第55話 急患 その1
人間の患者に対して縫合術を試す機会が得られたのは、ドワーフの抜糸をしてから三日後のことだった。
その日は、午前中は客が一人来たのみだった。
「こんなふうに暇な日は、午後からが危ないのよ」
と、タリアがまた不吉なことを言った。
昼になり、タリアと二人で昼食を摂っているときに、領主マケラが突然店に訪問してきた。
「食事中にすまないね。ちょっと耳に入れておいてもらいたいことがあるのだ」
マケラは言った。
「実は今朝方、東の森を巡回していた番兵達が殺されたことが判明したのだ」
マケラは話し始めた。
一昨日、東の森に見回りに出た二人の番兵がいつまで経っても帰ってこないという事態が発生した。
日が暮れ、夜が明けても戻ってこなかったため、昨日の朝、捜索隊が編成された。
二人の番兵は森の中をいくら捜索しても、見つからなかった。
ようやく二人が見つかったのは、日が暮れる直前の事だった。
東の森ではなく、ヤブカラ谷の奥、ダイケイブにほど近い場所で死体が発見されたらしい。
マケラは東の森の見回りについて、ヤブカラ谷の奥地まで行く事は指示していない。
「恐らく二人は、東の森あるいはヤブカラ谷の入り口付近で、殺されるか拉致されるかして、ダイケイブの手前まで連れてこられたのだろう」
とマケラは言った。
そして死体には異変があった。
一人の番兵の額に、羊皮紙に書かれた手紙が釘で打ち付けられていたのだそうだ。
「その手紙が、これだ」
マケラは俺とタリアに羊皮紙を見せてくれた。
俺には全く読めない文字だった。
羊皮紙の端々は血に染まっている。
「なんて書いてあるんだ?」
俺はタリアとマケラに聞いた。
「うむ。読んでやろう。
”我はダイケイブの王
マケラよ、村を明け渡せ
さもなくば、金貨四千枚で手を打ってもよい
もしくはおまえの娘を差し出せ“
……と、書いてあるのだ」
マケラはテーブルに肘をつき、両手を顔の前で組んで目を閉じて話を続けた。
「ザウロスからの手紙に違いない。
噂は真実だった。
ダイケイブの奥深くに潜む黒幕はザウロスだ」
「ザウロスはマケラ様の事も知っているのね」
タリアが言った。
「そうだ。奴ほどの魔法使いであれば、知らないことはない」
マケラが答えた。
「で、これからどうするんですか」
俺は質問した。
「屈することはできない。
ザウロスの要求など一つも応えられぬ。
そして、信頼していた二人の番兵が、あのように屈辱的に殺された事は、断じて許せない。
……私は今、ザウロスの首に懸賞金を掛けることを考えているよ。
そして、ダイケイブに侵入し、奥深くまで潜り、ザウロスの息の根を止めてやる。
これからその方法を考えるつもりだ」
マケラはゆっくり立ち上がった。
「私が今日ここに来たのは、こうした状況の報告のためだ。
これからしばらくの間、この店の仕事が増えることになるかもしれぬ。
その時は頼むよ」
そう言って、マケラは、店を出て行った。
「マケラ様は、自らダイケイブに攻めに行くつもりなんじゃない?」タリアが言った。
そうかもしれない。
村を明け渡すなど到底不可能な事だ。
そして、悪の魔法使いに金を渡すなど、領主としてできるわけがない。
それだけでなく、自分の娘を差し出せなどと言われれば……。
「とにかく、これから忙しくなりそうだ」
俺は言った。
その時、東の詰所からの鐘の音が聞こえた。
鐘は、はじめに四回、そして一拍置いて、二回鳴った。
患者は四人、そのうち重傷者が二人ということだ。
俺は店の外に出て子供達を集め、銅貨を一枚ずつ渡し、水をたっぷり汲んでくるよう頼んだ。
子供達はいつものように嬉々として水場まで走って行った。
まもなく、馬車がやってきた。
操るのはラモンとラディクだった。
「やあプッピ、ひさしぶりだな。その節はどうも」
ラモンが出合い頭にそう言った。
「おかげさまで、傷は癒えたよ」
馬車を降りながら、続けて言う。
馬車に乗ってきた患者は、三人の戦士と一人の魔法使いだった。
そのうち二人は自力で馬車を降り、タリアの誘導で店内のベッドに横になった。
あとの二人は担架なので、俺とラモンとラディクの三人で手分けして店内に運び込んだ。
こうして午前中の閑散が嘘のように、店内が騒然となった。
「サチメラの所にも三人運んだんだ」
とラディクが言った。
自力で馬車を降りることができた二人のうち一人は、魔法使いの男だった。
右腕から血を流している。
もう一人は、戦士だ。
頭と左腕に怪我をしているものの、他の者と比べて軽傷にみえた。
そして、担架で運んだ二人のうちの一人は、腹を怪我して血を流していた。
声をかけてもうめき声をあげるだけで返事ができない。
もう一人は、全身に大火傷を負っており、苦痛と恐怖で取り乱している様子だ。
タリアは、一番軽傷と思われる頭と左腕に怪我をした男に声かけると、男は事の顛末を話し始めた。
彼の名はテムといった。
「ダイケイブの地下一階だ。
先行しているパーティが足止めを食っているのを発見した。
皆大怪我をして、動くに動けなくなっていた。
口の聞ける者から話を聞くと、レッドアイとオークの襲撃に遭ったという。
俺達は、ダイケイブのこんな所にレッドアイとオークなどという恐ろしい魔物が出るわけがない、何かの幻でも見たのだろうと高をくくって、先に進んだんだ。
そうしたら、糞、やられちまった。
本当に出たんだ、レッドアイとオークだった。
俺はオークに頭と腕をやられて、剣が持てなくなり、こいつはオークの剣で腹を刺された。
そしてこいつは、レッドアイに焼かれちまった。
回復魔法を使いながら退却していたのだが、そこで魔法使いがスナッタバットに噛まれて、右手が使えなくなった」
テムが語っている間に、タリアは他の三人の怪我の状態を観察していた。
語り続けるテムを無視して、右腕を噛まれた魔法使いに質問した。
「スナッタバットに噛まれたのね」
魔法使いの名はベスといった。五十歳代の男だ。
「そうだ。自分で毒消しの魔法をかけたい所だが、右腕をやられてどうにも出来なかった」
「もう毒が回りすぎてる。
うちで治療するなら腕を切るしかないわよ」
魔法使いの顔色が変わった。
「それは困る。なんとかならんか。
右腕がなくなったら術が使えんようになる」
俺はタリアに声かけた。
「ベアリクを呼ぼうか。
とてもじゃないが俺達だけじゃ、手に余る」
「魔術師を呼ぶの? 薬草屋で魔術師に仕事させるの?」
タリアは迷っているようだった。
「四人のうち三人が重傷だ。
とてもじゃないが俺達だけじゃどうにもならん。
一人でも助けるのが俺達の仕事だろう?
さぁ、どうする?」
タリアは一瞬考え、素早く決断した。
「うん。呼ぼう。ラディク、ベアリクを呼んできて」
タリアはラディクに指示した。
「へえ、薬草屋と魔術師が協力して仕事するのか。
わかった。行ってくる」
ラディクは出て行った。
「ラモン、悪いがあんたは少し残って、俺達を手伝ってくれないか」
俺がラモンに頼むとラモンは快諾した。
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