第3話 食べかけのリンゴ

僕はパンツ一丁のまま、ユウタと並んで岸に座った。


「心配かけんなよ」


「お兄ちゃんがリンゴでも食って待っててって言ったんじゃん!」


確かにそうだ。

それでユウタは、僕が小屋に到着したのを見届けてから、木にぶら下がっているリンゴを取りに行ったのか。ちゃんと2人分。

ばつが悪くなった僕は、黙ってユウタからリンゴを受け取った。


「子どもじゃないんだから」


口を尖らせているが、ユウタはまだまだ子どもだ。


「そうだ、僕が泳いでる間に何か見なかった?さっきまで誰かあの小屋にいたみたいなんだ」


「え?どういうこと?」


小屋に置いてあった吸い殻入れと残っていたタバコの煙のことを話すと、ユウタは急に怯えた顔をした。


「誰かいたのに消えちゃったってこと?それって、もしかして、ゆ、ゆうれ…」


「幽霊がタバコ吸うかよ」


そんなこと、あるわけない。

たぶん、おそらく、きっと。


タバコの吸い殻って、いつまで煙が出ているものなんだろう?ずっと前に消したものが残っていただけで、誰かいたってのは僕の勘違いだったのかな。

何より、岸に残っていたユウタは誰の姿も見ていない。


陽射しの暖かい、風のない日で良かった。

濡れた身体を乾かしながらリンゴをかじる。


辺りはとても静かだ。

そういえば、あんなに鳥の巣箱や餌台があるのに鳥のさえずりひとつ聞こえない。


「あれ?お兄ちゃん、見て」


ユウタが立ち上がって、今見てきた小屋を指差した。


「小屋の脚が出てる」


「え…」


僕は危うく持っていたリンゴを落としそうになってしまった。

本当だ。

湖に浮いているように見えていた小屋の床面の下に、丸太の脚が伸びている。社会科の教科書で見た弥生時代の高床式倉庫みたいな形をして、湖から顔を覗かせていた。

ついさっき僕が泳いで行った時は水面ギリギリのところに床があったはずだ。

小屋が急に高くなったようには見えない。

湖の水が、減ったんだ。


まだ半乾きの身体に、慌てて服を着る。


「湖のあっち側まで行ってみよう」


食べかけのリンゴをその場に残し、湖に沿って歩き始めた。


「引き潮かな?」


「湖にも干潮とかってあるのかな?」


どちらにしても、こんな短時間で目に見えるほどの変化が表れるものなんだろうか。

お風呂とはわけが違う。


もうすぐ半周というところで女の子の声がした。


「リンゴは、木に戻してきたの?」


さっき会ったへんてこ服の女の子だ。

また、おかしな質問をしてくる。


「えっと…後で食べるからあそこに置いてきたよ」


本当はリンゴのことなんて忘れていた。草の上とは言え、地面に置いた食べかけのリンゴを後で食べるはずなんてない。口から出まかせだった。


「暗くなる前には、帰るの?」


またさっきと同じ質問だ。しつこいな。

僕たちと一緒に遊びたいのかな?


「まだわかんないよ」


今度はユウタが答えた。


この辺りに住んでるんだろうか?病院のパジャマみたいなの着てるし、近くの病院に入院してる患者なのかも。

こんな山奥…かどうか分からないけど、人里離れた病院ってことは、隔離されるような病気かも知れない。可哀想だけどあんまり関わらない方がいいな。


行こう、とユウタを促そうとすると、もう女の子はいなくなっていた。


湖の対岸まで来ても、小屋の見える角度が変わるだけで特に変わったものはなかった。


…ん?ちょっと待てよ。

あの小屋のドア、僕が出るときちゃんと閉めたはずだ。ユウタの姿が見えなくなって、確かに少し慌てていたけど、バタンと音がするのをこの耳で聞いたんだ。

それが、今、…少し開いている。


いや、それも僕の思い違いか?

ドアはちゃんと閉まっていなかったのか。

どっちなんだろう?


吸い殻入れの煙といい、さっきから何か変だ。


「お兄ちゃん、どうかしたの?」


僕の緊張が伝わったのかも知れない。

ユウタが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。


「な、なんでもないよ」


今ここでそんな事を言ってもユウタを怖がらせるだけだ。


「ユウタ、戻ろう」


なるべく平常心を装ってユウタの手を引く。


「えっ…?どうしたの、お兄ちゃん?」


「腹減ったしそろそろ帰るぞ」


ちゃんと笑えてるかどうかわからないけど、ニカッと歯を出して見せた。


湖の水かさは、さっきより更に減っている。

来た道を辿りながら横目で見ると、湖の中に何か沈んでいるように見えた。それも、一つや二つではない。

あれは何だ…?


いやな予感がする。

食べかけのリンゴは、消えていた。

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