第36話

「まずはあなたよ。ノア」

 エヴァが始めに目を付けたのは、目の前に居るノア。

「お前だけは許さない……絶対に……!」

 唸るような低い声でそう言い、ノアは真の姿を解放する。

 その姿を見ても、エヴァに怯むような様子は無い。涼しい表情のままだ。

 そんな彼女の余裕に満ちた態度が気に入らず、ノアは自ら攻撃を仕掛ける。

 両手の爪で、エヴァに襲い掛かった。

「遅いわ」

 ノアが爪を突き出した時には、エヴァは既に彼女の背後に回り込んでいた。

「誰が遅いって――!?」

 ノアは予測できていたエヴァの行動に素早く反応し、振り向き様に右手の爪でエヴァの身体を斬り裂こうとする。

 その攻撃を、エヴァは片手で受け止めた。そして囁くように小声で、先程のノアの言葉に返答する。

「あんたの事よ――」

 その言葉の後に聞こえたのは、ボキッという、重く鈍い音であった。

「な……」

 エヴァに掴まれていた右腕が、肘の少し先辺りからだらんと力無くぶらさがったのを見て、唖然としてしまうノア。

「自慢の爪も、腕を折られちゃ振るえないわねぇ……」

 エヴァは声を上げて笑い出した。

 それと同時に意識がハッキリしたノアは、筆舌に尽くしがたい痛みに突然襲われ、叫び声を上げる。

 エヴァは実に愉快そうな笑みを浮かべたまま、残ったもう片方の腕を掴む。こちらも折ってしまおう、という意志が、その表情から見て取れる。

 後はエヴァが先程のように力任せに曲げてしまえば、ノアは両腕を失う事になる。

「待ちなさい!」

 その惨事を寸前で食い止めたのは、シャルロットの声であった。続けて銃声が聞こえ、エヴァの身体に向けて銀の銃弾が放たれる。

 エヴァはノアの身体を強引に自分の前に立たせ、弾除けの盾にする。

 銃弾はエヴァの狙い通りに、ノアの胸部に命中した。

「しまった……!」

 思わずその結果に動揺してしまうシャルロット。エヴァはその隙を見逃さない。役目を果たした盾を投げ捨て、目にも留まらぬ瞬間移動と呼べるような速さで接近する。

「次はあなたよ。シャルロット」

 懐に潜り込んだエヴァは口元を歪め、シャルロットの首に手を伸ばす。

「いいえ次はあんたよエヴァ――!」

 エヴァの手を左手で弾き、至近距離からの発砲。その銃弾を避け、エヴァはすぐにシャルロットの鳩尾に掌底を入れる。

 シャルロットは後ろに下がって避けようとしたものの、反応が遅れてしまい、完全には避けられなかった。

「――ッ!」

 呼吸が困難になる程の苦痛に、表情を歪めるシャルロット。すぐにでも退避して態勢を立て直したいとは当然思っているが、身体が言う事を聞かない。

「さようなら……」

 シャルロットの首を潰す為に、右手を伸ばすエヴァ。しかし、

「させませんよ」

 という声が聞こえた瞬間、エヴァは伸ばしかけていた手をすぐに引っ込め、後方に飛び退いた。

 先程までエヴァが居た場所を、真空の刃が通過する。それを見たエヴァは、安堵するかのように小さく息を吐いた。

「全く……。油断も隙もあったものじゃないわね」

「おや、随分と余裕がありますね。まだあなたの危機は終わっていないと思われますが……」

「……どういう意味よ?」

「一難去ってまた一難――ですよ」

「何を――」

 不意に言葉を切って、素早く振り返るエヴァ。

 そこに居たのは、気配を殺して忍び寄っていたリナとルナであった。リナは既に魔法の詠唱を終えており、ルナもまた得物のナイフを振りかざす寸前である。

 サクラとの会話によって集中を切らしていたエヴァは、二人の接近をいち早く察知する事ができなかった。

 彼女はもう反撃はおろか、避ける事もできない。魔法の球体を保持しているリナの右手と、銀色のナイフを握ったルナの左手が、同時にエヴァの身体に襲い掛かった。

「小癪な――!」

 リナの魔法だけは喰らうまいと彼女だけを突き飛ばし、ルナのナイフは身体で受け止める。血を求めるように妖しく輝いていたそのナイフは、エヴァの胸部に深々と刺さった。

「結構……応えるわね……」

