第2話 師事する者
骨の鳥に乗った家出少年レーベと魔導師メルは街からかなり離れた場所に降りた。メルがなぜ離れた場所に降りたのかレーベに訊ねると、彼は少し考えてから分かったと答える。
「街の近くだと怪物と間違われて攻撃されるからですよね?」
「正解よ。その発想力をもう少し早く使っていれば、オーク相手に死にかける事も無かったでしょうね」
「あふんッ!メルさん酷い」
レーベはメルに抗議するも、彼女は全く取り合わない。寧ろ、こうして話が出来るだけでも、相当な幸運だと言われれば反論すらできない。
そもそもたった一人でオークの群れに突っ込む時点で、愚か者を通り越して自殺願望者と言われても文句は言えない。若気の至りで済む話ではないのだ。その上で生き残れたのはメルがたまたま近くでオークの男根を集めていたからだ。そうでなければ彼女も何もせず放って置いた。
「私はお人よしでも何でもないわ。次は助けないからそのつもりでいなさい」
「うん、ありがとうメルさん」
レーベの感謝に溜息で返答しつつ、メルは骨の鳥に魔法をかけた。今度は時間が遡ったように鳥がどんどん小さくなって、最後は元の小さな白い欠片に戻った。彼女が言うには、これは竜の翼の骨だそうだ。それを触媒にしてあのような巨大な鳥に変化させるらしい。
骨を回収したメルはレーベと連れ立って歩いて最寄りの街『マイス』に入った。
二人は煉瓦造りの家屋の間に敷き詰められた石畳の道路を歩き続け、目的地の大きな建物へと入った。
建物の中はこの国の造りの基本から外れていない。内装はそれなりに綺麗で花瓶などの調度品にも手入れが行き届いているが、独特の熱気が渦巻き、穏やかでは無い雰囲気がそこかしこに溢れている。問題なのは人だった。
誰もが武器を携帯し、あるいは鎧を纏い、ある者はローブと杖という魔導師の姿であり、露出する肌には幾重にも傷がある。その傷も刃物傷から火傷痕、動物の爪で引っかかれた様な痕もある。おおよそ堅気とは言えない風体の人種ばかりでは、誰もダンスホールなどとは思わないだろう。
『ここは冒険者ギルド。兵士にもなれずに世間からは爪弾きとなった犯罪者一歩手前のアウトローの住処だ』
そんな力を信奉する荒くれ共が新しく入って来た二人を見て、一気に距離を置くのは中々に面白い光景だった。正確には視線は全てメルに注がれていた。おまけにヒソヒソと小声で何か話し合っている。
「おい、黒魔女だぞ」
「ああ、死霊術の死神だ」
「目を合わせるな。俺達も殺されて人形にされちまうぞ」
「みんな、見ちゃダメよ。あれに魅入ったら呪われるわ」
肩を並べて歩くレーベにも彼等の陰口が聞こえる。彼だって普通なら命の恩人が根も葉もない言葉で罵倒されていれば怒りを覚えるが、残念ながら彼等の言葉に一部覚えがあったので何も言えなかった。
そして二人は遠目に様子を窺う群衆を無視して、カウンターに座るギルドの受付嬢に話しかけた。
「ようこそ冒険者ギルドへ。認識証の提示をお願いします」
営業スマイルの受付嬢に二人はそれぞれカードを渡した。渡したカードはギルドの発行した身分証であり、それ以外の機能を持つ、非常に便利な道具だ。
受付嬢が何かの機械にカードを通し、浮かび上がった文字を読み取る。
「第十級のレーベさんは今日オーク五体の討伐依頼を受けていますが、討伐したのは三体です。残念ですが依頼未達成となります。ですが、オーク一体につき、討伐懸賞金が銀貨五枚支払われますので、本日はギルドより銀貨十五枚が支払われます。次回は依頼達成するよう一層の努力をお願いします」
「はい、申し訳ありません」
レーベが素直に頭を下げる。依頼とは自分の力量に見合った仕事を見極める行為でもあり、未達成は自己評価能力に乏しいと判断されてギルドの評価もそれなりに下がる。ただし、初日の駆け出しの場合は例外だ。自分の力量を自覚して次に繋げる洗礼式として一度だけは見逃してもらえる。ギルドとて鬼ではない。その上で、たった一人でオーク三体を倒して無事に帰還したとなれば、レーベの実際の評価はそれなりに高かった。
そうとは知らず、肩を落としたレーベは受付嬢から貰った金を大事に財布にしまった。
そしてメルの番になると、受付嬢もやや緊張しながら用件を伺う。
「採集中にこの子が死にそうになっているのを助けただけ。ここまで送って来たのもただのケジメよ」
「分かりました。では何を採集したか報告をお願いします」
「雄オークの性器十個よ。切り取ったの見る?」
メルが血の付いた革袋をカウンターに載せると、ベチャリと生々しい音が聞こえたので受付嬢が全力で拒否した。ついでに聞き耳を立てていた男の冒険者は全員、内股になって股間を手で隠した。
「い、いえいえ!第二級のメルさんが偽りの報告をするとは思えませんので、どうか袋を開けないでください!本当にお願いしますから、その血生臭いのを仕舞ってください!!」
「あら、そう?べつにこんなもの、ただの肉でしょ。そんなに怖がっちゃって。カワイイ」
「ひ、ひぃ…あ、あとですけど、オークの討伐が七体カウントされています。ギルドから銀貨三十五枚が支払われますが、どうなさいますか?」
「そっちはいつも通り全部私の貸金庫に放り込んでおいて」
「わ、わかりました。では、書類にサインをお願いします」
半泣きになりながらも職務を全うする受付嬢はギルド職員の鑑だった。
