杉ちゃんのクリスマス(身延線、沼久保駅)
杉ちゃんのクリスマス
私は、この町が嫌いだ。便利な物は何一つなく、年寄りばかりが偉ぶって、若いと言うだけで罪人扱いするこの町が嫌いだ。本当に嫌いだった。何もかも嫌だった。一応、家の近所に走っているJR身延線の沼久保という駅はあったが、東京駅はおろか、身延線の終点となっている富士駅よりもはるかに粗末な形をしていた。だから、人通りだって、非常に少ない。電車に乗る人も果たして何人いるんだろうか、わからないほどだった。
ところが、、、。
父がいきなり、駅前にケーキ屋をオープンさせると言い出して、言い出したら聞かない父は、すぐに実行に移してしまった。元々、富士宮市内の料理専門学校で講師をしていた父は、ケーキ屋さんになりたいという夢を、男の癖にもっていたらしい。理由としては、30年近く料理学校で後進の指導に当たっていたが、無事に定年退職をしたのが表向きの理由だが、他にも、重大なものがあった。
それは私、そう私の面倒を見るためである。
原因は私であって、他には何もない。定年なんて、還暦が来れば自然にやってくる事だし。私が、働けなくなったから、父は定年後もケーキ屋をしなければならないのだ。一日悠々自適なんて、もったいない言葉だから父ちゃんはまだ働くよ、何ていう事を言っているが、本当は私が働けなくて、お金を稼ぐ事ができないがために、働かなければならないだけの事である。
そういうわけで私は家にいて、父と母が店に出るという生活がはじまった。私は、どこかに出ても良いとは言われていたが、一人ではできなかった。なぜかというと近隣のおばさんたちは、あれ鮎子ちゃん、仕事はどうしたの?と必ず聞いてくるからだ。今休んでいると言えば、早く復帰しなさいよ、と変なお節介をしてくれる。中には、親は期限付きだよ、早くしないとお金がなくなって、犯罪者になっちゃうよ、何ていう失礼な心配をしてくれる人も少なくない。つまり、ここでは、働いていない人間がいると、どうしても、悪人にしたくなるという傾向があるようなのだ。自動的に、おばさんたちが怖いと感じるようになった。私は、部屋に引き篭もった。そういうおばさんに会わないようにするには、そうするしかなかったのだ。女の人の顔を見たら、そういう言葉が飛び出すのではないか。それだけは言われたくないから。
そうなると、父と母は、私を病院に連れて行き、私は対人恐怖症という診断を下された。でも、この方がかえってよかった。病院の薬で自動的に眠れれば、怖い気持ちを味わう必要もないからだ。母は、薬は異物だからやめろというが、私はそれだけが、この気持ちを消してくれる道具だと言い張って、いつも大量の薬を飲んでいた。
「鮎子。明日一日だけで良いからな。店を手伝って見ないか。」
ある日、夕食を食べていると、父がそう言い出した。
「無理にとは言わないけどさあ。丁度これからクリスマスで、忙しくなるのさ。ちょっと手伝ってほしいんだよ。」
何を言う、私が店に出たら、例のおばさんたちがさっとよってくるのではないか?