 苦々しく口を歪めるエヴァ。充分なダメージを与える事ができたルナはエヴァの身体からナイフを抜き、リナと共に素早く離れる。

「後は任せなさい」

 入れ替わるように、今度はシルビアがやってくる。

「良いとこ取りだね」

「ホントだね」

 小生意気な双子の言葉。聞こえているシルビアはわざとらしく咳払いをする。

「良いとこ取り――か。確かにね」

 くすくすと可笑しそうに笑いながら、シャルロットもやってきた。

「シャル、大丈夫なの?」

「何が?」

「掌底貰ってたじゃない。鳩尾は後から効いてくるわよ」

「あぁその事?なら大丈夫よ。私はこれでも打たれ強いの」

「……なら良いわ」

 適当に返事を返してから、打たれ強いという単語にとある人物を思い出す。

「――奴は大丈夫なのかしら?」

「奴?」

 シャルロットはシルビアの視線を辿り、奴という言葉が誰を指しているのかを確認する。

 視線の先に居たのは、まだ気を失ったまま倒れているノアであった。

「あぁ、ノアの事?多分大丈夫でしょう」

「何よ随分と軽いわね……」

「奴はあらくらいで死ぬ程軟弱ではないもの。それはあなたも知ってるでしょう?」

「それはまぁ……」

「そういう事よ。――とは言え、返り討ちに遭うのが思ったよりも早かった事には私もびっくりしたけど」

「止めなさい。腕を折られて銀の銃弾喰らって、その上言葉で煽られたら立ち上がる気も失せるわよ」

「あら、ごめんあそばせ、お姉様」

 いたずらっぽく笑みを浮かべるシャルロットに、シルビアは小さく溜め息をつく。

「姉妹仲良くお話をしていらっしゃる所に水を差すようで申し訳ありませんが、先に彼女を仕留めませんか?」

 微笑ましそうにニコニコと笑いながら二人の元にやってくるサクラ。

「わかってるわよ。すぐに終わらせるわ」

 シャルロットは銃を片手に、エヴァに向かって歩き出す。それを見て、シルビアもその後を追い掛ける。

「あなたもタフね。いつまで持つかしら?」

 エヴァに向かって、首を傾げて見せるシャルロット。

「少なくとも、後一時間は持たせるつもりよ」

 エヴァは既に塞がりつつあるルナに刺された傷を、手で確かめるように触れている。

 その様子を見ていたシルビアが、嘲笑を浮かべた。

「それまで、その再生能力が持てば良いわね」

「これ以上使うつもりは無いわ」

「へぇ。もう一発も喰らわないって事?大した自信ね」

「ふふ……。――その目で確かめなさい」

 ニヤリと笑ったかと思うと、エヴァの姿が突然消えた。

 二人は素早く四方八方に注意を分散し、どの方向からの奇襲にも反応できるよう身構える。

 視覚には頼らない。頼るのは第六感。神経を研ぎ澄ませ、エヴァの攻撃を待つ二人。

「どこを見てるの?私はここよ」

 不意に聞こえた、背後からの声。二人は素早く振り返り、銃を構える。

 しかし、そこにエヴァの姿は無い。

「遅いわよ。今度はこっち」

 からかうようなエヴァのその声が、再び背後から聞こえてくる。

 振り向いた所で先程と同じようにそこには居ないだろうと判断した二人は、背中合わせになって辺りを見回す。

 遊ばれている。二人はそう確信した。

「透明にでもなっちゃったのかしら……?」

「もしくは肉眼では捉えきれない速さで動いているか――どっちかでしょうね」

「にわかには信じられない話ね」

「今に始まった事でもないわよ」

「それもそうね」

 二人は構えている銃の引き金に指を掛けたまま、発砲の時を待ち続ける。

 しかし、エヴァが最初に襲い掛かったのは、二人ではなかった。

 離れた場所から、リナかルナか、どちらかの悲鳴が聞こえてきた。二人はすぐにそちらに顔を向け、状況を確認する。

 どうやら襲われたのはリナの方らしく、懐に潜り込んできたエヴァに真下から殴り上げられ、彼女の身体は宙を舞った後、地面に叩き付けられた。

「リナ――!」

 駆け寄ろうとするルナ。エヴァがそれを許すハズもなく、彼女の前に現れる。

「残念。次はあなたよ」

