第31話 薬草屋の初日
午前中、薬草屋には一人の客も訪れなかった。
「珍しい」
とタリアは言う。
普段はもう少し客が来るのだ、と。
まかないの昼食は、パンとチーズ、それに野菜のスープだった。
「マケラ様から聞いたわ。ノーラ様の病気を治したんですって?」
食事中、タリアが俺に質問した。
「治したわけじゃない。対処方法を教えただけだよ。偶然うまくいったんだ」
俺は言った。
「ふーん」
タリアは頬杖をつきながら何か考えているようだったが、やがて話し始めた。
「この店にも薬草を買いにくる普通のお客以外に、病人や怪我人が運ばれてくるのよ。
病気を治せることもたまにはあるけど、大抵は上手くいかなくてここで死ぬの。
怪我人もそう。軽傷ならいいけど、怪我が重傷だったら、効く薬草はないわ。
始めから見るからに手に負えない患者が来たら、うちはお手上げ。
魔術師か祈祷師を紹介してる」
タリアは無表情でそう説明した。
「でも、たまには治療がうまくいくこともある」
タリアはニッコリ笑ってみせる。
「誰も運命には逆らえないのよ。
ここで死ぬ人はそういう運命。
薬草が効いて助かる人もそういう運命。ねぇ」
タリアは皿に盛ったチーズの最後の欠片を口に放り込み、席を立ち、仕事に戻って行った。
午後の仕事も掃除ばかりだった。
この娘、初日から俺に対する扱いが手荒い。
掃除が終われば、次は大量の包帯の洗濯を命令された。
午後を回っても、客は一人もやってこなかった。
「おかしいわ。ここまで暇な日はない」
タリアが愚痴っている。
客は入らなくても、タリアは忙しそうに働いていた。
何やら薬草をすり潰して、別の粉末と混ぜ合わせていたかと思えば、ハタキを振り回してベッド周りを掃除したり、机に座って売り上げの計算をしたりと、やる事はいくらでもある模様だ。
「ごきげんよう!」
夕刻近くになり、やっと一人の客が入店してきた。
「もー! 今日は一人も客が来なくて困ってんのよー」
どうやら顔見知りのようだ。
タリアが今日から働く俺のことを客人に紹介した。
「助手を雇った」とタリアが自慢げな表情で客人に言う。
俺は客人に挨拶代わりに手を挙げ、「どうも」と言った。
客人の名はベアリク。
魔法使いなのだそうだ。
しかし、中世ファンタジーの世界に登場する魔術師といえば、長い髭をたくわえ、仰々しい杖をもち、黒くて長いローブを纏っているようなイメージだったのだが、ベアリクは全く普通の服を着ていて、言われなければただの通行人である。頭は半分禿げ上がっている。
「魔術師も薬草を買うんだよ」
ニヤニヤ笑いながら言う。
ベアリクが購入したのは、小さな小瓶に入った液体だった。
「これと教会で売ってる聖水を混ぜると、みごとな効果を生み出すんだ」
ベアリクが俺に説明した。
「死んでる人間も生き返るのさ」
ベアリクが店を出て行った後、タリアが俺に言った。
「さっきの嘘よ。あれはただの気つけ薬」
結局、本日の客人はベアリク一人であった。
日が暮れてから店を閉じる。
「初日お疲れ様。明日はもっとたくさんお客がくると思う。今日はおかしな日だった」
タリアはそう言い、帰り支度をした。
「今日から宿屋に泊まろうと思うんだけど、どこかおすすめはある?」
俺はタリアに質問した。
「“水馬亭”がいいわよ。食事もそこそこだし、変な客も少ない」
タリアが少し考えてから、俺に言った。
俺は水馬亭までの道順をタリアに教えてもらい、挨拶して、先に店を出た。
一日の仕事が終わった。
スマホをチラリと覗き、時刻を確認すると、もうすぐ夜の七時になるところだった。
日中は賑やかだった村の中心部も、日が暮れると雰囲気が一変して静まりかえっている。
俺は道路沿いの家々から漏れる灯りを頼りに、水馬亭までの道のりを徒歩で移動した。
薬草屋から水馬亭までは、徒歩二十分ほどだった。
入り口に掲げられた看板には、水面を泳ぐ馬のイラストが描かれているが、俺には海で溺れている馬にしか見えなかった。
扉を開けて中に入る。
一階はパブで、酔客で満席近い賑わいだ。
宿屋は上階のようだ。
まずは腹ごしらえをすることにする。
カウンターにいる主人らしき人物に声をかける。
「食事をして、部屋に泊まりたいんですが」
「いらっしゃい。二人部屋でいいかな?」
「いや、個室が良いです」
俺は言った。
個室でないとスマホをチェックできない。
「じゃあ、食事つき一泊で、銅貨六枚だよ」
主人は言った。
俺は金を払う。
空いている席を指さされたので、座って待つことにする。
俺の席はカウンターの一番端だった。
俺の席の隣に座っているのは、ホビットの二人連れだった。
何やら今後数週間の天候の移り変わりについて、熱論を交わしている。
主人が食事と酒を持ってきた。
「お客さん、ここに来るの初めてだね?」
主人は俺に声かけた。
「ええ。一昨日トンビ村に来たところです。繁盛してますね」
主人は笑って答える。
「ああ、そうだよ。おかげさまで毎日繁盛しているよ。
最近は他所から来た冒険者様御一行が増えたしね」
「それは、ダイケイブ行きが目的で?」
俺はパンをかじりながら、主人に質問した。
「そうさ。皆、ダイケイブの奥深くにあると言われる金銀財宝が目当てなんだ。
危ない仕事だけど、当たればでかいヤマだよな」
「お客が増えるのはいいことだ」
俺は相づちを打つ。
「でも、ダイケイブに入って、五体満足で無事に出て来れる奴はそうはいないからな。
昨日までのお得意さんが、今日は墓場に入ってる、なんてもんさ」
「ふうん。ところで、トンビ村がここまで栄えているのは、どうしてです?
ダイケイブ行きの冒険者相手だけじゃあ、商売にならないでしょう?」
俺は聞いた。
「ああ、この村は手先が器用な奴が多くてな。
工芸品をつくるんだよ。
村の中心部を少し歩いてみてごらん。
いたるところに工房があるよ」
「それはすごいですね。
じゃあ、いろんな物を作って、他の町に売りに行くんですか」
「そうそう。
ダマスの街には河を船で下って運ぶし、北のクイナの村からは行商人が買いにくるよ。
村の職人は、どんなに細かい細工でもするからな。
たいした職人が揃ってるんだよトンビ村には」
そう言えば、タリアが両耳につけていたイヤリングも見事な細工だった。
あのような細かい仕事ができるのであれば、様々な道具や工具、装飾品などを仕上げることができるだろう。
トンビ村の文化レベルは予想以上に高いようだ。
「ところで、あんたはどこから来たんだい?」
主人が俺に聞いてきた。
「えーと、アリアンナ街道を歩いてて……むにゃむにゃ」
言葉が続かない。
「アリアンナ街道に、こないだ盗賊が出たらしいじゃないか」
その後話題は盗賊団のことになり、それからこの村の治安の話になった。
マケラが言っていたとおり、村の中心部の繁華街は決して治安は良くないらしい。
俺は水馬亭の主人から、近寄らないほうが良い通りや店の情報をいくつか聞いた。
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