第38話

 ぞわっ、というような、嫌な感覚が背中に這い上る。

 シャルロット、シルビア、サクラ、三人共に、その原因が何なのかはなんとなくわかってしまう。それと同時に、そうであって欲しく無い、と願う。

 ゆっくりと振り向いた三人が見たものは、彼女達の願いを裏切る光景であった。


 死んだと思っていたエヴァが立っている。

 三人は最初、思わず自分の目を疑った。

「嘘でしょ……?」

 しばらくの間、言葉を失ってただ見つめていたが、その内、シャルロットがそう呟いた。

「困ったわね。もう弾は無いわよ」

「それは私も一緒よ……」

 溜め息をついたシルビアに、シャルロットも倣うように弱々しく鼻で笑う。

 また、唯一まだ戦う事ができるサクラも、二人と同じような表情を浮かべていた。

「あれだけの攻撃を受けて、まだ立ち上がりますか……」

「いくらヴァンパイアとはいえ、有り得る事なの?」

 シルビアが訊いた。

「銀の銃弾だって撃ち込まれてるのよ?」

「恐らく奴は今、自分の力の全てを一つの事に集中させています」

「それは?」

「攻撃を耐える事です。能力で表すのであれば、生命力と言った所でしょうか」

「そのお陰で、どんなに斬り刻まれようとも、どんなに銀の銃弾を撃ち込まれようとも、死なないってワケ?冗談じゃないわよ」

「冗談であってほしいとは、私も思っています」

 三人の視線を受ける中、エヴァは足を引きずるようにして歩き出す。

 こちらへと、ゆっくりと歩いてくる。

 その時、足元の魔方陣が、更に強く光り始めた。

「まずいですね……」

 サクラが眉をひそめる。

「あと、どれくらいなの?」

「十分――も、無いかと。それまでに、奴を仕留めなければなりません」

 シルビアにそう答え、刀を鞘から抜いて歩いていくサクラ。

 エヴァはもはや顔を上げる事もせず俯いたままであり、サクラの接近には気付かない。サクラが首を切断してしまおうと刀を振ったその時も、彼女は不気味にふらふらと歩いているだけであった。

 刀の鋭い刃がエヴァの首に食い込む。離れた所に居るアルベール姉妹の二人は、今度こそ終わりだと思いながらその様子を見守っている。

 しかし、サクラは違った。

「何故……です……?」

 振り下ろした刀が首を切断しなかった。サクラ本人からすれば、それは不可思議な現象。避けたワケでも、受け止めたワケでも無いというのに、刀は首に食い込んだ所で止まってしまった。

 当然、刀の切れ味の問題では無いという事は、所有者であるサクラが一番理解している。となれば、エヴァの身体に何かしらの原因があるハズだ。

 しかし、それを考えようとする前に、サクラの腹部に衝撃が走った。

「――ッ!?」

 殴り付けられたような衝撃。しかし、何かが違う。

 恐る恐る、目を落とす。

 エヴァの左腕が、肘の辺りまで突き刺さっていた。

 それを見た途端、途切れていたものが突然繋がったかのように、朦朧としていたサクラの痛覚が蘇る。彼女の口から血が吐き出され、手離された刀が地面に転がった。

 そして、エヴァが突き刺さしていた手を勢い良く抜くと、支えを失ったサクラの身体は、刀と同じように地面に力なく横たわった。

「サク……ラ……」

 呆然としているシャルロットが、蚊の鳴くような声で彼女の名前を呟く。エヴァはその声に反応したかのように、シャルロットの方へと顔を向けた。

 その時のエヴァの顔を見て、シャルロットは思わず息を呑んだ。

 こちらを見ているのかどうかもわからない程、虚ろな目。それは死人のようにも見えた。

「シャル。本当に弾は残ってないのね?」

 シルビアの言葉に、シャルロットは小さく頷く。

「どうするのよ……あんな化け物みたいな奴、武器も無しにどうやって……」

「武器は――そうね、無いワケでもないわ」

「え?」

 シルビアはサクラの側に転がっている刀を見つめた。

「何とかあれを拾いに行きましょう。素手よりはマシなハズよ」

「あんな細い剣、知識も無しに使えるの?」

「剣は剣よ。細かろうが何だろうが使い方は一緒よ」

「そりゃまぁ……」

 エヴァが覚束ない足取りでこちらに向かってきたのを見て、シルビアも行動に移る。

「サクラの話では、今の奴にはあの理不尽な速さは備わっていないハズ。近付かなければ大丈夫よ」

「気を付けなさいよ……」

「わかってる」

 シルビアは途中で進路を変更し、回り込むように歩いて刀の元へと進んでいく。

「(よし。このまま行けば――)」

 エヴァから視線を外さないように、じりじりと摺り足を続ける。

 そして刀が足元にあるという場所まで辿り着いた所で、シルビアは一瞬だけ刀に視線を落として確認し、一気に拾い上げる。

「シルビア!」

「――ッ!」

 シャルロットの声が聞こえたとほぼ同時に視線を戻したが、エヴァは目の前にまでやってきていた。

 エヴァは左手を突き出し、先程のサクラと同じように風穴を開けようとする。シルビアはたった今拾った刀を両手で構え、エヴァの左手を刀の側面、"平地"で受け止める。その力はやはり強烈であり、踏ん張っていても倒されてしまいそうになったが、なんとか持ちこたえる事に成功する。