「それに、クリスマスのときは、富士宮以外からもお客さんが来るのよ。近所の人は割とこないから大丈夫。」
母はいつでもどこでもやさしいのだが、母にそう優しく言われると、私はかえって怖くなってしまう。
「やってみましょうよ。お客さんとの話は、お母さんがやるから。あんたは黙ってレジをやってくれればそれでいいわ。」
「それに、無理だと思ったら、すぐに戻ってくれていいよ。一時間だけでも、手伝ってくれればそれでいいさ。それだけでも大助かりだ。」
母と父に相次いでそういわれて、私は仕方なく一時間だけケーキ屋に出ることにした。
翌日、私は、母から店の指定エプロンを差し出されて、それを身に着け、一緒に店に立った。「越廼菓子店」と書かれた看板を見て、何だこれ、と思わず笑ってしまう。一応、ケーキ屋がメインであるが、同じ店舗内に、お茶を飲めるカフェも併設しており、長時間いるお客さんも結構いた。そのお給仕は母の役目だった。私は、ケーキ販売スペースで、なれないレジを打つのを手伝わされた。
やっぱりもうずぐクリスマスなのか、ケーキを買っていくお客さんも多い。次の人がいるからと言ってすぐ帰っていく人が多いのが、私には救いだった。
さて、もうすぐ約束の時間だから、戻ってもいいかしら、と私が母に言おうとしたその瞬間、、、。
「こんにちは。」
急に店のドアが、ガチャっと開く。
そして、着物姿の人が入ってきた。一人は、黒の着流しだったが、もう一人の黒の羽織袴を身に着けている人は、そう、はっとするほど綺麗だった。
「いらっしゃいませ。」
母が丁寧にご挨拶した。
「あ、どうも。ここでなにか食べさせてくれ。ついでに土産のケーキも買っていく。」
と、着流しの、車いすに乗っている男性が言った。
「お食事でしたら、こちらへどうぞ。どこでもお好きな席に座ってください。」
母に促されて、二人はカフェスペースに座る。車いすの彼にあわせて、あの綺麗な人もついていくが、どうも酷く疲れているみたいで、何だか歩くのがつらそうな様子だ。私は思わず、ケーキを売ることは忘れて、その人の近くにいてやりたい気持ちになった。
「あの、すみません。」
声をかけると、そのひとは振りむいた。本当に綺麗という表現がぴったりだ。美しいというのではもったいない。それどころではなくて、本当に綺麗。そのものである。
「もし、お辛かったら、何か手伝いましょうか?」
「いえ、大丈夫です。そうするのは僕じゃなくて、杉ちゃんの方ではないの?」
と、返事を返す彼。と、もう一人の杉ちゃんと呼ばれた人が、
「ほほう、手伝ってもらえるとは、やっぱりイケメンは得だなあ。」
と笑って返した。
「得なんて何もないよ。」
その人は笑ってそう返すが、急にふらついて倒れこむように椅子に座った。私はまた不安になってしまって、
「大丈夫ですか?」
と、彼に聞いた。
「あ、すみません。ご迷惑かけてしまって。」
「ご迷惑だなんて。」
私は笑ってごまかしたつもりだったが、
「姉ちゃん、薬漬けか?その顔じゃ。なんかそういう感じだよな。それじゃあ、その顔も台無しだ。」
と、杉ちゃんに言われてしまった。私は、気持ちを楽にしてくれる、薬のことを笑われて、ちょっとむっとした。
「怒っても、薬飲んでたら、通じないだろうよ。」
つまり、表情が変わらないというわけか。それでも大事な薬なのに、と反論しようとしたところ、
「僕も薬飲んでるけど、あんまり使いたくないです。飲んでも眠ってしまうだけですからね。」
と、例の綺麗な人がそういうので、私は言えなくなってしまう。
「鮎子、お客さんに注文はなにか聞いて頂戴。」
母に言われて、私は、テーブルのわきにあるメニューを差し出して、
「ご注文、決まりました?」
と、促した。
「あ、そうですね、それが、、、。」
と、例の綺麗な人がそういうので、またびっくり。
「そんなに悩むなよ。ケーキも拷問の道具だったと言いたいんでしょ?そういうことは、もう過去のものと思って、もういいって処理できないのがお前だな。」
