と全然、顔ちがうし、純粋で超萌える!」


「あたし、四ツ谷君に告白しちゃおっかなー」


「えー! ずるーい! 私も彼氏にしたい!」


 その会話の意味を理解するのに、文直はしばらく時間がかかった。


 つまり、文直が一番、なりたくてなりたくてたまらなかったイケメンは……。


 どうやら時代遅れらしい。

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