 それよりも、シルビアは別の事に驚いていた。

「(頑丈なものね……)」

 今手にしている刀というものが、すらりと美しく伸びている見た目からは想像も付かない程の丈夫さを誇っているという事。

 しかし、見とれている暇などはあるハズも無く、シルビアはすぐに意識を目の前の敵に戻した。

 丁度エヴァが左手を引っ込め、再び突き出そうとした所だったので、シルビアは横にステップをして回避する。

 やはり動きは遅く、見切る事は容易い。そのまま、エヴァの首に刀を斜めに振り下ろす。

 渾身の力を込めた一振りであったが、与えた傷は先程のサクラの時よりも浅いものであった。

「どうなってんのよ……!」

 舌打ちと共に、刀を引き抜こうとする。それよりも早く、シルビアの左手ががしっと掴まれた。

 しまった、と思った時には既に遅く、尋常ではない怪力から逃れる事はできない。それでもシルビアは振りほどこうと、必死にもがく。

 彼女が優勢では無い事は離れた所で見ていたシャルロットにもすぐにわかり、彼女は姉の危機に駆け寄ろうとする。

 しかし、もう遅かった。


 ノアが右手を折られた際に一同が聞いた、あの重く鈍い音がシャルロットの耳に届いた。その音を聞いた途端、彼女の足がぴたりと止まり、シルビアの後ろ姿を怖いものでも見るかのような目で見つめる。

 不意に、エヴァが手を離した。

 解放されたシルビアは、その場に膝から崩れ落ち、手首から先が有り得ない方向に曲がっている自分の右手を呆然と見つめる。

 その光景と、エヴァが浮かべた狂気を孕んだ笑みを見て、シャルロットは頭の中が真っ白になった。

「シャル……!」

 何とか出す事ができたというような苦しそうなシルビアの声が、シャルロットの意識を引き戻す。

 シルビアがどんなに小さな声で喋ろうともしっかり聞き取ろうと、シャルロットは耳に意識を集中させる。

「逃げて……」

「……え?」

 シャルロットは耳を疑った。

「あんただけでも……生き残りなさい……」

「何言ってんのよ……。ヴァンパイアが復活するのを――あなたが死ぬのを黙って見過ごして逃げろって言うの!?」

 感情的なシャルロットに対し、シルビアは弱々しく鼻で笑う。

「そういう事よ……」

 その声から感じ取れたシルビアの絶念に、シャルロットの焦燥は更に強まった。

「ふざけないで!逃げてどうするってのよ!私だってヴァンパイアハンターよ、逃げるくらいなら真っ向から立ち向かって死んでやるわよ!」

「ヴァンパイアハンターとか、そういう話じゃないの……」

 シルビアの言葉に面食らい、シャルロットは反論しようと準備していた口を僅かに開いたまま、シルビアの弱々しい背中を見つめた。

「そんなヒロイックな話はどうでもいいわ。私達が未熟なせいで、こいつを止める事はできない。でもあなたには死んでほしくない。それだけよ」

「私一人生き残ってどうしろってのよッ!」

「お願いシャル……逃げて……生きて――」

 シルビアが話を終える前に、エヴァが彼女の首を鷲掴みにする。

 彼女の身体がゆっくりと持ち上げられ、死へのカウントダウンが始まろうとする。

「嫌ぁっ!シルビアッ!」

 叫ぶような、シャルロットの悲鳴の声。シルビアは首を締め上げられている苦痛に顔をしかめながら、自分の首が折られようとしている事実にただ恐怖する事しかできない。

 エヴァの口角が、不気味に吊り上がる。

 その時だった。


 後は力を加えるだけでシルビアを仕留められる、という状態のエヴァが、不意に手を離した。

 するりと抜け落ちたシルビアは地面に落ちるなり、首を手で押さえながら咳き込む。

 何が起きたのかは、当の本人であるシルビアにも、ずっと見ていたシャルロットにもわからない。

 唯一手を離した理由を知っているエヴァは、シャルロットの方にじとっとした目を向けた。

 シャルロットは何故彼女がこちらを見ているのか、その理由もわからない。

 しかし良く見てみると、彼女は自分を見ているワケではないという事に気付いた。

「な、なんなのよ……?」

 ワケがわからず、思わずその困惑を口に出すシャルロット。

 次の瞬間、全身に鳥肌が立つような、嫌な感覚に襲われた。

 それは先程仕留めたと思っていたエヴァが立ち上がった際に感じたものに似ていたが、それよりも遥かに強い。シャルロットに今までで最も強い気配を感じさせたヴァンパイアの長、オリヴィア・フォートリエと対峙した際の感覚によく似ていた。

 そんな尋常ではない気配を放つ者が、今自分の背後に居る。シャルロットは恐る恐る、ゆっくりと、振り返る。

 そこに立っていた人物を見て、シャルロットは思わず目を見張った。

「あなた……どうして――」

 エヴァの意識を惹く程に強大な気配を持つその少女は、母によく似た深紅の瞳でじっとエヴァを見据えていた。

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