第4話 引き潮と警報
太陽はいつのまにか西に傾いていた。
もうすぐ日が暮れる。
森の中を真っ直ぐ進むと、見覚えのある案内看板が見えてきた。
このまま行けば僕らが出てきた緑の穴のある場所に着くはずだ。
僕は走り出したい気持ちをぐっと我慢した。
逃げることを悟られてはいけないような気がして、なるべく早歩きで森の中を進む。
誰に悟られてはいけないのか…。
この不気味な場所なのか、へんてこ服の女の子なのか、ユウタなのか、あるいは僕自身なのかも知れない。
先頭に立って弟のユウタを守るのに、余計なことを考えたくなかった。
やがて少し開けた場所に出た。
ふぅっと大きく息を吐く。
ここに緑の穴がある。
…あるはずだった。
僕らの目の前には湖があった。
「お、お兄ちゃん…!」
「うそだろ…!」
湖の水かさはかなり減り、底に沈んでいたものの正体が明らかになっている。
あれは屋根だ。湖の中には何軒もの家がある。
この集落が、“みずうみのさと”だったんだ。
「あっ、誰かいるよ!」
例の小屋にはぼんやりと明かりが灯り、中には人がいた。
そうか、他の家の屋根より高い位置にあるあの小屋は、見張り台のような役目だったんだ。
“みずうみのさと”が湖の中にある時間でも、外の様子がわかるように。
あぁ、でも大人のひとがいるなら良かった。道に迷ったことで気が動転していたけど、事情を話して助けてもらおう。
その時、見張り小屋の梯子はしごを登って行く人が見えた。中にいる人に何か話し掛けているけど、なんて言ってるかまでは聞き取れない。
手に何か持っている。
目を凝らして見ると、僕らが食べ残したリンゴだった。
「お兄ちゃん、あの人たち、ぼくたちの方を指差して何か言ってるよ」
ウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥー
突然鳴り響く大きな音に驚いて、身体をびくっと震わせる。
サイレンだ。
なんか、やばい気がする。
「あれってぼくたちのことを探してるんじゃない?」
見張り小屋の大人たちが、こっちに向かって何か叫んでいる。
「走るぞ、ユウタ!」
僕らは“まよいのもり”へと引き返し一目散に走った。
案内看板のある場所を抜けて、さらに走る。
「お、兄、ちゃん、ちょっと、待って…」
よろよろと立ち止まったユウタが、震える膝を押さえて苦しそうに肩で息をしている。
「ごめん、大丈夫か?」
「あ、あのリンゴさ、勝手に取って食べちゃったから怒られるのかな?」
追われる原因は僕にもわからなかった。
だけど果たして鳥の餌を拝借したくらいで、あんな大々的にサイレンを鳴らす大捜索になるだろうか?
薄暗くなった森を見渡すと、木にぶら下げられていたリンゴやオレンジは一つ残らずなくなっていた。
というより回収されていたと言った方が正しいかも知れない。
僕の頭に恐ろしい考えが浮かぶ。
あれは鳥の餌なんかじゃない。
誰か、よそから来た人間がいないか確かめるための罠だったんだ。だから毎日きれいな果物を木にぶら下げて…つい手を伸ばしてしまった人間を探してるんだ。
へんてこ服の女の子の言葉を思い出した。
『リンゴは、木に戻したの?』
『暗くなる前に、帰るの?』
ひょっとしたらあれは…警告だったんじゃないか。
リンゴは木に戻しておけば、鳥が食べたと見せかけることができた。
そして、暗くなる前に湖を離れれば追われることもなかった。
あの、質問しかしない女の子のおかしな質問は、僕らが安全に帰るための道しるべだったんだ。
ガサッと音がして、すぐ近くで人の気配がした。
「ミツカッタカ?」そう言っているように聞こえる。僕らのことを探しに来たんだ。
今走り出しても見つかってしまう。木の陰に隠れて息をひそめ、彼らが通り過ぎるのを待つことにした。
湖で濡れた水滴なのか、僕の汗なのか、髪の毛が顔に張り付いて気持ちが悪い。
「ひっっ…!」
ユウタの腕に蜘蛛がいる。
「シッ!静かに」
今にも泣き出しそうなユウタはカタカタと震え、声が出そうになるのを堪えていた。
頼む、もうちょっと我慢してくれ。
僕らはぎゅっと身を屈めたまま全身が心臓になっていた。
どれくらいじっとしていたのか、完全に人の気配と物音が消えてからのそりと立ち上がり、再び緑の穴のある方向へと歩き出す。
しかし、僕らが辿り着く先には“みずうみのさと”があった。
ちくしょう、なんでだよ!!
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