第48話 魔術師の職場




 タリアの店には毎日、薬を買いに来る客が来る他、病人、怪我人も相変わらず訪れてきた。


 もし病気や怪我をしたとき、村人や冒険者は、薬草師、祈祷師、魔術師のどれを選ぶか?

 これは、ほとんど人それぞれ好みの選択であるようだ。

 とはいえ、薬草師には薬草師の、祈祷師には祈祷師の、魔術師には魔術師の得意な分野がある。


 薬草師は、薬草を原料とした回復薬、消毒薬を使って、患者の健康状態の回復を助ける他、剣で斬られた傷などの処置をはじめ、外科的な患者を受け持つことが多い。


 対して、祈祷師は、たとえば魔物と対峙して呪いの呪文をかけられてしまった冒険者や、正体不明の病気で苦しむ病人が相談に訪れることが多い。


 魔術師は、俺の印象では、なんでも屋だ。

 回復系魔法、攻撃系魔法などを駆使して、客の要望に応えられるよう魔法をかける。


 ちなみに薬草屋で取り扱う回復薬と、魔術師が唱える回復の呪文とは、使い分けが存在するようだ。


 回復薬は、単純に体力が消耗した患者に滋養強壮の目的で飲ませることが多い。


 それに対して、魔術師の唱える回復の呪文は、魔物と対峙して大きく体力を失った冒険者に用いることが多い。

 そして、魔術師の力量にもよるが、薬草屋が売る回復薬よりも、体力回復の幅が大きい、つまり効果が強い場合が多いようだ。




 先日俺は、タリアの了承を得て仕事中に休み時間をもらい、ベアリクの仕事場に足を運んだ。ベアリクの仕事ぶりを見てみたいと思ったからだ。


「やぁ。本当に来たね。何も面白いことはないと思うけど、ごゆっくり」


 ベアリクは俺を歓迎してくれ、職場の見学を許可してくれた。


 仕事中のベアリクは、水馬亭のパブで会うベアリクと違って、ちゃんとした魔術師の恰好をしていた。

 黒く長いローブを羽織り、手には大きな杖を持っていた。


「杖が一番大事な商売道具さ。俺達魔術師は、杖がなけりゃあ、呪文をかける事ができない」


 ベアリクの仕事場は、タリアの店とは全く雰囲気の違う場所だった。


 部屋の中は薄暗く、真ん中に大きな机がある。

 机の上には沢山の本や巻物が雑然と置かれていたし、机の真ん中には野球ボールほどの大きさの水晶の玉があった。

 壁にはぐるりと本棚が立ち並び、大量の書物が収納されている。


 ベアリクが座る大きな机の手前、つまり通用口から入った手前のスペースには、診察用のベッドが一台だけ置かれている。


 たいして広くなく、雑然と置かれる物だらけのこの部屋では、タリアの店のように、怪我人三人をいっぺんに診る事などできないだろう。


「うちは狭いんだ。東のサチメラの所は、もっと広いがな。

 繁華街の魔術師の住処なんて、こんなもんさ。

 もし一度に何人も患者が来たら、通りの向こうを少し歩いた所にもう一人魔術師が住んでいるので、そっちを紹介しているよ」


 部屋の中をジロジロと見回す俺に気づいて、ベアリクが教えてくれた。




 その後、客が一人やってきた。俺は見学させてもらうこととした。

 患者は三十歳代の女性だった。


「ベアリク様、最近、毎日のように悪夢をみるのです」

 女性はそう相談してきた。



 ベアリクはおもむろに、机の上の水晶の玉に両手を掲げ、目を閉じてしばらくじっとしていた。

 すると、水晶の玉の中に、何かの像が映り出した。


「見なさい。あんたを苦しめている物の正体だよ」

 ベアリクは女性に説明した。


 水晶の中に映っているのは、老婆のようだった。

 女性は老婆の像をみて、両手で口をおさえてベアリクに告白した。


「これは、私の姑です」


「あんた、姑さんとうまくいってないようだね。悪夢の原因はこれだよ。

 しかしね、見てごらん。

 水晶の中の姑さんは決して怒った顔をしているわけでもないし、怖い顔でもないだろう? 

 ただ黙って、あんたを見ているだけだ」


 ベアリクはかざしていた両手を離した。

 と同時に水晶の中に映っていた像も消えた。


「これはつまりね、こういうことだよ。

 あんたは姑さんの目を気にしすぎているんだ。

 姑さんに嫌われているんじゃないか、憎まれているんじゃないかと、いつもそう考えているのでは?

