第15話 14




 どれほどの時間が経ったろうか。


 ふと気付くといつの間にか、俺はどこかのホテルかオフィスのフロアの通路のような場所にぼんやりと立っていた。


 床は上品な赤茶色の分厚いカーペットが敷き詰められている。

 天井からのLEDライトの白い照明が通路を明るく照らしている。


 どこからか、かすかな音で音楽が流れているのが聞こえる。

 上品なジャズ調の楽曲かと思ったが、よくよく聞いてみれば、ジャズバンドが演奏している曲は、あのシンディ・ローパーの『グーニーズはグッドイナフ』ではないか。


 通路はまっすぐと伸びており、突き当りにはエレベータが見える。

 左右の壁には、等間隔にドアがある。



 一番近くにあるドアを開けてみようとしたが、どうやら鍵がかかっているようで、びくともしない。

 順番にドアを試すが、どれも施錠されていて開くことはない。



 俺はドアを一つずつ試しながら歩き進み、通路の突き当りのエレベータまでたどり着いた。



 通路のドアが一つも開かなかった以上、目の前のエレベータに乗るしかない。

 エレベータのボタンは「△」と「▽」があったが、俺はエレベータの「△」ボタンを押して、待ってみることにした。


 しばらくして、「チン」とベルの音がしてエレベータが到着、扉が開いた。

 俺はエレベータに乗り込む。


 エレベータの内部は、俺の住む六畳のワンルームマンションの部屋よりも広々としていた。

 壁と天井はステンレス製で、床には通路と同じ色合いのカーペットが敷きこまれている。


 俺がエレベータ内に入ると間もなく、音もなく扉が閉まった。


 階数を示すボタンを見ると、「1」から「54」までボタンが並んでいる。


 俺は、1階のボタンを押してみるが、ボタンは反応せず、エレベータが動く様子はなかった。

 そこで次は2階のボタンを押してみるが、やはりボタンは点灯せず、エレベータは動かない。

 3階、4階……順番に試してみるが、やはり同じく反応なしだ。


 俺は順番にボタンを押すのをやめ、適当にボタンを押して、反応する階が無いかどうか確かめることにした。


 「40」もだめだし、「19」もだめだ。

 「32」……だめ。「27」……だめ。



 「14」のボタンを押した時だった。

 初めてボタンが点灯し、それに呼応してエレベータがウイーンと低い音をあげて動き出すのがわかった。


 俺は今、エレベータで十四階に移動している。


 しかし、エレベータは恐ろしくゆっくりと動いているようで、いつまで経っても到着する気配はなかった。

 そもそも、十四階に向かうこのエレベータは上昇しているのか下降しているのか、それさえもはっきりしない。



 ずいぶん長い間、俺は点灯している「14」のランプを見ながら立ちつくしていた。


 もしかしたら、俺はこのエレベータの中に閉じ込められてしまったのではないだろうか。

 そう思いエレベータの開閉ボタンを押してみるが、何も反応しない。

 一般的なエレベータには、非常時の呼び出しボタンがついているものだが、このエレベータにはそのようなボタンは見当たらない。


「はぁ……」


 俺はため息をついて座り込む。

 なんだか疲れてしまった。


 どうしてこんなに疲れているのだろう。

 ……そう思った瞬間、俺の脳裏にネズミに食い殺された時の記憶がよみがえる。


 そうだ、俺は死んだのだった。

 あろうことかネズミに食い殺されて死んだのだ。


 オープンワールド『アイランド』の中にワープして、武装した二人の男に囚われ、番兵の詰所の牢屋に閉じ込められたのだ。


 そしてネズミとの戦闘であえなく死んでしまったのだった。



 ちょっと待て。

 ネズミと戦って死ぬなんて、いくら何でも情けない話じゃないか。



 それともあのネズミは殺人ネズミか何かか?

 恐ろしく強い魔物だったとか?



 考えられるのは、ネズミが恐ろしく強かったか、あるいは俺が恐ろしく弱かったか、そのどちらかだ。



 ふとハリヤマが言っていた事を思い出す。


 ――「ゲーム中に出会う人物や動物、あるいは魔物はすべてAIを持って自立して行動しています」――


 ――「会話をするなり、戦ってみるなり、自由にできます」――


 そして、こう言っていた。


 ――「言うなれば、まだレベル1無職の状態なので、下手に闘いを挑むと間違いなく負けます」――



 俺が信じられないほど弱っちい存在だったのは、そういうことか。


 ドラクエでもなんでもRPGは、最初はネズミだのウサギだのといった最弱クラスの敵と戦って、勝ったり負けたりしながら段々と経験値を積み重ねて、戦闘力を上げていくのだ。

 レベルが十分に上がっていないのにクマやライオンと戦おうとすれば、無残に殺されるのがオチだ。


 それと同じ事で、今の俺はまだ二匹のネズミと互角に戦う戦闘力や防御力を持ち備えていなかったと、そういう事か?


 確かにハリヤマは、今日は散歩する程度にしておけ、とそう言っていた。

 しかし突然目の前に出現した只のネズミに負けるほど弱いというのは、いくらなんでもあんまりだろう。



 ハリヤマはこうも言っていた。


 ――『アイランド』は世界は再現できているのですが、まだ中身がない。ゲームシステムが白紙に近いレベルなのです――

 

 ハリヤマよ。言いたいこともわかるし、テストプレイヤーの意見やアドバイスが必要だったこともよくわかるが、いくらなんでもゲームバランスがひどすぎる。

 プレイ開始して早々にネズミに殺されてゲームオーバーなんてゲーム、誰が買うというのだ。



 ハリヤマに会ったら言いたいことが山ほどある。

 とりあえず奴の後頭部をスリッパで張り倒してやる。



 そんなことを考えている時、エレベータの天井の方から「チン」とベルの音がした。

 上昇だか下降だかわからないが、エレベータの移動スピードが少しずつ緩んできているのが感覚でわかる。


 そろそろ十四階に到着するようだ。



 再び「チン」とベルの音が鳴り、おもむろにエレベータの扉が開いた。

 

 やっと着いたか! ハリヤマ! 首を洗って待ってろよ! 



 扉が開くと同時に俺は足を外に踏み出したのだが、その瞬間、俺は目を疑った。


 扉の先は、真っ暗闇だったのだ。

 すでに一歩足を出してしまっていた俺は、後戻りすることもできず、驚きのあまりバランスを崩し、真っ暗闇の中に倒れこんでしまった。


 そしてエレベータの扉はするすると閉まり、俺は真っ暗闇の中に取り残された。




 漆黒が全身を包む。

 いったい何なんだこれは……?


 暗闇の密度が濃すぎて、どこまでが自分で、どこまでが暗闇の空間なのか、わからない。

 自分の体とその周りとの境界がぼやけていく。

 


 指先の感覚がないことに気づいた。

 手足が動かない。

 真っ暗闇の中で、何か重たい空気が徐々に俺の体を包み込んでいく。





 いつのまにか、俺は気を失っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る