5羽 おじさん、襲来。

 互いの手の中にある白い鳥。長谷とミホは顔を見合わせた。


 まさか分裂したのだろうか。長谷は困惑の最中にあったが、保護してしまったものは仕方ない。増えたものも仕方ないのだ。


 長谷は抱えていた鳥を床に降ろした。


「とりあえず、識別できるようにしましょうか。――おい、動くなよ」


 背負っていたリュックサックからビニール紐を取り出す。友人宅の片付けを手伝った際に持参したものを、運よく入れたままだったのだ。


 長谷はミホからハサミとサインペンを借り、番号を書いた紐を鳥の細首に括り付けた。


 クル、クルと喉を鳴らし、鳥たちは首を傾け合っている。その様だけを見ていると朗らかなものだが、長谷の心中は穏やかではない。二羽に増えた鳥の行方を、果たしてどうしたものか。


 散らばった物々を片付けつつ、長谷は今後を案じていた。


「新しく同じような鳥が出て来たということは、もしかして、他にもいるんですかね?」

「かもしれないわね。どうしようかしら。もうお客さんも来ちゃうだろうから、一先ず奥に避難させておくわ」

「手伝います」


 長谷は二羽を両脇に抱え、暖簾を潜るミホの後を追う。


 暖簾の先は居住スペースとなっているようだった。入ってすぐの位置に台所、通路脇のガラス戸を開けると今がある。十畳程の空間にはカーペットが敷かれ、そこら中にハンガーラックが並べられている。どれも煌びやかな衣装をぶら下げていた。


「ええっと、確かこの辺りに使ってない箱が……」


 ミホは昔ながらの押し入れを開け、ごそごそと中を探る。薄らと拓かれた闇の中に、籠のようなものが見て取れた。およそ立方体の箱、その中には渡し木や小さな容器が入っている。


 そういえば、ミホはかつて鳥を飼っていたと言っていたか。


「あった!」


 そんな声と共にミホは身を起こす。引き摺られてきたのは、空の衣装ケースだった。長らく押し入れの奥で眠っていたのだろう、節々に薄灰色の埃を被っていた。


「しばらくここに入れておきましょう。これまで見ていた限り、この子たちは殆ど飛ばないようだから、問題ないと思うわ。それにしても、何を食べるのかしら……。きっとお腹空いてるわよね。巣箱もあった方が安心できるかしら」


 どこか浮かれた様子でミホは物を揃えていく。


 軽く拭いた衣装ケースの中に廃棄寸前の下着や普段着を詰める。これは床材のつもりであろう。その上に水と餌――ミホが飼っていた鳥の遺品であるらしい――を、それぞれ小さな器へと設置する。仕上げに口の開いたダンボールを入れて、ミホは鮮やかなドヤ顔を披露した。


「これで一号二号も満足すること、間違いなしね! さ、入れてみて頂戴」


 言われるがままに長谷は二羽をケースの中に降ろす。


 確かにそこは、少なくとも長谷の腕の中よりも快適な空間である。しかし聊か狭いようにも見えた。


 二羽の白い鳥は、それぞれハト程の大きさである。対して衣装ケースは、小学校中学年の生徒が、膝を抱えてやっと入ることができるくらい――ハトで換算するなら、十羽収納できればよい方だろう。しかもその半分は、段ボール箱によって占拠されている。二羽はすれ違うことすら困難のようだった。


「なんか完成図が予想とかなり違うわ」

「段ボールが大き過ぎるんじゃないですか?」

「そんなこと言われても、これ以上小さいのなんて以ってないわよ」

「いっそ入れなくてもいいんじゃ……」


 車の行き交う道路を我が物顔で歩き回る度胸の持ち主だ。身を隠す場所を欲しているとは、到底思えなかった。


「段ボール、取り出しますか」

「折角用意したのに」

「三匹目が来たら、これに入れましょう」


 段ボール箱を取り除くと、白い鳥は動き出した。壁に沿ってケース内を歩き回り、時折「クル」と音を立てる。気に入ったようだ。脱走する様子も見せない。これで少しの間は凌げるだろう。


「ありがとうございます、ミホさん」

「いいえ~。あら、そうだ。ポスターについて考えてくれた?」

「あ、はい。でも、紙を買ってくるのを忘れてしまって……」

「紙ならあるわよ。たくさん。コピー用紙でいいかしら? それとも画用紙?」

「コピー用紙で」


 ミホの家は、文房具がかなり揃っていた。画像や絵、文章の大半をパソコンで編集できる今日こんにちだというのに、コピックや色鉛筆、さらに使い古された絵具まで出て来る。どれも小学生が使うような安物ではなく、本格派の代物だ。


 年季を感じつつも手入れの行き届いた道具類を眺めていると、ミホは腰を浮かせて、


「そろそろお店の準備をしなくちゃ。席を外すわね。ここでもお店の机でも、好きに使って頂戴」


 そう言って、ミホは店へと戻って行く。一人残された長谷は、しばらく虚空を見つめた後、衣装ケースを覗き込んだ。


 二羽の鳥が壁沿いを歩き続けている。まるで水族館のマグロだ。長谷は通りゆく背を突いて、ふと息を吐いた。


「おーい、いるかー?」


 カウベルの音と共に、威勢のよい声が聞こえてくる。おじさんの声だった。昼間、途方に暮れていた長谷を助けてくれた、心優しい男性。それがどうやら来店したらしい。長谷は慌てて居住スペースから出た。


「おう、兄ちゃん。来てたのか」

「おじさん、こんばんは。昼間はお世話になりました」

「困った時はお互い様だ。――で、どうだい。飼い主は見つかったか?」

「いえ、それが……」


 長谷はミホを顔を見合わせる。店主は苦い笑みと共に肩を揺らすと、


「増えちゃったのよ」

「増えた? 生んだのか」

「やぁねぇ。鳥は卵生よ」


 グラスに水を注ぎ、カウンターへと置く。おじさんはそれに不満そうな顔を向けた。


「ウイスキー……ポン酒……」

「禁酒中だって奥さんから聞いてるけど?」

「どうなってんだ、女の情報網は!」


 ダン、と第を叩く。心底悔しそうなおじさんだったが、彼は無骨とした手でグラスを掴むと、勢いよく煽った。


「うぐ、胃が冷える……。ミホちゃん、やっぱりお茶を……」

「はいはい」


 そう言われることを想定していたのか、既に湯沸かし器が作動していた。


 テキパキと支度を進めるミホの背を眺めていると、不意におじさんが手招きをした。長谷は招かれるまま、おじさんの隣席に腰を降ろす。


「増えたってどういうことだ」

「白い鳥が……なんかもう一羽いて。持って来ましょうか?」

「いや、大丈夫――うん? 白い鳥?」


 おじさんは首を捻る。そうかと思えば腰を浮かせ、店を出て行った。


 少しだけ、悪い予感がする。


「どうしたのかしら」

「さあ?」


 しばらく待っていると、ドアノブが降りた。戻って来たおじさんは不自然に腕を畳んでいる。


 彼は抱いていたのだ。三羽目の白い鳥を。

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