第39話

「我らフォートリエへの反逆、その命で償って貰う」

 冷酷無慈悲なそのセリフは、他の誰でもない、アリスの口から出たものであった。

「アリス……?どうしてここに……?」

 顔を後ろに向けてアリスの姿を確認するシルビア。

「誰かと思えば……フォートリエの娘じゃない……」

 エヴァは目の前に居るシルビアの事など意にも介さず、彼女の隣を通り過ぎてアリスの元へと向かっていった。

「わざわざ殺されに来たの?儀式が終わった後、こっちから出向いてあげようと思ってたのに……」

 不気味な笑みを浮かべて見せるが、満身創痍という事は喋り方や歩き方から見て取れる。

 一方のアリスは、じっとエヴァの事を睨み据えている。

「アリス――!」

 シャルロットが駆け寄ろうとしたが、アリスは片手を小さく上げてそれを制した。

「大丈夫。私に任せて」

「任せてって……どうするのよ……?」

「シャルは休んでいて。ありがとう、あなた達はとても頑張ってくれた」

 丁度その時シャルロットの元にシルビアもやってきて、アリスは二人に微笑みかけた。それを受け、二人は彼女の様子に違和感を持つ。シルビアがそれを口に出した。

「随分と落ち着いた性格になったわね……?」

「そうかな?」

「えぇ。余裕があるというか――」

「ふふ……。その理由は、すぐにわかるよ」

 にこっと明るく笑うアリス。ヴァンパイアの長になってからも時折見せる事がある、年相応の可愛らしい無邪気な笑顔。その時の笑顔は、まさにそのものであった。

「まさかあなたが来るとは……予想外の展開ですね」

 声が聞こえた方に顔を向ける三人。

 そこには、血まみれになっている腹部を手で抑えながら、苦しそうに呼吸を繰り返しているサクラが立っていた。

「あ、あなた……生きてたの……?」

 彼女の顔と腹部の傷をせわしなく交互に見るシャルロット。

「私も一応半分は人間を辞めていますのでね。何とか身体が耐えてくれました。まぁ、戦う事は難しいかと思われますが……」

「サクラも休んでて。後は私がやる」

 サクラは苦笑を浮かべて、アリスに視線を移す。

「そうおっしゃって頂けるのは嬉しいのですが――どのようにして奴を?」

「私はお母さんから――オリヴィア・フォートリエから力を受け継いだ。エヴァを一撃で仕留める魔法だって今なら使える」

「力の制御が既に可能だと言うのですか?たった数時間前に受け継いだばかりでは――」

「できる。――やってみせる」

 アリスは前に向き直り、両手をゆっくりと前に突き出して、目を閉じる。

 すると、彼女を中心に、穏やかな風が生じ始めた。そしてそれは徐々に強くなっていき、更に、一同はアリスの両手に辺りの空間が吸い込まれていくような光景を目の当たりにする。