ケーキが拷問の道具というのはちょっとよくわからない表現だ。でも、母がよく言っていたけれど、小さな子供がケーキを食べたいと言って泣くことがあった。それなのに、お前は食べれない体質だからケーキはダメだよ、と親が注意していた。それが、自分の体質なのだと受け入れてくれるのに、何年かかるだろう。大人になったらケーキは苦手だという人もいるかもしれないが、子供のころは、ケーキが苦手と発言すると、大笑いされて仲間外れにされることもある。
それと同じだと、私は思った。この店も、そういう子が増えているので、何か工夫をしなければならないなあと、私の父も話していた。
「ケーキが苦手ですか?」
母が、綺麗な人に尋ねた。
「え、ええ。まあ。」
「安心してください。うちは小麦粉だけではなく、そばケーキもありますよ。」
「え!そばケーキ!あるの!」
返事をしたのは、彼ではなく杉ちゃんである。
「はい。あります。鮎ちゃん、そばケーキのメニュー持ってきてあげて。」
「はい!」
私は、母に言われて急いでそばメニューと書かれた冊子を取ってきた。その人は、どうもすみませんと言われて、それを受け取った。
「へえ、そばケーキもいろいろあるんですねえ、、、。」
「さすがに、フランスのケーキ屋にはかなわないかもしれないけどな。」
綺麗な人に口をはさむ杉ちゃんが、なんだか私は嫌だった。
「生クリームも、苦手なようでしたら、豆乳に変更できますからね。」
母が優しく言うと、
「あ、ああ、クリームは苦手なので、僕はこのそば粉のシフォンケーキでお願いします。」
と、綺麗な人は言った。
「僕は、恒例のイチゴショート!」
単純な答えを出す杉ちゃん。
「わかりました。じゃあ、イチゴショートと、そば粉のシフォンケーキですね。飲物は?」
「あ、二人とも、コーヒーでいいや。」
「わかりました。じゃあ、すぐに持ってきます。」
母はすぐに、厨房へ注文を言い渡しに行った。
「しかし、バラエティに富んだケーキを売っている店があるんだな。」
杉ちゃんが、そこを感慨深くいう。
「ええ。最近は、米粉のケーキも作っているんです。なかなか小麦のケーキが苦手という、過敏な子供さんも多いから、何かとケーキ屋も工夫が必要なんですよ。」
「そうでしょうね。僕たちは、とても助かります。こんなケーキ屋さんがあるなんて。なかなか、こういういろんなお客さんに向けてケーキを出してくれるお店は少ないですしね。」
「いえいえ、これからは、いろんな人に向けてケーキを出してあげないと。イチゴショートだけがケーキではないですから。うちの主人は、いろんな人がいて社会だって、そういってます。」
母がそういうと、
「なんだか、教育者みたいだね。何?学校の先生だったの?それが、ケーキ屋に転生したの?」
と、杉ちゃんが言った。
「教育者というか、料理学校で講師はしてましたよ。でも、結局誰もそだてられなかったけど。」
母が、残念そうに言う。これをいうのはどうも変だが、私は、父のそういう生き方に、腹が立ってしまうのだった。父は、確かに立派な人だ。それは本当だ。何十人の、ケーキ職人さんを育てて、父のもとで修業をした人たちは、それぞれ店を立てたり、レストランでケーキを作ったりしている。お父さんって、偉いのに、私のせいで、悠々とした生活もできず、まだ店をやっている。定年退職したというと、私のせいという事がわかってしまうので、どうかそれは言わないでもらいたかった。
「そうですか。だから、こういうバラエティに富んだケーキが作れるのかな。やっぱり一流の人はそこが違いますよね。なんだかすごく素敵ですよ。知識を見せびらかさずに、ケーキを作り続けるって。」
「まあ、ありがとうございます。誉めていただいたのは、久しぶりだわ。みんな、栄光を掴んだのに、また店をやるのかなんて、そんなことばっかり言うのよ。」
「いえ、いいんじゃないですか?生涯現役で。」
