飛龍

紫陽花さくら

第1話 月島飛龍は現実の中で生きていたい


 まず諦めることから始める。

 諦観して、物事を俯瞰してみる。

 それが、僕の性質で――そうなってしまったのは祖父と父の影響が大きかった。

 影響というか呪いだったのかもしれない。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

 祖父も父も、夢を諦めた人だった。諦めざるを得なかった、が正しいかもしれない。

 親子二代の夢は、プロの棋士になることだった。 将棋のプロ……。どれだけ難しいのかはよく知らない。何度か耳にしたことはあるかもしれないけど、狭き門だ。たとえプロになれたとしても、成績を残せなければ、失脚する厳しい勝負の世界。

 そんな夢を見て、敗れた二人を見て――そんな思いをするくらいなら、月を掴むくらいなら、自分の手の届く範囲の現実を追っていたい。祖父の葬式の日に、僕はそう思ったのだった。


 ◇


 ――ああ、これは夢だとすぐにわかった。


 明晰夢、夢だとわかっている夢。

 僕は度々過去の夢を見る。それをどういう理由で見るかはわからない。

 ここは小学校だ。蝉の鳴く声、教室の臭い。これが夢だと信じられない程の再現度。質感。



「りゅう、遊びに行って良い?」

 幼馴染みみの染園はなが、僕を呼ぶ。

 飛龍という、目立つ名前、そして画数の多い名前で小学校ではよくいじられた。幸い、虐められることはなかったけれど、それは染園はなの庇護があってからだと思う。

 月島飛龍。それが、僕の名前。

 『飛』車と『龍』将棋から取った名前で、日本の空母にもそんな名前があるそうだ。

 みんなには僕のことは『りゅう』と呼ぶように言っている。

「良いけど、なにするの」と僕は訊ねる。

「しょうぎ!」

「うん、良いよ」と僕は答える。

 僕とはなは、放課後になると祖父の将棋盤を借りて将棋を指していた。と、言ってもはなが僕を一方的に叩きのめすだけの対局なのだけれど。不思議と、それが退屈ではなかった。むしろ、楽しかった。

