8羽 ほあ……

「クルッ!」


 得意げに、それは翼を広げる。真打登場、そう言わんばかりの顔付きで、鳥はそこに居座っていた。一方の止まり木は、突然魂が抜け落ちたかのように停止したままだった。


「あの、大丈夫ですか?」

「私は元気です」

「そうだと思いました。ところで、どこかで会ったこと……ありませんでした?」


 ほんの一瞬見えた女性の顔。それは確かに既視感のあるものだった。例えば今日の昼、ガラス越しに――。


「そっ、そうやって!」


 ピンと背筋を伸ばした女性は、手袋を被せた手を上下に動かす。


「そうやってナンパしようったって無駄ですから! 都会の男は、そうやって上京したての女を食うんだって、おばあちゃんからよーく聞かされてますから。絶対に騙されてやりません。お引き取りください!」

「いや、あの、俺地元民ですし、そういう目的じゃないですし……」

「じゃあ何なんですか! 二十六歳独身、彼氏いない歴イコール年齢、喪女な私を笑いに来たんですか。ケッ、御苦労様なことで、全く!」

「俺も彼女いない歴年齢なんで、お気になさらず」


 宥めつつもりで口にしたものの、長谷の胸はなぜかちくりと痛んだ。


 だが軽傷の甲斐あってか、女性は冷静を取り戻したらしい。数秒の間の後、マフラーを引き下げると、


「……あなた、何歳です?」


 子犬のような目だった。疑るような視線は未だ消え失せてはいないものの、その様にすら愛嬌を感じずにはいられない。


 その女性だけなら、まだ心安らかでいられただろう。しかし彼女の頭上では、白い鳥が翼を重ね、窺うようにこちらを見ている。女性の真似をしているつもりなのだろうか。長谷は思わず豆鉄砲を探ろうとした。


 それにしても、なぜシンクロしているのだろう。疑問を抱きつつ、長谷は応じた。


「二十です」

「成人式、終わりました?」

「はい、今年……今年の? いや、昨年度のやつかな?」

「そうですか……。うーん、そっか」


 何やら思案を始める女性は、とうとうマフラーを元の位置へ戻す。


 誤解は解け、ようやく心を開きつつある女性は、ちらりとネオン――「スナック・ミホ」と飾られた看板に目を遣る。


「……ここの子ですか?」

「いえ、用があって」

「二十からスナックに入り浸るなんて……余程飢えてるんですねぇ」

「そういう目的で訪問した訳じゃないですし、というか来たの、今日が初めてです」


 そう素直に応じるも、女性の懐疑は晴れない。顎を引き、口元を半ばマフラーに埋めたその様は、少しばかりあざとく見えた。


 どうやら彼女の警戒心は天性のものであるらしい。戸に隙間を見つけたかと思えば、すぐに埋められてしまう。出会ったばかりで打ち解けることは出来そうにない。


 長谷は、ムッとばかりに顔を顰めた鳥を見上げた。


「その鳥、あなたのですか?」

「鳥?」


 女性は長谷の視線を追い、手を頭上に持って行く。指先が羽毛に触れた途端、彼女は尻尾を踏まれた猫のような悲鳴をあげた。


「なっ、何?! なにが乗ってるんです!?」


 がしりとニット帽もろとも鳥を掴んだ彼女は、白い鳥を目にするなり、悲鳴と共にそれを投げ捨てた。


 鳥はというと、小さく羽根を羽搏かせ、体操選手顔負けの見事な着地を披露する。だがその顔は、相変わらずの阿呆面だった。


「ほあ、何これ……」


 女性も気の抜けた声と共に白い鳥を見遣る。どうやら彼女のペットではないらしい。


 鳥は、もはや用済みと言わんばかりに、よちよちとスナックの戸の前まで歩いて行った。そうかと思えばこちらを振り返って、「クル」と鳴いて見せる。


「なんだよ、入りたいのか?」


 白い鳥の間に連絡網が成立しつつあるのではなかろうか。げんなりとしつつ、長谷はそれを無視することにした。


「そういえば」


 女性が呟く。


「今日の昼、この辺りで鳥を見たんです。白くてちっちゃくて、丁度その鳥みたいな。車道を歩いていたものですから、あの後どうなったのか心配で……。それで改めて訪ねてみたんですけど、あなた、鳥を回収してた人に似てますね」


 確かに今日の昼、長谷は車道を彷徨っていた白い鳥を回収した。しかしその現場の目撃者は限られていた。長谷以外に車道を行く姿はなく、あったのは車のみ――鳥の直前で停止していたトラックと、通り過ぎた幾台もの乗用車くらいである。


 そういえばトラックの運転手も女性だったような。回想の内に浸っていた長谷は、淡い期待の中、それを問うた。


「もしかして、鳥の前で停まっていたトラックの?」

「なっ、なぜそれを……! やっぱりあなた、ストーカー!」

「いや、だから……」


 訂正も面倒になってきた。長谷は深い息を吐いた。


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