初めて、父のことを誉めた人物だった。父は、本当に寡黙な人で、一度言い出せば聞かない人、くらいしか、私は印象がなかったが。
「さあ、ケーキと、コーヒーですね。鮎子、あの人にイチゴショートもっていて。」
不意に私はそんなことを言われた。え、せめて綺麗な人のお給仕させてよ。なんて言いたかったが、せっかく父のことをやっと誉めてもらったばかりなので、ここで印象を変えたらかっこ悪いとぐっとこらえた。
「はい、イチゴショートです。」
鮎子が、杉ちゃんの前にイチゴショートを置くと、
「今度来た時は、そのぶっきらぼうな表情が取れるといいな。」
なんていわれる。
「しってるんだぜ。あんた、ほとんど外には出てなかったんじゃないのか?まあ、確かに人生、怖いもんもあるけどさ、こういうこともあるんだから、もうちっと人を怖がらなくてもいいよ。」
そうか、それも見破られてしまったか。私は、もうだめかと思った。
「大丈夫だよ。あんたの父ちゃんは、悪いことをしているわけでもないし。それよりもすげえ商売をやってるじゃないか。ケーキを売るって、夢を売る商売だよ。だって、誕生日にしろ、結婚式にしろ、ケーキは必ず登場する食いもんだ。そこを忘れるな。それを生涯現役でやってる父ちゃんはすごいよ。そう思え。」
杉ちゃんは、そう言いながら、ケーキを食べ始めた。
「そして、その祝い事ができる、家族もまたすごいんだぜ。」
「杉ちゃんって、すごいこと言うのね。私、びっくりしちゃった。」
私は、思わずびっくりしてしまった。とてもそういう発言のできる人のようには見えなかったからだ。
「もし、君がどこへ行くのか迷ったらな、君の父ちゃんのやっていることを見ろ。そして、そのケーキをどんなところに出しているのか、しっかり観察しろ。そうすれば、ある程度、わかってくるだろう。」
そうなのね、、、。
私が黙って考えていると、母が、例の綺麗な人の前にケーキを置いてしまった。
「何を言っているんです。もう、そんな立派な人じゃありません。うちの中では、テレビを眺めて、ぼーっとしているだけです。」
母がいつもの父のことを言ったが。
「でも、それができるんだから、素晴らしいことだぜ。」
と、杉ちゃんに笑われてしまった。
「あの、お味はいかがですか?」
私は、杉ちゃんにそういった。
「おう、意外にうまいぞ。イチゴショートって、むうっとして甘くてさ、なかなか難しいもんなのに、これはわりとさっぱりしてて、食べやすいよ。やっぱり上手だな。」
「あ、ありがとうございます。」
私は、そばケーキの感想ももらいたかったが、それはやめなさい、と母が言った。
「そばケーキしか口にできない人に、感想を求めるのはかわいそうでしょ。」
母にそっと言われて、私はがっかりしたが、すぐに気を取り直す。
「じゃあ、せっかく来てくれたんですし、クリスマスケーキは間に合っていますか?なんならうちでどうでしょう?」
こら、と母が私の腕を突くが、私は構わず続けた。
「クリスマスケーキ、もし、よろしければうちのそばケーキ買っていってくださいよ。どうせ、お宅もクリスマスパーティーはするんでしょう?」
「そうですね、しますけどね。」
彼はそういうが、どうでもいいという雰囲気で答えた。
「あら、クリスマスには縁がないんですか?だって、恋人さんとかいるでしょう?あ、もう白髪が少しあるから、おくさまかしら?」
得意になって私はそういってしまうが、綺麗な人は、別に否定はしないようであった。
「そうですねえ。それじゃあ、一ホールお願いしようかな。このそばシフォンケーキをお願いしていいですか?生クリームとか何も食べれないんですよ。」
「ええ!わかりました!」
「それじゃあ、どうしようかな。次に沼久保へ来られるのは、いつになるでしょう?」
彼は、手帳を取り出して、予定を確認し始めた。
「いいわ、イブの日にしておけ。その時に、取りに来るわ。」
杉ちゃんが、顔についた生クリームを拭きながらそういう。