 楽しそうにしているはなを見ているだけで満足だったんだと思う。

「りゅう……弱い」

「はなが強いんだよ」

 飛車角を取られて、守りは薄い。対して花は穴熊で無傷だ。

「おかしいよ~」

「なにが?」

「だって、りゅうが強くないのおかしいもん」

 僕は弱い。駒の動かし方は知っているだけだから……。そもそも、はなは、上級生相手にも勝ってしまうのだから、僕が勝てるはずもないのだ。

「――はなちゃんは強いねぇ」

「あ、お邪魔してます、おじさん」

 祖父は柔和な表情を浮かべて、お菓子を持ってきてくれた。

「礼儀正しい。これも、お父さんがしっかりしてるからかな?」

「うーん、お父さんしっかりしてないのですよ?」

「はっはっは、娘から見たらそんなものなのかの」

 座布団に祖父は座り込む。そして、いつも通り詰将棋の時間が始まるのだ。

 プロ棋士を父に持つはなは、自分もプロになりたいらしく。

 プロ棋士になりたかった祖父は、そんなはなを応援するつもりで、ほぼ毎日詰将棋の問題を作って用意してる。

「……おじさん、これ難しいよ。何て詰?」

「九手詰じゃよ」

「全然わかんない」

「はっはっは、ワシも答えなくしてしもうたから全然わからん」

 笑っているが笑い事じゃない。

「でも、りゅうなら解けるんじゃろ?」

「まぁ……。でも、はながギブアップしたらにするよ。怒るから」

「怒らないよ。……え、もう解けたの?」

「うん」

「……やっぱおかしいよ。りゅうが弱いの」

「詰むのがわかってるから、頑張れるんだよ」

「なにそれ~」

 ふくらむはなが音を上げるまで一時間を要した。

 それから、解答に移り僕ははなに殴られて気を失った。


 ◇


「現実か」

 と、僕は呟いた。

 ここは高校で、辺りを見るに昼休みに入っている。どうやら四限目を熟睡しゴールしたらしい。教師にばれなくて良かった。

「龍、起きた?」

「花どうしたのさ、そんなに怒って」

「怒ってない! それよりも、入部の件考えてくれた?」

「入部……?」

「とぼけないで!」

 ドン、と机を叩く。周りの数名がびくっとさせる。

「将棋部。入るって言ったじゃん」

「……?」

 記憶にない。多分怒られるのが嫌で適当なことを言い、それを入ると花が解釈したのだろう。

「そもそも、何で二学期から? 僕が将棋をする理由は?」

「強かった先輩が退部したの。だから、代わりがいるってこの間話したよね?」

「やっぱり怒ってる」

「怒ってない!」

 怖い。花は、昔からそうだ。

 良くも悪くも感情的だ。それが棋風にも出てるそうで、攻め将棋が得意なのだそうだ。『受け将棋の専門家』と呼ばれるプロ棋士を父親を持つとはとても思えない。

「聞いた(様な気がしなくもない)けど、何で僕なのさ。もっと強い人沢山いるでしょう」

「十一手詰を秒で解ける初心者に入って貰った方が勝てる」

「何その理論」

「兎に角、勝ちたいの。県代表に入りたいの。そのためには……」

「何泣いてるのさ?」

「泣いてない」

「うぐっ」

 喉を、殴られた。

 花が教室から走り去っていく。痛みは勿論だけど、それ以上に花があんな風になることが気に掛かって仕方なかった。


 放課後、僕は久しぶりに実家に帰ることにした。

 実家から高校は少しだけ遠く、寮に入った方が色々と便利だった。寮長さんへ報告すれば、好きなタイミングで帰れる。週末になるとそういう生徒も多いらしい。

 今日帰ったのは、祖父の顔を見たかったからだ。

 仏壇の前に座って、線香に火をつける。鈴を鳴らして、静かに手を合わせる。

 じいちゃん。花がどうしてあんなに怒ってたのか全くわからないよ。


 ――りゅう、プロになるだけが将棋じゃないぞ。


「……じいちゃん?」

 気のせいかもしれないけど、祖父の声が聞こえた気がした。

 自分の部屋に戻り、ゲーム機を起動した。寮では持ち込めないので、自宅にいるときは堪能したい。

 地道にレベルを上げて行く作業が好きだ。かれこれ二時間ずっと同じ場所で敵を倒し続けている。もう少しすれば、ボスを余裕を持って倒せるだろう。

「あれ、龍。帰ってたの?」

 とスーツ姿の母が僕に言った。

「何となく、ね」

「帰るなら帰るって言いなさいよ。ご飯は?」

「いる」

「じゃあ、六時半くらいに出来るから。あと、仏壇拝んだ?」

「うん」

「……ああ、それと。花ちゃんに優しくしてあげなさいよ?」

「はい?」

「花ちゃんのお父さん、昨日事故にあったんだって」

「事故?」

「というか、ニュースになってたでしょう。プロ棋士、染園八段。子供を庇って重傷って。命に別状はないみたいだけど」

「知らなかった」

「兎に角、花ちゃん昔から不安定な所あるでしょう。あんたに優しくしてくれる女の子の花ちゃんくらいなんだから、もっと大切にしてあげなさい」

「だっ! もっと他にもいるわ!」

「例えば?」

「……」

 花、以外、顔が、浮かばなかった。嘘だろ!

「兎に角、二人が仲良くしてたら天国のお祖父ちゃんも喜ぶんだから」

「へいへい」

 それを言うのは反則だと思った。


 ◇


 翌日の朝、花に会った。

 というか、家の前で待ち伏せされてた。

「あの、染園花さん。何でここに?」

「寮にいなかったから家だと思ったの」

「行動力ありすぎじゃありません? 男子寮に女子は入れない筈では?」

「彼女面したら寮長さん快く入れてくれたけど?」

 寮長、あの野郎!

 普段厳しい癖に、女子に弱過ぎだろう。

「で、龍。五体満足で登校したければ将棋部に入部して」

「良いよ」

「そう、残念ね。出来るだけ急所を狙うから……え?」

「いや、だから。入部するって」

「何で?」

「何でってそりゃ……」

 脳裏に浮かんだのは、涙ぐむ花の顔だった。それが理由で、そこまで頑なに、入部を断る理由もなかったわけで――。

 まぁそんなこと言える筈もなく。

「五体満足で登校したいから、かな?」

 そんな言葉で誤魔化す他なかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飛龍 紫陽花さくら @Hydrange_ajisai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る