第16話 女神と話す




 鳥の鳴き声がした。どこかから暖かい光が差し込んでいるようだ。

 俺はゆっくり目を開ける。

 眠りから目が覚めた俺は、ぼんやりと空を見つめる。


「気が付かれましたか?」


 心地よい女性の声が聞こえる。


 俺はゆっくりと体を起こして、周囲を見渡した。


 さっきまでエレベータに乗っていたような……あれは夢だったのか? 

 それとも、今のこの状況が夢なのか? 

 どこからが現実で、どこからが夢の世界なのかわからない。


「当たらずとも遠からずです。

 あなたは深く眠って、夢を見ていたようです。

 そして今あなたは夢から覚めて私の元にきています。

 しかしまた、この場所とてあなたにとっては夢か幻か、蜃気楼か……」

 再び女性の声がした。



「私の名前は女神リーナ。

 この世界の均衡を見守る者です」


 女性の声は、目の前にある石段の上から聞こえる。

 見上げると、十段ほどの石段の上に、真っ白い絹のローブを着た美しい女性が立っている。



「私は、戦いに敗れ、傷つき倒れた冒険者に癒しを与える役目も果たします」


 女神リーナと名乗る女性はそう言った。



「あなたは死んでしまいました。

 かわいそうに、鼠に食い殺されてしまったのです」



 頭が痛い。

 何か考えようとしても頭がぼんやりして上手く考えがまとまらない。


「ここはどこですか?」

 俺はかすれた声でリーナに聞いた。


「そうですね、あなたにわかる言葉で例えれば、ここは天国のような所、とでも言いましょうか」


 どこからか音楽が聴こえる。荘厳なパイプオルガンの演奏。

 この不思議な空間に厳かな雰囲気を醸している。



「ああそうだ。

 俺は死んだんだった。

 ネズミに殺されて……。

 ちょっと待った! 

 まだゲームは終わってないのか??」


「この世界に終わりはありません。

 この世界は、まだ始まったばかりなのです」



 さっき、エレベータに乗ったのは夢だったのか?

 てっきりネズミに殺されてゲームオーバーになって、元の世界に戻ってきたのだとばっかり……



「あなたは死の淵で夢を見ていたのです」


 つまり、ここはまだ『アイランド』の中、っていうことか。


 俺はがっくりと肩を落とす。



「でも俺死んだんですよね? この後、俺どうなるの?」



「再び生き返るのです。

 再び世界によみがえり、冒険を続けるのです。

 あなたにとって、この世界では、永遠の死はありません。

 力尽きれば私の元に還り、祝福を受けて再び世界に降りていくことができるのです」


 ようするに、『アイランド』のゲームシステムとして、死んだからゲームオーバーっていうのは無い、ってことだな。

 そういえばドラクエでも、死んだら所持金がゼロの状態で教会で息を吹き返す、とか、そんな設定があった記憶があるな……と、俺は考えた。



「ドラクエとは何なのか、私はよく知りませんが、だいたいはそんな所です。

 あなたは選ばれし者。

 もし死んでしまっても何度でも復活が出来るのですよ」


 どうもリーナは俺の心の中の声も聞き取れるらしい。



「私はあなたを再び生き返らせることができます。

 しかしその前に、あなたに、あなた自身の人生について振り返ってほしいのです。

 過ちを正さなければ、再び同じ道を歩んでしまう可能性があるからです」



「人生の振り返りだって? 随分難しいこと言うね」


「それほど難しいことではないように思いますが」



 俺の人生を振り返るだって? 

