第45話 タリアの診察眼
眠りについたのは日付が変わってからだった。
睡眠中に夢を見た。
俺は自宅に帰り、今やにぼしという名前のついた猫と久しぶりに再会していた。
にぼしは、以前と同じように俺の膝に乗り、くつろいでいる。
俺はにぼしの背中を撫でてやりながら、スマホでネット検索をして暇つぶしをしていた。
そこにSMSのメッセージ着信が入った。
メッセージを確認すると、ハリヤマからだった。
『タカハシさん気を付けてください。あなたが今膝の上にのせているものは、あなたの知っている猫ではありません。騙されないで』
俺は腹を立てながらハリヤマに返信した。
『にぼしの悪口を言うな。おまえこそ、本当にハリヤマなのか? いったいおまえは誰だ』
すると、ハリヤマから再びメッセージが届いた。
『私はハリヤマです』
『私はハリヤマです』
『ハリヤマです』
『リヤマです』
『ヤマです』
『マです』
『です』
『 』
俺は目を覚ました。変な汗をかいている。
奇妙な夢だった。
時刻を確認すると、朝の七時だった。
俺は身支度をして食堂に降りた。
食堂ではノーラが一人で朝食を摂っているところだった。
「おはようございます。父は仕事のため、もう出かけて行きました。
よろしく伝えるように、とのことでした」
年頃の娘と二人きりで朝食を食べるのは気が引けたので、俺は挨拶のみして出て行こうとしたが、ノーラに引き留められた。
「朝食を一緒に食べて行ってください。遠慮しないでください」
と言う。
執事がやって来て「プッピ様どうぞノーラ様と一緒に」と勧めてくれたので、言葉に甘えて朝食を御馳走になることにした。
体調が良いです、とノーラが笑顔で言う。
「先日は本当にありがとうございました」
ノーラがあらためて俺に礼を言った。
あれから、発作の頻度も減り、毎日穏やかに過ごしている、とのこと。
「役に立てて本当に良かったです」
俺は言った。
「薬草屋の仕事はどうですか」
俺は少し考えてから言った。
「思った以上に大変な仕事だと感じています」
「今度、薬草屋に遊びに行ってもいいですか」
とノーラ。
是非どうぞ、と言っておいた。
ノーラと二人きりで過ごしていると、どうも落ち着かない気持ちになるため、俺は食事を早々に食べ、ノーラに礼を言い、タリアの店へと出勤した。
今日は、特に何事も起こらない平和な日だった。
午前中は俺は再び書物に目を通すことを命じられた。
先日と同じように、読める部分だけを拾い読みしていく。
やがて昼になり、タリアと昼食を摂った。
「どう? 勉強は進んでる?」
タリアが聞いてきた。
「いや、難しい。読めない字や、知らない単語が多すぎて、難航している」
と俺は答えた。
俺は、昨日から疑問に思っていることをタリアに聞いてみることにした。
「なぁ、刀で斬られた傷口の手当てのことなんだけどな、よく洗って清潔にして、薬を塗って、包帯を巻く。これ以外に方法は無いのかな?」
タリアは少し考えてから言った。
「父の仕事ぶりを見ていた限りでは、他には方法はなかったけど」
「たとえば、だよ。傷口を糸で縫い付ける、というのはどうだ?」
「あなたってユニークよね」
タリアは目を丸くしてそう言った。
どうやら、この世界には切り傷を縫合するという手法は、存在していないらしい。
傷の状態によっては、縫合してしまった方が良い場合もあると思うのだが。
しかしここは中世ファンタジーの世界であり、俺の考えはそこから逸脱しているのであろう。
午後になって、病人がタリアの診察を受けにやって来た。
一人目の病人の名前はロメルといった。四十歳ほどの男性だ。
今朝から発熱があり、身体が怠く、吐き気を催し、腹痛と下痢があるという。体に触れてみると確かに熱かった。
「昨日、何を食べた?」
とタリアが問診する。
「昨日は、晩に鶏を食べた」
とロメルは答えた。
「ちゃんと火を通した?」
「いや、生で食べた」
とロメル。
タリアは食当たりだと判断し、ロメルにそう説明した。
鶏を食べるときは、必ず火を通さないといけない、と指導し、粉薬を三日分処方した。
「いつも生で食ってるんだけどなぁ」
ロメルはそう言いながらも、これからは火を通して食べるようにする、と言って帰って行った。
二人目の患者は、骨折だった。
馬車から落ちて腕の骨を折った、と言って診察に来たのは、村の西部に住んでいるヤラパという三十歳代の男だ。
右腕の前腕部が変な方向に曲がっている。
タリアは、痛みで大声をあげるヤラパに構わず、右腕を思い切り引っ張り、戻して、骨折の整復を成功させた。
その後添え木をあてて包帯を巻き、しばらくの間は無理しないように、と言って帰そうとした。
俺はヤラパを引き留めて、風呂敷大の布の角を折り、三角巾にして腕を吊ってやった。
「あれは何?」
ヤラパが帰った後、タリアが聞いてきた。
俺は、腕の骨折時は三角巾を作って腕を吊ってやると、楽なのだ、とタリアに教えてやった。
タリアは感心して、俺の肩を叩く。
「すごい! あなたやっぱり何か才能があると思うわよ」
とタリアは言った。
今日最後の患者は、歯痛を訴える女だった。
タリアが痛み止めの薬を処方した。
他にも、合間合間に薬を買いにくる客が来て、一日中それなりに忙しい日となった。
それにしても、タリアの診察眼には恐れ入る。
わずかな情報で患者を食中毒と判断して薬を処方したり、骨折を整復したりと、さながらタリアは医者そのもののようだ。
以前にマケラと話した際には、この世界には“医師”という明確な職業が存在しないという話を聞き、俺はその時、この世界には医療がないのだと認識したのだが、それは間違いだった。
薬草師が実際にしていることは、原始的ではあるが、近代医療に近い。
「俺は、薬草屋というのは、もっと普通に薬草をただ売るだけの仕事だと思っていたんだが、実際には違うね」
と俺はタリアに言った。
「父がそうだったのよ」
とタリアは言った。
「本当は、薬草屋もいろいろなの。
あなたの言う通り、ただ薬草を売るだけの薬草屋がほとんどなのよ。
でも父は独学で勉強して経験を積んで、病人や怪我人を診た。
病人や怪我人を放っておけなかったのよ。
ただ薬を売りつけるだけじゃあ、気が済まなかったのね、きっと。
私はそんな父の助手をずっとやってきて、今は父の仕事の仕方の真似をしているだけよ。
それに、いくら父が倒れたからって、私一人になったからって、今更やめることもできないしね」
「村の皆に頼りにされているんだな」
俺は言った。
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