第34話 今日はお疲れ様
頭から血を流していた男は、タリアが薬を使って出血を止め、その後包帯を巻いて治療が完了し、店を出て宿屋に向かって帰って行った。
付け根から腕を切断したドワーフは、間もなく意識を取り戻した。
切断面は包帯で隠れているが、先ほどの薬で止血したようだった。
顔色は変わらず悪く、活気もないものの、刻んだ薬草を湯で溶いたものを少しずつ少しずつ飲ませると、そのおおかたを口にした。
そのうち口も聞けるようになった。
そしてドワーフは驚いたことにその日の日暮れ過ぎには自力で起き上がり、タリアに礼を言って店を出て行った。
俺は、タリアに指示されて、ベッドとその周りを清掃した。
水をたっぷり使い、床をブラシで擦った。
タリアは使用した道具や薬品の後片付けをしていた。
タリアが店外で待機している子供に再び小遣いを与え、何かを用事を頼んでいた。
しばらくしてから、“運び屋”だという男二人がやってきて、死んでしまった脇腹を怪我した男を墓場に運んで行った。
怒涛のような一日だった。
閉店時間が近づく頃には、もう俺は口をきくのも大儀なくらいに疲れ切っていた。
「今日は忙しかったわねー」
タリアが俺に声かけた。
「あれだけの怪我人が来ても動じないあなたはさすがだなぁと思った」
俺はタリアを褒めた。
「それにしてもあのドワーフ、腕を切断したのに、その日のうちに歩いて帰るなんて。
そこに一番驚いたよ」
「あれは、ドワーフだからよ。
ドワーフは強いもの。
人間だったら、同じことをしたら助からないかもしれない。
でもスナッタバットに噛まれた時点で、毒が回ってるはずだから、根本から切るしかなかったの」
タリアは人差し指と中指をカニのようにちょきちょきと動かしながら言った。
「私よりも、初めてなのに平然としていたあなたの方がすごいと思う。見直したわよ」
いや、そんなことはない。
顔には出さなかったかもしれないが、俺は焦りまくっていたし、驚きまくっていた。
薬草屋の店内という、お世辞にも清潔とはいえない環境の中で処置をするさまは、はっきり言って狂気の世界だった。
元看護師の俺としては、手袋もせずに処置を続けるタリアに、恐怖すら覚えていた。
しかし、あれだけの怪我人を相手にしても冷静にふるまうタリアはすごい。
たいした娘だ。
「私は本当は心の中ではドキドキしてたのよ。
だって、今までは父がいて、私は助手だった。
実はね、父が倒れて私が一人で店を仕切るようになってから、怪我人が一度に三人も来たのは今日が初めてだったの」
タリアは両手で頭のてっぺんをポンポンと叩きながらそう言った。
「正直に言うと、薬草の調合も私はまだ完全に出来ないの。
だから、一部の薬は店の在庫がなくなったら、もうおしまい。
怪我人や病人の治療方法だって、今日はたまたま見当がつく患者だっただけよ。
それに、処置する順番を誤ってしまった。
最初に腹の怪我を診ておけば、彼は助かってたかもしれない」
「でも、腹の怪我を治している間に、ドワーフが死んでたかもしれないぜ」
俺は言った。
「結果オーライだ。助からなかったのは、そういう運命。
あんた、昨日そう言ってたじゃないか」
慰めるつもりではないが、俺はそう言ってタリアの肩を叩いてやった。
「そうね。ありがとう。明日からも頑張ろう!」
「ところであなた字は読めるわよね?」
タリアが俺に聞いた。
「読める字と読めない字がある」
俺は正直にそう答えた。
この世界の住人は、皆日本語を話している。
だから俺はコミュニケーションがとれているわけだ。
この中世ヨーロッパ調の世界で、人々がなぜか堂々と日本語を話している所が、この世界が作り物の疑似的世界である所以だ。
ところが、文字の方はというと、ほとんど読み取れない。
この店の中にある一部の薬瓶のラベルは、見た事のない文字で書かれていて、全く判別できない。
反面、別の一部の薬瓶は、ところどころ、朧気に意味がわかるラベルもあるのだ。
どうやら、この世界における文字は、一部はおそらくこの世界のオリジナルの言語で書かれており、また別の一部は英語、それも筆記体の英語で書かれているのだ、という事に気づいた。
ただし、英語で書かれた文字の方も、大きく崩れた字体のため非常に読みづらく、決して英語が得意でない俺には、判読が難しい。
「薬草の調合についての書物が沢山あるのよ」
タリアが言う。
「父は全部読んで理解して、頭に入れていたようだけれど、私はまだ全然読み切れていない。
あなたにも書物の整理を手伝ってほしいの」
「ううむ」
読みたいのは山々だが。
「ま、おいおいにやっていくようにするよ。
とにかく今日は疲れた」
「そうね。確かに」
とタリア。
「明日からは薬草の取扱いの基本的な所から、あなたに教えていくわ。
今日はお疲れ様」
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