 ……そもそも、仕事を辞めたことが正しかったのかどうか……。

 いくら看護師の免許を持ってるとはいえ、せめて転職先を決めてから退職すれば良かったかなぁ。

 おかげで今は三十も半ばになるのにニート生活だもんなぁ。

 それよりも、離婚が痛い思い出だなぁ。

 あいつと別れなければ、今頃俺にも子供が生まれて、家庭を持って……



「ちょっと待って?」

 リーナが俺を止めた。


「何の人生を振り返ってるのかわかりませんけど。

 私が言いたいのは、どうしてネズミに食い殺されるようなことになったか? とか、どうして囚われの身になったか? とか、そういうことなんですけど」

 リーナが腕組みをして俺に言い聞かせるように言った。



 ああそうか、俺の人生を振り返れって言うから、リアルの人生の振り返りをするのかと思ってしまった。

 そっちね。ゲームの話ね。



「ネズミに食い殺されて死んだのは屈辱的ですよ」

 俺は言った。


「いくらなんでも弱すぎる。

 ネズミより弱いプレイヤーって、おかしいでしょ。

 もう少し強くないとお話にならないね」



「では、あなたにもう少し力を授けましょうか?」


「ぜひお願いします」


「わかりました。この者に力を!!」


 リーナは両手を頭上に掲げて祈りを捧げた。

 聖歌隊のコーラスが聴こえた気がした。



「なんだか力が湧いてきたような気がします。

 ……気のせいかな?」


「それは多分気のせいです。

 でも大丈夫。

 あなたは、次に生き返る時には、今までよりもう少し強くなっています。

 少なくともネズミに食い殺されるほど弱くはありません」


「あー、どうもありがとうございます」



 俺はスマホのことを思い出して、リーナに質問した。


「そうだ、俺のスマホなんですけど、森の中に置きっぱなしになってるんです。

 返してくれませんか?」


「スマホ? ……スマホとは何ですか?」

 リーナは怪訝な顔で聞き返す。



 どうやらスマホの件はリーナはノータッチのようだ。

 生き返った後に自分の手でなんとかして回収するしかないか……。


「あ、なんでもないです」

 俺は誤魔化した。


 他にも聞きたいことがある。

 この際なので、リーナに聞いてみることにした。


「ハリヤマのことは知ってますか? 

 俺がこの世界に放り出されたのは、ハリヤマのせいなんですが」


「力になれなくてすみません。私は知りません」


 残念。


「ところであなたに一つ、忠告があります」

 リーナは言った。


「はい。なんでしょう?」


「あなたは、自分の名前を偽って名乗りましたね? 

 この世界では、自分の名前を偽ることは、呪われた運命を導き寄せることに繋がります」



 名前を偽る? 

 なんのことだか、思い当たらなかった。


「いや、意味がわかんないです。

 俺の名前はタカハシですけど」



 俺が名前を名乗るや、リーナの表情が険しくなった。

 さっきまでの優しい雰囲気が掻き消え、荘厳なパイプオルガンの演奏もピタっと止まった。


「私の前でも名を偽るとは……。

 生き返っても呪われた人生を繰り返したいのですか」

 リーナは怒っている。


 なぜ怒られるのかわからず焦っているうちに、俺はテストプレイ開始前のハリヤマの言葉をやっと思い出した。


 ――「タカハシさんの『アイランド』の中でのキャラクター名は『プッピ』と言います」――


 ハリヤマはそう言っていた。

 ”アイランド”での俺の名前は『プッピ』だ。

 そういえば、ノッポと口ひげ野郎に見つかったときも、俺は名前を聞かれてタカハシと答えた。

 それからして、間違いだったのかもしれない。



「わかった。思い出した。

 俺の名前はプッピですプッピ」



 リーナは安心した様子だった。

 再び優しい表情に戻り、パイプオルガンの演奏も再開された。


「プッピよ。

 あなたはこれからは名前を偽ることなく、過ごしていくのです。

 そうすれば、自然と呪われた運命はあなたから遠ざかっていくでしょう」



「はい。そうします」


「それでは、そろそろあなたを生き返らせることにしましょう」


 再び『アイランド』に戻る時が来たようだ。




 その時俺は、もう一つ、リーナに助けを乞いたいことがあるのを思い出した。


「すいません。大事なことを思い出した。

 一つお願いがあります。

 トンビ村の領主に尋問されたら、俺は何と言って切り抜けたら良いのだろう? 

 何かアドバイスをくれませんか?」



 リーナは少し考えてから俺に言った。


「あなたは生き返ったのち、トンビ村の領主マケラに出会うでしょう。

 マケラはあなたがどこからやって来たのか、問いただすでしょう。

 あなたは、こう答えなさい。

 『アリアンナの街道を東に向けて旅をしていた時に盗賊に襲われた。

 命からがら森の中を逃げているうちに迷ってしまった』と。

 マケラにこう説明すれば、きっとあなたはピンチを切り抜けることができるでしょう」



 俺は、リーナが教えてくれたセリフを暗記した。


「わかりました。そう言えば良いんですね。

 やってみます。ありがとうございます」


「本当は、世界の均衡を見守る役割である私が、このような事をあなたに教えることは許されていないのです。

 私があなたに教示を授けたことは、二人だけの秘密にしておいてくださいね」

 リーナは俺にウインクする。




「さぁ。あなたは生き返るのです。

 再び私のところに還ってこないことを祈っています。

 さよなら、冒険者プッピよ!!」




 リーナの別れの言葉と同時に、俺は眩いばかりの神聖な光に包み込まれた……。


 俺の心と身体は、荘厳なパイプオルガンの音色と一体となって空高くに舞い上がっていく。




 再生。


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