「わかりました。そうしますか。」
やった!私もケーキ一つを売り出すことができた!この時の私はそう思っていた。
そして、この綺麗な人が、もう一度この店に来てくれるのがなによりもうれしかった。
「じゃあ、今日はお題払って帰るわ。でないと、電車に間に合わなくなるからな。ほら、この駅、あんまりたくさん電車がなかったよな。東海道線もないけど。」
と、杉ちゃんが言った。
「そうだね。確か一時間に一本しかないはず。僕たちは前の電車に乗り遅れて、一時間なにもすることがないのでこの店に来たんだよね。」
「ええ、その目的で私たちも、繁盛しているんですよ。最近は、秘境駅巡りなんて言って、東京からわざわざ来てくれるお客様もいるわ。なんでしょう。こういう辺境の、なにもない駅が、心の癒しになるみたいで。田舎なんて嫌だった、なんていう都会の人たちが、また秘境駅を求めてこっちにくるのよ。」
母の言う通り、最近は、そういうことを求めてくる客が多い。なんだか、そういう人が本当に多くなって、ある種、人間の限界というかそういうことかもしれない。
「じゃあ、今日はありがとうございました。ほんとに、ケーキ、おいしかったです。それでは、また。」
静かに立ち上がって、綺麗な人は、母にお金を渡した。
「ケーキは、24日に取りに来ますから。先にお題を払っておきますか。おいくらでしたっけ。」
「はい。そば粉のシフォンケーキ、ワンホール3000円です。」
母がそういうと、彼はその通りに、お金を払った。
「じゃあ、取りに来るのは、またその日にまいりますので。」
「ええ!絶対ですよ!」
私は、もうあまりにうれしくて、天にも昇る気持ちになって、そういってしまった。
「どうもありがとうございました!」
母と二人で、店を出ていく二人を見送った。母にみせに帰りなさいよ、と言われても
私は、二人の背中が小さくなるまで見送った。母に、ほら、と言われてやっと店にも
どったが、その中でもボケっとしたままだった。暫くすると、電車の音がガタンゴト
ンと鳴った。東京ではないので、頻繁にはかかってこない電車の音が、印象的だとい
うお客さんは多い。私は意識したことはなかったが、今日になって初めて、電車の音
をはっきり聞いたような気がした。
そして、12月24日。
クリスマスイブである。
あの人が、もう一度やってくる。私は、朝の五時すぎに走る、始発電車の音からもう
はっきりと聞き取っていた。そして、10時くらいに店が開店する。私は、こっそり沼久保駅の時刻表を入手して、10時50分にやってくる、電車の音を聞いた。この店は駅から一分ほどで着くから、すぐ来るかな?と思っていたが、現れなかった。
次の電車は、12時をすぎないとない。12時44分に電車がやってくる音が確認できたが、
やはり彼は現れなかった。
その次は、14時47分だ。それにも来なかった。
その次は、16時45分。そろそろ周りも暗くなってくる時刻。それでも現れなかった。
そして、17時56分。今度こそ!と思って、待ち構えていたけれど、現れなかった。
その四分後。さあもう店を閉める時間だよ。父が言って、店は、閉店時刻になった。
でも、一人ケーキを取りに来るお客さんが!と私は言ったが、父も母も、あの人は仕
方ないわね。もう、しょうがないよ。と言って笑いあっている。
「ちょっとお母さん。どういうこと?あの人来ないのに、もう店を閉めるの?」
「そうよ。たぶん来れないだろうなってわかってたわよ。あそこまで体がだめだった
ら、こんな遠いところ、頻繁にはこられないでしょ?」
「お母さん!」
私は、わけのわからないまま、母に詰め寄ってみると、
「鮎ちゃん、あんた、大事なところを見落としたのよ。あの二人、何かわけがあって
こっちに来たんでしょ?」
と母は答えた。
何かわけ?そんなことあるわけない。でも、買いに来なかったのなら、営業妨害にな
