第54話 お試し




 それから数日後にジャンの針が出来上がったとの知らせを受け、昼休みに俺はジャンの工房に物を取りに行った。


「良い仕事ができたよ」


 とジャンは言い、俺に出来上がった針を手渡した。


 針は、木の小箱に収納されていて、黒いベルベットの布張りの上に十本、置かれていた。

 ピカピカと白金色に輝き、切っ先は見るからに鋭い。


「錆びにくくて、丈夫で、鋭い切れ味を兼ね備えるために、金属はミスリルを使ったよ。

 ミスリルはね、鋼のように打ち延ばして細工ができるし、ガラスのように磨き上げることができる。

 純銀のような美しさのある高級品だよ」

 ジャンは誇らしげに言った。


 思った以上に良い物を作ってもらった。

 俺はジャンに礼を言い、代金の金貨二枚を支払った。


「ありがとう。はて、確か銀貨一枚分値引きしたと思ったが。良いのか?」


「ああ。銀貨一枚はチップだ。素晴らしい物を作ってくれてありがとう」


「そうかい。じゃあ遠慮なく貰っとくよ。

 その針はな、下手な武器防具よりもよっぽど高級品だ。

 大事に使ってくれよ」


 また何かあったら相談させてくれ、と俺はジャンに言い、工房を後にした。



 ところで、代金の金貨二枚は、タリアに頼み込んで立て替えてもらった。


 タリアは最初、露骨に嫌な顔をして、「嫌よ、釣り針なんかに金貨二枚なんて、おかしいわよ。あんたぼったくられてるのよ」と拒否したが、今後このジャンの針を使って、多くの患者の怪我を治せるという事をもう一度説明し、すぐに元はとれる、と説得した。


 それでもタリアは良い顔をしなかったので、俺は「ジャンの針を使った切り傷の処置方法がうまくいけば、この針と治療法をセットで業者に売ることができる」と宣った。

 ダマスの街にでも行き、ダマスの薬草師にプレゼンをしてジャンの針を売り込めば、俺達は手数料で儲けることもできるだろう。


 結局タリアは、観念して金貨二枚を俺に渡してくれたのだった。



 ジャンの針を使うにあたって、俺は絹の糸を探した。釣り糸よりもしなやかで、そこそこ丈夫で細いからだ。

 絹糸の入手についてタリアに相談すると、知り合いを通じて手配をしてくれた。


 こうして、数日後には、いよいよ切創の縫合術を試す準備が整った。


 タリアは、最初の患者はドワーフだ、と指示した。


「ドワーフは体力もあるし、人間より傷の治りも回復も早いわ。

 まずは人間じゃなくて、ドワーフの急患で適当なのが来たら試してみましょう」



 実際にドワーフの急患が来たのは、それから一週間半ののちだった。

 ダイケイブから退却してきたドワーフの戦士で、肋骨の痛みを訴えてやってきた患者だ。

 肋骨の痛みは、どうも骨が折れているようだった。

 タリアがA4サイズほどの分厚い布に、痛み止めの軟膏を塗りつけて患部にあてた。

 さながら湿布のようなものだ。

 そしてその上から包帯を巻いて、しっかり固定した。

 

「しばらくは痛むでしょうけど、これで様子をみるしかないわね」


 ドワーフは、肋骨骨折以外に、右腕に切り傷を作っていた。

 剣で斬られた傷で、傷口はそれほど深くない。出血はほぼ止まっている。


 俺とタリアは、ドワーフに右腕の傷の処置について説明した。


 ドワーフは、「いやぁ、これくらいの傷は放っておけば治るんじゃないか」と乗り気でなかったが、腕の治療費はとらないことを約束すると、治療に了承した。


 いよいよ縫合術を試すときがきた。

 傷口を綺麗に洗い、布で拭き、痛みを予防するためにリドンを塗って局所麻酔のかわりとした。


「これから処置をするから、あっちを向いててくれ。見ないでくれ」

 と俺は頼んだ。


 ドワーフは頷いて、右腕の傷口から顔をそむけた。


 俺は、ジャンの針に絹糸を通し、針を指でつまんで持って、腕の切り傷の縫合を始めた。

 ジャンの針を指先で取り扱うのがやりにくい。

 自分の指に針先を刺してしまいそうだ。

 俺は慎重に作業する事に専念した。

 ……ピンセットのような物があればいいのに。

 今度、ジャンに作ってもらおう。


 数針縫ったところで、ドワーフが患部を見てしまって、騒ぎ出した。


「なんだかチクチク痛えと思ったら、縫ってやがるのか!?

 おまえ俺のことを穴のあいたシャツか何かだと思ってるのか」


「まぁまぁ落ち着いて。新しい治療法なのよ。じっとしてなさい!」


 処置中に暴れ出しそうになったドワーフを、タリアが宥めてくれてなんとか縫合が終わった。



「終わりましたよ。じゃあ、傷の様子をみたいので三日後にまた来てください」


「何? また来なきゃいけんのか? 俺は忙しいんだ」


 ドワーフが渋るので、今日の治療費を少しまけるから、頼むから傷口を見せにまた来てくれ、と頼み込んだ。




 ドワーフはやや不満が残った様子で出て行ったが、ちゃんと三日後に再訪してくれた。


 驚いたことに、縫った傷口は、たったの三日できれいにくっついていた。

 少し迷ったが、もうすでに傷口は治癒しているので、ハサミを使って絹糸を切って抜いた。



 かくして、初めての切創縫合術は成功した。

 やはりドワーフの回復力はたくましい。

 しかし人間相手でも、方法自体は問題なさそうだった。



 傷口をきれいに洗い流したら、傷の具合をよく観察する。

 血が止まらないようなら、止血作用のあるトラドナを使ってみる。

 出血の様子をみて、傷口を閉じても問題ないと判断したら、リドンを使って局所麻酔を行い、ジャンの針を使って縫合する。

 縫合後は、一週間か二週間様子をみて、傷口がくっついたのを確認して、絹糸を抜く。

 もし、処置のために局所麻酔じゃ心許ないようなら、ベアリクに頼んで睡眠の呪文をかけてもらい、患者が眠っているうちに処置を行う。

 


 以上が、俺がこの世界で発案した、切創の縫合術だ。

 俺は“ジャンの縫合術”と命名した。


 現実世界では、こんなに単純で簡単な話にはならないだろう。

 しかしここは、中世ファンタジーの世界観を再現した“なんでもあり”の虚構世界だ。

 何から何までリアルだが、根本的には複雑な元の世界とは違う。

 おそらく、この方法でこれからも問題なく患者を治療できるはずだ。

 二次感染や縫合不全など、何か現実の医療でも起きるようなトラブルが発生したらその時は考え直さなければいけないが、きっと大丈夫だろうと俺は漠然と確信した。





 ドワーフの治療が成功したことで、タリアは安心したようだった。


「次は人間の患者に試してもいいかい?」

 俺は聞いた。


タリアはしばらく考えて、許可を出してくれた。


「ええ。いいわよ。やってみよう」





 ところで、実験材料にされた哀れな子豚だが、あの日「薬草屋の裏庭で飼い続けるわけにはいかない」と言って、タリアが引き取って行った。

 てっきり家に持ち帰り調理して食べたのかと思っていたが、今も家で飼っているらしい。


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