 その光景を見て動き出したのは、エヴァであった。

「させるか――!」

 倒れそうになりながらも、アリスの魔法が完成される前に仕留めようと近付いていく。

 唯一何とか満足に動けるシャルロットが意を決し、アリスを死守しようとエヴァに向かって歩き出す。

 その時、歩き出した彼女の隣を、何かが背後から通り過ぎた。

 風のような速さであったそれを目で捉える事はできなかったが、それがエヴァに向かって突進していったという事だけはわかった。一同は再びエヴァの方に視線を戻す。

「フォートリエ様を……やらせはしない……!」

 エヴァの首に片手で掴みかかり、彼女を鋭く睨み付けていたのは、ノアであった。

「しぶとい……奴ね……!」

 ノアの手を振りほどこうとするエヴァ。

 しかし、ノアは何がなんでも離さないと死に物狂いで掴みかかっており、簡単には離さない。エヴァはノアの手を掴んだまま、嘲笑を浮かべてこう言った。

「バカな女ね。離さなければあなただって巻き込まれるのよ?」

「上等だ。お前の地獄巡り、ボクが付き合ってやるよ――!」

 ノアはニヤリと笑って見せた。

 彼女の態度に顔をしかめ、エヴァは更に手に力を込めていく。

 すると、徐々にではあったが、エヴァの首からノアの手が離れていった。

「この……バカ力め……!」

 今度はノアが顔をしかめる。

「お互い様よ……!」

 同じく、今度はエヴァがニヤリと笑う。

 そのままノアの腕を極めてしまおうと思ったその時、新たな二つの影がエヴァに絡み付いた。

「その地獄巡り、私達も付き合うよ」

 ノアよりも小さな身体、薄紫色の髪。

 リナはエヴァの腕をがっちりと掴んでノアに加勢し、ルナは背後から飛び付いてエヴァの首を腕で締め上げた。

「貴様ら――!」

「覚悟しろよエヴァ。もう終わりだ」

「離せ……!離せぇ……!」

 どんなにもがいても、三人は離れない。

 アリスの魔法は、もうすぐ完成されようとしていた。


「――お前達、今ならまだ間に合うぞ。離れろ」

 不意に、ノアが小さな声で双子の二人にそう言った。

「何言ってるの。あなた一人じゃ逃げられちゃうでしょ」

 鼻で笑うリナ。その嘲笑に、ノアも同じ態度を返す。

「フォートリエ様の魔法だ、喰らえばひとたまりもない。掛け値無しに死ぬんだぞ」

「言ったでしょ?付き合うって」

 今度はルナが口を開いた。

「お互いフォートリエ様に仕える身。あのお方の為なら死ぬ事だって厭わない。そうでしょう?ノア」

「――そこまで言うなら勝手にしろ」

 ルナの言葉に呆れたノアは、説得を諦め口を閉ざした。


「あいつら……死ぬ気なの……?」

 離れようとしない三人を見て、シャルロットが眉をひそめる。

「離せば奴は確実に避けます。心中覚悟でしょう」

 躊躇う素振りすら見せずに、サクラはさらっとそう呟く。

「そんな……そんなのって……」

「仕方のない事です。……他に策は無いのですから」

 サクラの声のトーンが下がった事に気付き、シャルロットは思わず彼女の横顔を見つめた。

「サクラ」

 シルビアが名前を呼ぶ。何かと思い、サクラは声が聞こえた方に顔を向ける。

 そこに居たシルビアは、鞘に納められた日本刀を手にしていた。そしてそれを差し出すように、こちらに向けている。

「ほら、どさくさに紛れて拾ってきたわ。早く持ちなさい」

 サクラはそれを受け取り、上目遣いでシルビアの顔を見上げる。

「――何をしようと言うのです?」

「私達が動くわ。あんたはここで、例の次元斬りで奴の動きを止めなさい」

 その時点でサクラはシルビアの目的を察してはいたが、いたずら心に火が点いたのか、あえてそれを訊く。

「私達が動く――とは?」

「良いから黙って言う通りにしなさい。良いわね?」

「……ふふ。わかりました」

 三人を助ける。それを素直に口には出そうとしない頑固なシルビアに、サクラはくすくすと笑って見せた。

「シャル。行くわよ」

「はいはい……」

 口足らずな姉の事は良くわかっているシャルロットは、呆れた様子ながらも彼女についていく。

 しかし一言だけ、どうしても呟きたかった。

「素直じゃないわね……」

 その一言が気に触り、シルビアの眉がぴくりと動く。

「勘違いしないで貰えるかしら。私は別にあいつらを助けたいワケじゃないのよ。あいつらが居なくなったらアリスが困るから助けるの。だから決してあいつらが気の毒だとか思って助けるとかそんなんじゃないんだからね。それに私は――」

