9羽 ムードムンムン

「あの鳥なら無事ですよ」

「焼き鳥にしてやがってないですか?」

「ないです」


 長谷はスナック・ミホの扉を開ける。店内には、いつの間にか穏やかなクラシックが流れていた。ラジオの一企画か、それともCDを用いているのかまでは判別付け難かったが、どれにせよ、やけにムーディーなところが笑いを誘う。


 これに女性も反応するかと思いきや、彼女は眉間に皺を作るばかりだった。じっと目を凝らし、店内を見つめている。


「なんか、増えてないです? 私が見たの、一羽だけだったような」

「分裂したんですよ」

「謎すぎる」


 ようやく彼女は笑みを零した。くすりと、鼓膜から滑り落ちてしまいそうな程微かな音だったが、その人は確かに笑っていた。だがすぐに気の緩みを律し、元の厳戒態勢を敷いてしまう。


 彼氏不在暦イコール年齢の理由が、少し分かったような気がした。


「いらっしゃい。あら、可愛いお客さん! 座って、座って!」


 カウンターから、そうミホが呼び掛ける。だが女性は動かない。足元の鳥と一緒に目を白黒とさせていた。


 ミホは化粧を施してしまえば、女性と大差ない顔になる。そのような人から、いかにも作ったような高音が飛び出して来るとは、思ってもみなかったのだろう。長谷でも初見ならば驚く自信がある。


「えっと、ここ、ゲイバーってやつですか?」

「普通のスナックよ。オネエがママをやってるだけ」


 何が違うのか、そう言わんばかりに女性は首を傾げている。するとミホは手招きをして、長谷や女性をカウンター席に導いた。


「私はゲイって訳じゃないの。お店に立つときだけ女装して、女の子に成り切ってるけどね。そういう訳で、一応ここはゲイバーじゃなくてスナックのままになってるのよ」

「なるほど。……おじさんはそれに引っ掛かった訳ですね」


 ブ、とおじさんはお茶を噴きだす。その飛沫が膝の鳥にも掛かったのか、二号は慌てた様子で飛び降りた。


「俺はこいつの母ちゃんの代からの付き合いなんだよ。流れて通ってるだけだ。……昔は普通のスナックだったんだがなぁ」

「あら、私じゃ不満?」

「一杯でも酒、飲ませてくれたらなぁ」

「はいはい、血圧が下がったらね」

「ちょっとの酒なら身体にいいって聞いたぜ?」

「奥さんが駄目って言ってるから駄目でーす」

「ケチ言うなよ、勇正ゆうせい

「尚更駄目です」


 ミホの声が急に低くなる。作った声ではない彼自身の声と気付くまで、そう長い時間は必要なかった。やはり彼も男なのだ。


「なんかすごい所ですね、ここ」

「ですね」


 長谷と女性は密に声を交わす。その気配を察知したのか、フクロウも真っ青の勢いでミホが首を回した。


「いいと思う! 頑張って!」

「何がですか!」


 聞かずとも推測できる。おそらくは相性的な問題なのだろう。長谷は内心ヒヤヒヤとしていた。何せ警戒心の強い女性のことだ、変に勘繰られて騒がれでもしたら宥めるまで苦労する。


 ミホの茶々は、これ以上言及せずにいることにした。


「鳥の件なんですけど」


 そう口を開くと、女性の目が真っすぐに長谷を捉えた。疑りも警戒もない、純粋とした視線。至近距離で異性に射抜かれることなど滅多にないから、長谷の心臓は喧しい程のドラムロールを奏でていた。


「ああ、えっと……既にお気付きだと思いますけど、あれから増えまして、今丁度四匹になりまして」

「うん」

「それでですね、飼い主を探すためにポスターを作ろうって話になってるんですけど」

「そっか。この子達、バラバラになっちゃうんだ」


 折角仲間に会えたのにね。そう呟いて、女性は膝上の鳥を撫でる。余程そこが気に入ったのか、首に認識票を巻いていない四号は、うっとりと目を細めていた。


「里親を探すなら、私も協力したいです。地元民じゃないので人脈はないですけど」

「わざわざ遠くから、ここまで来たんですか」

「あ、いえ。家自体は近くです。でも最近引っ越して来たばかりなので……」


 里親募集、もしくは迷子(迷鳥)の知らせを貼り出すべく長谷達は意見を交わしていた。午後六時を優に超え、そろそろ会社帰りの客がやって来るであろう時間帯になった頃、長谷はミホの表情に影が差していることに気付いた。


 かつてはポスターの掲示に意欲的だった彼女だが、一体どうしたというのだろう。心変わりでもあったのだろうか。


 長谷はおずおずとそれを見上げた。


「どうしました? ミホさん」

「あ……ううん、何でも」


 笑みを見せて、ミホは視線を逸らす。無駄毛の一本もない綺麗な手は、こめかみに添えられていた。


「何かあるなら言った方がいいぞー」


 おじさんが口を挟む。それも尤もの意見だった。だがミホは眉根を寄せ、物憂げな表情を見せるばかりである。


 長らくその状態が続いたが、やがて決心したのか、彼女は力強く首を振る。


「その子達、もうちょっとだけ私に預からせてくれない?」

「え、ええ、いいですけど……」


 いいも何も、世話をするのはミホ本人なのだ。頷く以外に選択肢はなかった。


「どうしたんですか。何か心当たりでも?」

「ううん、ちょっとね」


 今日一日彼女は、学業の忙しい長谷に代わって鳥達の面倒を見ていてくれたのだ。情の一欠片くらい移りもする。これ以上の詮索はしないでおいた。


「さて、と。二人ともお茶でいいかしら。車だもの、お酒はよくないわよね」

「あっ、ご、ご丁寧に……ありがとうございます!」


 ピンと背筋を張って女性は言う。その仕草は研究室に呼び出された女性のようで、淡い親近感を抱いた。



 その翌日、夕方のことである。長谷が目にしたのは、明かりの消えた「スナック・ミホ」だった。

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