第53話 ジャンの針




 ――  ――  ――  ―― 



 一週間前。

 店の休業で、急に暇ができた俺は、ノバラシ河で釣りでもしようと考えた。

 船着き場まで馬車で行き、雑貨屋の主人のゲータに道具一式を借りて、川釣りをした。

 魚は一向に釣れなかったが、釣りをしている間に、頭の中にあるアイディアが閃いた。


 俺は馬車で村の中心部まで戻り、ジャンの工房に行き、ゲータに売った釣り針よりも、もっと細くて丈夫で切れ味の良い物を作れるか聞いた。

 ジャンは金さえあれば作れると言ったので、制作を依頼した。


 俺のアイディアが実現可能なのか、確かめるために、西の船着き場の雑貨屋に引き返し、ゲータに無理を言って、釣り針を売ってもらって帰ってきた。

 次に俺はベアリクに会いに行った。

 そして、どうしても試してみたいことがあるから、協力してくれ、と頼んだ。

 ベアリクは俺に付き合ってくれた。


 ――  ――  ――  ―― 



「あの日は、ちょうど暇だったんだよ」

 とベアリクが横やりを入れた。



 ――  ――  ――  ―― 



 話を続ける。

 ベアリクに、この近辺で豚を買える店はないか?と聞いた。


「豚? 豚ってあの、ブーブー鳴く豚か?」

 ベアリクは聞き返した。


 そう。豚がほしいのだ。それも生きているやつを。


 ベアリクは少し考えて、近くに住む爺さんが庭で豚を何頭か飼っている、と教えてくれた。

 俺はベアリクと一緒にその爺さんの家に行き、子豚を一頭譲ってくれないか? と交渉した。


 爺さんは、


「子豚は今一頭いるが、今晩食べようと思っていたのでダメだ」


 と最初は断ってきたが、俺は食い下がり、交渉を続けた。


 根負けした爺さんは俺に子豚を売ってくれた。


 子豚を店に連れて帰ってきた。

 そして、ベアリクに頼んだ。


「この子豚を寝かせてほしいんだ。睡眠の呪文をかけてくれ」


 ベアリクは、俺が何を考えているのかわからず訝しみながらも、子豚に呪文を唱えた。

 ほどなく、子豚は倒れて目を閉じ、深く眠り始めた。



 俺はおもむろにナイフを取り出し、一文字に二〇cmほど子豚の腹を切り裂いた。

 真皮を越えて皮下組織の深さまでナイフの刃を刺し入れて切った。

 腹膜は傷つけずに切ることができたようだったが、どろどろと血が流れ出してきた。

 俺は流れる血を拭き取りながら、トラドナを少量塗布した。


 血の流れがやや治まったのを確認し、切り裂いた皮膚の断端をピタリと合わせた。


 ゲータから譲ってもらった釣り針に釣り糸を仕込み、右手で親指と人差し指でつまむようにして針を持った。

 左手で創面を押さえながら、傷口をゆっくりと、慎重に、一針、二針と縫い付けていった。



 ――  ――  ――  ―― 



「ちょっと待って!?」

 タリアが興奮して喋る俺を遮る。


「豚の腹を切り裂いて、そのあと縫った?」


「そうだよ」

 俺は言った。


「人間にも応用できると思うんだ。

 ほら、いつも急患で怪我人が運ばれてくるだろう?

 剣で斬りつけられたその傷口の処置は、洗い流して、薬を塗って、包帯を巻く

 ……今はこれしか方法がないだろう。

 でも、この方法だと止血に失敗することがある。

 いったんは血が止まったように見えても、また傷口がぱっくりと開いて、出血が再開してしまうことがある。

 そこで提案だ。

 ある程度深い切り傷は、縫い付けてしまったほうが治りが早いんだ。

 切れた皮膚同士の断端をぴったり合わせて、針と糸で縫い付けるのだ。

 そして何日かそのまま置いておいて、傷口がしっかり閉じてから、縫合に使った糸を切って抜き取ればいい」



 俺の演説を呆気にとられて聞いていたタリアが、「狂ってる」とつぶやいた。


「俺もそう思ったよ。

 いきなり豚の腹を切り裂いて、そのあと裁縫するみたいに針と糸で縫い付けてやがるんだから」

 ベアリクが笑いながら言った。



「論より証拠だよ。

 タリア、この子豚の腹を見てくれ」


 俺は、子豚を優しく抱いて、ひっくり返して腹の傷を見せた。


 子豚の腹部には、二〇cmほどの切れ目ができていて、それが糸で縫い付けられていた。

 傷口はピタリとくっついている。


「見てごらん。あと一週間も傷口の安静を保てば、もっときれいに傷口がくっつくだろう。

 そうしたら、埋まっている糸を切る」



「本当に!? まじめに言ってる?

 ……傷口を縫うの?」


 タリアは半信半疑だが、目の前で、一週間前に腹を裂かれたのに元気に生きているこの子豚が、何よりの証拠だ。



「ちょっと待ってよ。頭が痛くなってきた。

 ……これ、あなたが考えたの?」


 タリアは両手で口を押え、目を閉じてそう言った。


「魚釣りをしながら思いついたんだ。

 しかも、ベアリクの睡眠の呪文をかければ、眠らせている間に処置ができるぜ」




「人間にやろうっての?」

 タリアが聞き返す。


「信じられない。でも、すごいわ。

 プッピ、よくこんな頭がぶっ飛んだようなこと考えつくわね」



「人間にやってみようよ。きっとできるさ」

 俺は言った。


 だって、この世界は現実の世界ではないのだから。

 “なんでもあり”の世界なのだから。


「これで、救える数が増えるんだぜ」

 俺は言い添えた。


「俺も協力できることがあれば、いつでも駆けつけるよ」

 ベアリクが言った。




 タリアはしばらく考えていたが、やがて、意を決したようだった。


「今度、急患が来て、試せるような傷だったら、……やってみよう」

 タリアが言った。


「よし!」

 俺は言った。




「しかしびっくりしたわー。

 私、今朝店に来たら裏庭に豚がいるの見つけて、プッピは頭がおかしくなったのかと思ったのよ。

 それで今、話を聞いたら、またびっくりよ」

 タリアは言った。


「でも、プッピの言う通りかもしれない。

 これがもしうまくいけば、救える命が増えるかもしれないわね」





 最後にもう一つ、俺はタリアに打ち明けなければならないことがあった。



 俺はタリアに恐る恐る申し上げた。



「で、実はな。この針をジャンに作ってもらうのに、金貨二枚もかかったんだ」



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