第8話 手形をとる
俺がテストプレイヤーを引き受けると言うと、ハリヤマはホッとした様子で、膝の上に載せていたノートパソコンを開いた。
「それでは契約をさせていただきます」
俺はハリヤマの説明に従いながら、ノートパソコンのディスプレイに表示されている契約書にサインをしたが、ハリヤマは一つ、不可思議な要求をしてきた。
手形をとらせてほしい、と言うのだ。
ノートパソコンのディスプレイ全体がスキャナ取り込み画面に変わった。
ここに手を置いて、手形をとらせろ、と。
「VRシステムに必要なんです」とハリヤマは言う。
なんでも、テストプレイはヘッドセットモニタを装着してバーチャルリアリティ環境でプレイをする、と。
そして、先進的なVRの機能として、視覚聴覚だけでなく、嗅覚や触覚などあらゆる感覚をもコントロールするのだという。
このシステムを機能させるためには、手形をとることによって俺の皮膚や末梢神経から生体情報を取り込むことが必要なのだという。
俺は軽い不満と不安を抱きながらも、スキャナ取り込み画面に手を置いた。
手を触れた瞬間、手の平全体に軽い痛みを覚えたような気がした。
「痛っ!」
「あ、少し痛かったですか? もう終わりましたよ」
その後ハリヤマはテストプレイの希望時間や曜日について聞いてきた。
俺は、今は失業中で特に用事もないので、曜日はいつでも良い、なんなら今からでも構わない、と答えた。
「それは嬉しい話ですね!
じゃあ、第一回目のテストプレイは、今日これからお願いしましょうか」
いずれにせよ、さきほど取り込んだ手の平からの生体データを処理するために少し時間がかかるという。
「三十分ほど待ってもらえれば準備ができると思います。それまでの間、ここでお待ちください」
ハリヤマはブースを出て行った。
入れ替わりに、先ほど一階ロビーから案内してくれた長身ロングヘアの美人がブースに入ってくる。
「ハリヤマから、準備ができるまで相手をするように言われてきました」
それから二十分ほど、彼女と世間話をして過ごした。
口下手な俺だが、美人と話す機会は貴重だ。
彼女も、やはり日本人離れした顔立ちをしている。
彼女はクリタニ ユキ と名乗ったが、ハリヤマと同じく偽名なのかもしれない。
ブラウンの長い髪、黒く大きな瞳に、ピンクのフレームの眼鏡が良く似合っている。
背は高いが、全体的に何かしらの透明感を醸し出しているところが魅力的だ。
俺の前職が看護師であることを話すと、彼女は興味を示した。
「じゃあ、病気やケガの患者を治したりするんですか」
目を輝かせて俺に質問してくる。
看護師はそもそも病気やケガの患者を治す役目ではない。
それは医者の方だ。
とはいえ看護師の中でも集中治療室や救命救急で働くようなバリバリの看護師なら、やろうと思えば病気やケガの治療もできるだろう。
ところが俺は老人病棟でしか働いたことがないポンコツ看護師なので、できることと言えばオムツ交換くらいだ。
こう説明してやった。
クリタニ ユキはなんと返事を返して良いか困ったような表情を浮かべ、
「でも、お年寄りの世話も大変な仕事ですよねー」
と言った。
初対面の美人と世間話をしているにも関わらず、たいして盛り上げることもできなかった俺は内心ちょっと落ち込む。
そうこうしているうちに、ハリヤマがブースに戻ってきた。
ハリヤマと一緒に、トレーシー兄弟の一人(スコットかバージル……スコットということにしよう)が、何やら機械を搭載したカートを押しながらついてくる。
「タカハシさん、準備ができました」
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