 ……でも、実際は、そんな事はないようだよ。

 姑さんはあんたに対して、なんとも思っていないよ。

 考えすぎて、根を詰めすぎて、悪い夢にうなされるようになったんじゃないかな。

 あんたが気にしすぎる癖を改めたら、悪夢を見ることもなくなるだろう」


 女性は深く納得した様子で、礼を言い、金を払って出て行った。



「まぁ、こんな感じだ」

 とベアリクが笑顔で言った。


 水晶の中には確かに彼女の家族が映っていた。俺もこの目で見た。

 どうやらこの世界には、科学では説明できない魔力というものが、本当に存在しているようだ。

 実は、まやかしの類ではないかと半信半疑だったのだ。


「魔術師が魔法をかけるには、呪文を唱えるだけじゃあだめだ。

 杖や水晶といった道具が必要なのさ。

 何も道具を持たずに魔法を使える魔術師はそうはいないよ。

 そして、より効果の高い魔法や特殊な魔法をかける時は、長い呪文が書かれた巻物や本を使うときもあるんだ。

 巻物や本を使って術を唱えたときは、術が効果を発揮している間中、すぐ近くにその本や巻物を置いておかないといけないんだ。

 たとえば、目くらましの術を使っても、巻物をどこかに持って行ってしまったり、燃やしちまったりすれば、立ちどころに術の効果は消える。

 船に乗って、帆に風を引き寄せる術もあるんだよ。

 これを使えば、風を操って船は海の上を縦横無尽に進むことができる。

 でもな、もし魔術師が誤って杖を海の中に落としてしまったら、それで終わりさ。

 ようするに、魔術師は、杖なり水晶なり巻物なり本なり、道具がなければ何もできんのよ。

 優秀な魔術師は、道具の入手にも金と労力をかけている、っていうことさ。

 俺はそれほど優秀な魔術師じゃないからな。道具は通り一遍のものしか持っていないよ」



 そしてベアリクは、試しに俺に対して回復の呪文をかけてくれる、と言った。


「勉強熱心なあんただけに、大サービスだ」


 ベアリクは立ち上がり、机を回って、俺の目の前まで来た。

 そして、持っている杖を両手で握りしめ、何やらブツブツと唱え始めた。

 次に、杖を右手に持ち、天井に向けて高く掲げ、何か俺には聞き取れない発音で、一言言葉を発した。

 杖の先がほのかに光り出した。

 そのオレンジ色の光は、バレーボールくらいの大きさまで育ったと思うと、俺にぶつかってきた。

 光が俺の体の中に吸い込まれていく。


 すると、不思議な事に、身体中から力がみなぎるような気分がした。

 体が軽くなり、気持ちも楽になった。


「なんだか、力がみなぎってきたような気がする」

 俺は言った。


「そのとおり。回復の呪文をかけたからね。

 とはいえ、あんたは元から健康だから、それほど何が変わるというわけでもないがね。

 本来は、例えば傷ついた冒険者にかけるのさ。

 今のようにうまく効けば、再起できるのさ」



 俺は感心して、礼を言った。


「こんな事もできるよ」


 とベアリクは言って、再び杖に向けて何やら唱え、今度は部屋の中にいたベアリクの飼い猫に向けて紫色の光を放った。

 光を受けた猫は、しばらくすると、ころりと転がって倒れてしまった。


「死んだわけじゃないよ。

 睡眠の呪文を使って寝かせたのさ」


 ベアリクは、もう一度杖に何やら呟いてから、ぐっすり眠っている猫に、杖の先端をコツンとぶつけた。

 次の瞬間、猫は何事もなかったかのように動き出し、部屋の外に出て行った。



 俺の中で、何かアイディアのようなものが閃いた気がした。

 しかし、閃いたものは一瞬で頭の中を通り過ぎてしまった。

 何か良い事を思いつきかけたのだが……。




 このようにして、ベアリクの仕事場訪問は有意義に終わった。

 俺は礼を言って、ベアリクの家を出て、タリアの店に戻った。


 帰るとタリアが、


「あっ、戻ってきたわね。てっきりベアリクの所に転職する気なのかと思ったわよ」

 と笑いながら冗談を言った。




 ところで、俺と一緒に黒トウガラシの採取に行って、ゴブリンに出くわして大怪我をしてしまったラモンだが、肩口の傷は順調に癒えてきている模様だ。

 しかし、日常生活には不便はないが、左肩をやられてしまったため、以前のように弓を射ることが難しくなってしまったようだ。


 「弓使いが俺の天職なんだけどなぁ。まぁ仕方ないさ」


 と、ラモンは今は右手で剣を振り回している、とのことだった。





 あれから、ザウロスの報復と思えるような事件は発生していない。

 しかし、油断はできない状況だ。


 以前に比べて、間違いなくダイケイブに入る冒険者達の負傷率が上がっていて、タリアの店にも、怪我人が運ばれてくる頻度が増えたし、東の魔術師サチメラの所は、毎日猫の手も借りたいくらいに、怪我人が運ばれて大わらわの状態のようだ。


 領主マケラは、東の詰所の番兵の配置を大増員し、ヤブカラ谷までの一本道の見回りを強化するよう命じた。


 また、ダイケイブに行く冒険者のパーティ以外の村民がヤブカラ谷に出向くことを禁じた。



「今度黒トウガラシの在庫がなくなったら、どうしよう?」

 とタリアは心配している。


「その時はまた俺とラモンで採りに行ってやるよ」


「嘘でしょ。勘弁してよ」

 とタリアは俺を叩いた。





 不穏な空気が迫りつつあるのを感じながらも、表面的には平和で刺激的な毎日が過ぎていった。





 そんなある日、タリアの父が亡くなった。


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