るはず。それは、いけないじゃないか。そこも考えて、電話をかけることにした。父
にお願いして、クリスマスケーキの予約名簿を見せてもらう。確かにその中に、影山
杉三という名前があった。あの時、杉ちゃんという人が、自分は文字を書けないと言
って、あの綺麗な人に代筆させたのを記憶している。ちゃんと、電話番号も書いてあ
った。私は、すぐにスマートフォンをとって、電話番号をかけ始めた。
「はいはい、もしもし。」
電話口から出てくるでかい声は、あの杉ちゃんの声である。
「あの、今日ケーキを予約したのに、取りに来てくださらなかったので。」
「ああ、すまんね。こっちも大変だっただよ。水穂さんが一日中せき込んでね。そっ
ちへ行くの忘れちゃったよ。まあ、金も払っていることだし、明日もう一回連絡しよ
うと思ってた。すまん。」
「うそ。」
と私は言った。
「あれだけ父のことさんざん誉めて、肝心な時に忘れるって、、、。」
ある意味、その態度は怒りすら感じるのだった。
「ケーキ、まだあるんです。父が一生懸命作ったのです。どうしたらいいですか!」
「あ、そうか。じゃあ、宅急便でこっちへ送ってよ。着払いかなんかで。」
杉ちゃんは、そういうが。
「宅急便って、ケーキを宅急便では送れないわよ!」
と、私は怒鳴りつけた。
「クール宅急便ってのがあるだろ?費用なら着払いでちゃんと送るから。忘れたのは
僕だから、ちゃんと謝罪をするよ。」
「杉ちゃんって、そんなにだらしない人なのね!」
私は、もう、飽きれたというか何というか、裏切られたというか、そういうきがして、怒ってしまった。
「鮎子。」
不意に、うしろを振り向くと、父であった。
「仕方ないんだよ。もし、本当にケーキを渡したいのなら、彼の住所に届けてやろう。」
ポカンとして、私が返答に困っていると、
「あ、もしもし、店長の越廼ですが、すみません、娘が申し訳ないことをしました。
で、彼はどうなんでしょう?ああ、そうですか。わかりました。よかったですね。と
りあえずよく安静にして、休む様にお伝えください。で、ケーキですけど、あ、そう
ですか。わかりました。じゃあ、それではすぐに届けに行きますから。はい。わかり
ました。お大事にどうぞ。」
父は、スマートフォンを引っ張り出して、そういう言葉を交わしてしまった。そして
事務的に電話を切り、
「じゃあ、今から影山さんのところへケーキを届けるから、お前は残っていなさい。」
と言いのこして出て行ってしまった。
私は、まだ、これから、何があるのか理解できなかった。
でも、あの綺麗な人は、明らかに普通の人とは違っていることをはっきり知った。
そして、もうここで再開することもないのだとなんとなく感じた。
翌日の朝。
水穂は、布団で眠っていたが、ふっと目を覚ました。
昨日、ほかの利用者が、クリスマスだと言って、どんちゃん騒ぎをしていたが、自分
はせき込んだまま、寝ていたのを覚えている。杉三も、恵子さんも、ジョチも、みん
な楽しそうだな、うらやましいな、なんて考えていた。ある意味寂しかった。
「おはようさん。一日遅れの、クリスマスだな。」
杉三が、でかい声で、ふすまを開けて入ってきた。
「おう、具合どうだ?」
水穂は、石みたいに重い体をよいしょと持ち上げて、やっと布団に座った。
「昨日はごめんね。クリスマスパーティのはずだったのに、ぶっ壊してしまったみた
いで。」
「ぶっ壊すなんて、しかたないだよ。こうなっちゃうのは。もうな、お前も気をつけ
ろとは言いようがないと思うが、まあ、しょうがないよ。」
水穂は、また数回せき込むが、
「あ、昨日ケーキ取りに行くの忘れて、、、。」
と、思い出した。
「おう、ちゃんと届けに来てくれたぜ。ほら、これだ。食え!」
杉三は、枕元にケーキの皿を置いた。茶色いそばケーキが、食べてもらうのを待って
いた。
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