「あーはいはいわかったわよ……。ほら、始めましょう」

「……」

 シャルロットに流されて気恥ずかしくなったシルビアは、仕切り直すように咳払いをした。

 そして二人は、死をも覚悟してエヴァの動きを止めている三人の元へと向かう。

「あんた達!そこまでよ!」

 シルビアの声を聞き、三人は同時に顔を向ける。

「お前は来るな!死ぬのはボク達だけで良い!」

「バカ!死ぬのはエヴァだけよ!」

 シルビアは駆け付けるなり、エヴァの首を掴んでいるノアの手首に手刀を入れ、彼女が怯んで手離した所で身体を抱えてその場から離れる。

「何するんだよ!離せ!」

「暴れないで頂戴。こっちは片手折れてんのよ」

「そんな事知るか!ボク達が捕まえてなきゃ奴は――!」

「それなら大丈夫よ。まぁ見てなさい」

 一方でシャルロットは双子の襟を乱暴に掴み、そのままぐいっと引きはがす。

「痛い」

「離して」

「いやなこった」

 そのままシャルロットも双子を両手にぶら下げたまま、エヴァから離れていく。

「愚かな――!」

 拘束が解けたエヴァはニヤリと不気味に笑い、アリスを仕留める為に走り出す。

 しかし、サクラがそれを許さなかった。エヴァの身体が無数の斬撃に包まれる。

「ふふ、大サービスですよ。冥土の土産、しっかり味わいなさい」

 更に、サクラは五連発の次元斬を放った。

 完膚なきまでに斬り刻まれたエヴァはもはや立っている事もできず、立て膝をつく。

「小癪な真似を……!」

 吐き捨てるように呟き、顔を上げてアリスを睨み付ける。

 エヴァの心臓が、どくんと跳ね上がった。

 アリスの魔法は完成されており、あとは放つだけになっている。

 エヴァがそれを知ったと同時に、アリスはゆっくりと目を開けた。

「反逆せし我らの徒よ。闇へと還り、永遠の眠りに就くがいい」

 アリスの口から出たセリフ。

 しかし、それを聞いた一同は、それが彼女のものではないような気がした。まるで誰かが彼女に憑いていて、その人物が発したように思えたのだ。

 そしてその人物というのは、大体想像がついてしまう。

「娘が心配で死にきれないってワケ?とんだ親バカね」

「ヴァンパイアだろうと親子は親子よ。そこに人間との違いは何も無いわ」

 シルビアとシャルロットはオリヴィアを思い浮かべながら、そんな会話を交わした。


 ついにその時が訪れる。

 アリスの両手に作られた魔法の球体は、今までにアルベール姉妹が見てきた黒や紫などの暗色ではなく、光のようにも見える白色。

 それを前にしてもエヴァにはもはや立ち上がる気力すら残っておらず、彼女はただその光のような球体を見つめるだけ。

 そして魔法が放たれる寸前、エヴァは俯き自嘲気味に苦笑を浮かべた。

「残念……ここまでか……」

 全てを諦めたエヴァの身体を、アリスの魔法の球体が包み込んだ。


「終わったの……?」

 恐る恐る、シャルロットが呟く。

「多分ね」

 シルビアは地面に倒れて動かなくなっているエヴァの姿を見て答えた。

 まだ起き上がる可能性があると思い、身構えている者も居たが、彼女の身体がゆっくりと爪先から灰になっていったのを見て、一同は身体の力を抜いた。

「フォートリエ様……!」

 アリスを呼ぶノアの声に、一同全員がそちらに顔を向ける。

 アリスはエヴァを仕留めたと同時に、まるで糸を切られた操り人形のように突然力が抜け、崩れ落ちるように倒れた。

「どうしたの!?」

 すぐさま駆け寄るシャルロット。他の一同も、彼女に続いてその場に集まる。

 その中で、サクラがアリスの側に膝まずき、彼女の容態を目で見て確認し始める。やがて、安心したように小さく笑い、中でも強く心配しているシャルロットとノアの顔を見た。

「身体がまだ力に慣れておらず、その影響で気を失っただけでしょう。命に別状は無いハズです」

「そうか……」

「よかった……」

 同じタイミングでふうっと溜め息をつき、お互いそれが気に入らなかったのか、すっと視線を合わせて軽く睨み合う心配性の二人。

 すると、おもむろにシルビアが歩き出して、ノアの隣を通り過ぎる際に肩を軽く叩いた。

「アリスの事は任せるわよ。あんたの主人でしょ?」

「……ふん。言われなくてもそうするさ」

 ノアは吐き捨てるようにそう言って、アリスの身体を優しく抱え上げる。

「シャル。帰るわよ」

「帰る?」

「戦いは終わったわ。もうここに居る理由は無いでしょうが。さっさと帰って寝たいのよ」

 歩みを止めずに背を向けたまま大きなあくびをして、タバコの箱を取り出し、しばらくぶりの喫煙を堪能しようとするシルビア。

 しかし、箱の中身が空になっている事に気付くと、彼女は忌々しそうに舌打ちをして箱をくしゃりと握り潰し、それを再びポケットにしまった。

「ボク達も行くぞ。おいガキ共、さっさと歩け」

「ルナ。バカが何か――」

「良いから黙って歩け!」

「うざっ」

 ノア、リナ、ルナの三人も、自分達の新たな主と共に屋敷へと戻る。

 シャルロットは、一人残ったサクラに視線を移した。

「あなたはどうするの?」

 サクラは首を傾げて見せる。

「どうしましょうか。行き先なんてありませんし、気の向くままに放浪しますよ」

「あっそ……。じゃあね」

 踵を返してサクラに背を向け、シルビアについていくシャルロット。

「ふふ……。お元気で」

 サクラはくすくすと笑い、そう返す。

 シャルロットは振り返る事なく背を向けたまま、サクラに軽く手を振って見せた。


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