メルは差し出された書類を確認してからサインをして受付嬢に返した。書類に不備が無い事を確認した彼女は印を押して決済する。全ての処理が終わり、二人に認識証が返却された。これでギルドの依頼は一応の区切りが付いた。
後は何事も無くお別れと言いたいが、レーベはそうする気が無かった。
「あの、メルさん。もしよろしければ、僕の先生になってくれませんか!」
「いやよ。冒険は終わりよ坊や。今日の幸運に感謝して、貴方の世界に戻りなさい。ここは坊やが居て良い場所じゃないわ」
「あふんッ!そんなどうして――――」
勇気を出して口に出したのに、明確な拒絶にレーベは腰砕けになる。そして周囲の冒険者たちも声には出さなかったがメルの言葉に誰もが同意していた。
「坊はどうして一人で依頼を受けたのかしら?言わなくてもいいわ、声を掛けても誰も一緒に仕事してくれなかったんでしょう。それは坊やがここでは異質な人間だから。自分とは違うから関わりたくなかったのよ」
違う人間。冒険者ギルドはどんな人間でも受け入れるのが原則だが、例え組織が受け入れても中の人間がそうとは限らない。
動揺しながらもレーベが周囲を見渡し、何が違うのか観察する。自分と同じ年齢ぐらいの少年少女はどうか、それより年上はどうなのか。
結局、観察したが精々雰囲気が違う人間ばかりという事ぐらいしか分からなかった。だが、それが正解だとメルは言う。
「ここにいるのは後の無いゴロツキばかりよ。野盗や盗賊の一歩手前で踏みとどまってるだけのね。堅気の仕事も満足に出来ない。兵士や娼婦になるのも無理。冒険者ギルドって言うのはね、そんな社会不適合者スレスレの人間を集めて、命を落とす危険な仕事をさせる団体なのよ。坊やの周りに居ない人間ばかりだから雰囲気も違うの」
「っ!でもメルさんは第二級の冒険者なんですから、吟遊詩人の歌に出てくるぐらい有名で持て囃される方じゃないんですか!?ドラゴンを倒したり、古の巨人を討伐するような凄い冒険者じゃないんですかっ!」
「そういうのが坊やだって言うのよ。あんな金目当ての詐欺師の囀りをまともに信じるようなのは世の中を知らないという事よ」
ばっさりと切り捨てられたレーベは自分が今まで信じていた物全てが壊れてしまうような衝撃に項垂れるが、それで引き下がるほど物分かりが良いのであれば、最初から家出して冒険者の扉を叩かない。
「だったら、メルさんが世の中をもっと教えてください!僕が差し出せるものなら何でも差し上げます!何でもしますからっ!」
「ん?今何でもするって言ったわね」
レーベの最後の言葉にメルの雰囲気が変わった。フードの奥の鳶色の瞳が怪しく光り、形の良い唇がとても楽しそうに歪む。まるで玩具と食料を見つけた猫のそれだ。
「じゃあ、私の質問に答えて。それで満足のいく答えなら、少しだけ坊やの我儘に付き合ってあげる」
一体どんな無理難題を吹っ掛けられるのか戦々恐々していたレーベは拍子抜けした。そして、ただの質問で頼みを聞いてくれるメルはやはり良い人だと勝手に思い込んだが、数秒後にそれを後悔する事になった。
「坊やは童貞?」
「えっ?ど、何ですって?」
「だから、坊やは童貞?って聞いてるのよ。女でも男でも性的行為をした事があるかって質問。その股間にぶら下がっている物を使った経験は?」
メルの質問にレーベどころか周囲の冒険者の一部が赤面する。さらに受付嬢も目の前で繰り広げられる珍光景に目が泳いでいる。
この国の成人年齢は16歳だが、早い者ならその前から事実婚をしたり恋人を作って性交渉するのもさほど珍しくない。14歳のレーベなら経験があるかどうかの境目ぐらいだが、そんな事を公衆の面前で直球でぶつけてくる者はゴロツキ扱いの冒険者でも早々居ない。
普通ならそんな失礼な質問をする輩を真面目に相手などしないが、下手に出なければならないのはレーベの方だ。だから彼は、リンゴのように赤い顔をしながらも、力一杯己をさらけ出した。
「―――いです。一度も無いです!!僕は女性の裸だって一度も見た事ありません!!」
「そう、じゃあ良いわ。暫く坊やに色々教えてあげましょう。受付のお嬢ちゃん、パーティ申請の書類出してもらえる?」
「―――あ、はい。今出します」
受付嬢は言われるままに書類をメルに渡す。彼女はやや癖のある筆跡で手早くサインした後、レーベにもサインをするように迫る。
先ほどの質問にどんな意味があるのか分からないが、とにかく恥を晒したおかげでチャンスを掴めたのは確かだ。無駄な質問はせず、手早く整った筆跡で自分の名をサインした。
ギルドの受付嬢が書類を受け取った事で、二人は晴れてパーティーになったわけだ。するとさっそくメルが今後は自分の家に住めと命令する。
「移動時間なんて勿体無いわよ。それに宿や部屋を借りるにしてもお金がかかるでしょう?空いてる部屋はあるから、気にする事は無いわ」
これには周囲も『魔女が若い燕を飼い始めた』だの『美味しく食べる気』などと好き勝手に噂するが、当人はまったく気にしていなかった。
レーベは断りたかったが、無理を聞いてもらった手前、反対する事も出来ず、今日借りたばかりの宿を引き払って、師となるメルに着いて行く事になった。
以後、冒険者ギルドではメルの異名に『童貞食い』の二つ名が追加される事になるのだった。
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