第35話 水馬亭




 店を閉め、タリアと別れた時には、時刻はすでに夜九時を過ぎていた。

 俺は今夜も水馬亭に泊まることにした。



 水馬亭にたどり着き、主人に昨日と同じように食事と宿を頼み、パブで遅い食事を摂っていると、一人の男が俺に声かけてきた。


 ベアリクだった。

 昨日の夕方、薬草屋に小瓶を買いにきた魔術師の男だ。


「どうだい慣れたかい」

 ベアリクは酒を持って、俺の隣の席に腰かける。


「まだ二日目ですからね。

 それに、今日は忙しかったので疲れたよ」

 俺はチーズをつまみながらベアリクに言った。


「東の詰所の鐘が鳴っていたものな。

 怪我人の治療で大忙しだったんだろう。

 お疲れさんだったなぁ。

 この酒は俺がおごるよ」

 ベアリクはニッコリ笑ってそう言った。


「ありがとうございます」

 俺は礼を言う。


「何せタリアも大変だろうて。

 先々月、親父さんが急に倒れてな。

 それからはなんでもかんでも一人でやっているのだから。

 この村には薬草屋が一件しか無いし、薬草師もタリアの親父さん一人しかいなかった。

 だから、親父さんが急にあんな事になって以降、あの娘は見様見真似で家業を引き継ぐことになったんだ。

 まぁ、彼女はずっと長いこと親父さんの隣で、助手として働き、親父さんの仕事ぶりをみていたからな。

 だから今こうして一人でやり繰りすることもできるんだろう。

 いずれにしても、よくできた娘だと思うよ」


 ベアリクは自分の酒を飲み干し、おかわりを頼んだ。


「そんなところに、おまえさんが手伝いに入ってきたのだから、彼女としても心強い所だろうな。

 これからタリアを助けてやってくれよ?」


「なんなら、タリアと結婚してあんたが薬草屋の主人になっちまえばいい」

 ベアリクは俺の背中を叩きながら笑って言った。


「いやいや、それはないけれども」

 見知らぬ世界で結婚だのまっぴらごめんだ。冗談じゃない。



「ところでベアリクさん」

 気になっていることを質問してみることにした。


「俺は、魔術師っていうのは、こう、長いローブを羽織って、大きな杖を持って、白い髭を伸ばして……っていうイメージを持っていたのですが、あなたは違うね?」


 今日のベアリクの服装も、そこらの通行人と変わらない、普段着の装いだった。

 布の服に革の靴。

 頭は禿げ上がり、髭も生えていない。

 もちろん杖も持っていない。

 見た目ははっきり言って、そのへんにいる只のおっちゃんだ。



「はあはあ。あんた、ずいぶん面白い事を聞くなぁ。

 俺は確かに魔術師だよ。

 あんたの言うような長いローブも、大きな杖も、持ってるよ。

 しかしあれは、仕事道具だ。仕事着だ。

 そりゃ、魔術師として働く時には着替えるけどな、それ以外の時は普段着を着るさね。

 当たり前だろう?」


 なるほど、納得した。


「俺はこの村の、言ってみりゃお抱えの魔術師さ。

 俺みたいなお抱え魔術師は何人かいるぞ。

 村の東にはサチメラという魔術師がいる。

 そして西の港のそばではクルプという男が魔術師をして生計をたてている。

 村の中心の繁華街は、俺以外にもあと何人か魔術師が住んでいる」


 ベアリクは続けて話す。


「今日はタリアの店に怪我人が運ばれてきて、タリアが処置をしたんだろう? 

 俺のところにも病人や怪我人がやってくることがあるんだ。

 タリアは薬草を使って患者を治す。

 俺達魔術師は魔法を使って治してやる。

 そういうことだ。

 だからまぁ、タリアとはある意味、商売仇でもあり、商売仲間でもある。

 ……そうそう、今日の怪我人がわざわざタリアの店まで馬車で運ばれて来たのはな、ようするに東の魔術師のサチメラが患者の容態を見て治療を断ったのさ。

 サチメラが自分の手に負えんから薬草屋に行けと言ったんだろう。

 だから、東の詰所の番兵が鐘を鳴らして、タリアに合図を送った、というわけだ。

 あるいはもしかしたら、患者本人が魔術師ではなく薬草師を希望したのかもしれないが」


「怪我人や病人を、魔法を使ってどういうふうに治すんだ?」

 俺は質問した。


「あんた本当に何も知らないんだな。

 そんな生まれたての子犬みたいな純朴な目で俺を見るな。

 教えてやるから」

 ベアリクは上着のポケットから葉巻を取り出し、マッチを擦って火をつけ、燻らせながら話をつづけた。



 ベアリクの話しを要約するに、魔術師が使う魔法は、大きく分けて攻撃系魔法と回復系魔法があるらしい。


 攻撃系魔法とは、たとえば手の平から火の玉を吐き出し敵にぶつける、とか、氷のように冷たい冷気の塊を敵にぶつけてダメージを与える、など、主に戦闘時に使う魔法だ。

 敵を眠りに誘ったり、敵の精神を混乱させる魔法もあるという。


 そして回復系魔法は、いわゆる回復の呪文だ。

 消耗した体力を回復させたり、毒の作用を消したりすることができるらしい。

 

 村のお抱え魔術師であるベアリクは、主に回復系魔法の使い手だ。

 病気で体力を消耗した病人に体力回復の呪文をかけたり、怪我人に毒消しの呪文を使って治癒を促したりするのだそうだ。


「不眠症で悩む村人に睡眠の呪文を使ったこともあるぜ」

 とベアリクは笑って言った。



「ところで、あんたはトンビ村に来る前はどこにいたんだい?」

 今度はベアリクが俺に質問してきた。



 俺は、昨日ハリヤマに考えてもらったキャラクターの経歴を思い出しながら、ベアリクに言った。


「ここしばらくの間はダマスの街で船荷の積み下ろしの仕事をしていたんだ。

 それから、ヤーポの街に向かうアリアンナ街道の道中で盗賊に襲われて。命からがら逃げてきて、この村にたどり着いた、というわけさ」

 ……我ながら、うまく喋ることができた、と思う。


「ほう、ダマスの街にいたのか。

 あんな都会からこの村に来たんじゃ、今は退屈で仕方ないんじゃないのか?」

 ベアリクが言った。


「退屈だなんてとんでもない。

 毎日必至で生きることに精一杯だよ」

 俺は言った。ベアリクは笑った。




 ベアリクと別れた後、俺は宿部屋に入り、スマホを取り出してメッセージ着信を確認した。



 “新着メッセージ 2件”

 ポップアップメッセージが出ている。



 ハリヤマとユキから、一件ずつメッセージが届いていた。



< 4月4日(木)>

◆『お疲れ様です! お困りのことはありませんか? 

 何かあれば連絡ください』午後5:03



< 4月4日(木)>

◆『タカハシさん、頑張ってますかー!! 

 応援してます! また連絡しますね(ハート)』午後6:12




 二人のメッセージに、特に目新しい情報はない。

 俺は二人にそれぞれ同じ文章のメッセージを返信した。


◇『薬草屋で一日忙しく働いて疲れました。

 もう寝ます。おやすみなさい』


 とりあえずメッセージを返信したことで、俺が無事で過ごしていることはわかるだろう。

 今日は疲れたので、ポチポチとメッセージのやり取りをする元気はない。



 俺はスマホをしまって、布団の中に入った。

 目を閉じたと同時に、眠気が俺の体全体を包み込み、俺はすぐに眠りに落ちた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る