「許さない……殺す……殺してやるッ……!」

 最愛の姉を傷つけられ、ルナは激昂する。

「ふふ……。可愛い顔が台無しよ?」

 エヴァは更に挑発をしてから、再び姿を消した。

 姿が見えなくては攻撃のしようがない。ルナはナイフを構えたまま、辺りを見回す事しかできない。

「ルナ!後ろよ!」

 シルビアの声が聞こえてきた。

「――ッ!」

 慌てて振り返りながら、エヴァの姿を確認をする前にナイフを振る。

 ナイフを振った左手の手首が、エヴァにがしりと掴まれた。

「残念でした」

 ルナの利き手である左手を殺してしまおうと、力を入れるエヴァ。か細いその手首がギリギリと絞められていき、恐怖と痛みで、ルナの表情が歪んでいく。

 手首がぐしゃりと潰れるその寸前で、アルベール姉妹の銀の銃弾が彼女を救った。

 エヴァは銃弾が頬をかすめた嫌な感覚に眉をひそめ、アルベール姉妹を睨み付ける。それから、ルナに視線を戻し、にこっと不気味に微笑みかけた。

「良かったわね。左手を失わずに済んで……」

 ルナの身体を突き飛ばし、エヴァはすっとその場から姿を消す。

 その場に残ったルナは、エヴァという恐怖から解放された安堵感に思わず放心してしまい、その場に倒れて気を失ってしまった。


「さて――」

「さて――じゃないわよ。なんなのよ、その理不尽な速さは」

 目の前に現れたエヴァに、溜め息混じりに文句を言うシャルロット。

「私の力を全て速さに振り分ければ、こうなるのよ」

「振り分けられるものなの?」

「普段は分散しているけれど、今はこの方が効果的だからね」

 エヴァは再び姿を消して、二人の背後に回り込む。

「中々面白いわ。敵の姿を見つけられずに狼狽えるあなた達を見ているのは」

「こっちはちっとも面白くないわよ。正々堂々戦いなさい。この卑怯者」

「あらあら、卑怯だなんてとんでもない。私は自分の力を発揮して戦ってるだけよ?あなた達が無力なのがいけないのではなくて?」

「このッ――!」

 あっさりと挑発に乗るシャルロットを、シルビアがぐいっと肩を掴んで止める。

「落ち着きなさい。姿が見えない以上こちらから無闇に攻撃を仕掛ける事はできないわ」

「じゃあどうするのよ!」

「……一つ、わかった事があるわ」

 シルビアの静かな声調に、シャルロットも思わず声が小さくなった。

「……わかった事?」

「奴は目に見えない速さで動き続けているワケじゃない。常に私達の死角に居るだけよ」

「はぁ……?」

「ほら、子供の頃あんたよく私にいたずらをしてきたじゃない。私の名前を後ろから呼んで、振り向いた私の後ろにまた回り込むってヤツ」

「随分と昔の話をするわね……。それが何なのよ?」

「まさしくそれよ。今だって奴は、私達の視界の外に居るハズ。動き回ってるワケじゃあないわ」

「そうなの……?」

 不意に、勢いよく振り返るシャルロット。

 しかし、そこにエヴァは居ない。

「シルビアさんの推測は、どうやら合っているみたいですね」

 そう言ったのは、二人とは別の方向を見ていたサクラであった。

「一瞬ですが、奴の姿を確認しました。すぐにまた消えてしまいましたけど……」

「問題は、死角に居るエヴァにどう攻撃を与えるか。仕掛けてきた所を逆に迎え撃つのは、さっきのリナの二の舞になる可能性が高いわ」

「それでは、どのように?」

「それを今考えてんのよ」

 三人は背中合わせになって、それぞれエヴァの動きを警戒する。

「なんだか退屈ねぇ……」

 シルビアの正面の方から声が聞こえ、他の二人もそちらに身体を向ける。

「このまま時間切れを待つのも良いけど、流石にちょっと興醒めだわ」

「あっそう。私達と戦うのは余興に過ぎないって事?その発言今に後悔させて――」

 シャルロットの話を遮るかのように、銃声が鳴った。

 発砲したのはシルビアであり、隣に居たシャルロットが胸元に手を当てながら目を丸くして彼女の顔を見つめる。

「びっくりした……急に撃たないでよ……」

「撃たないでどうすんのよ。せっかく奴の方から姿を現してくれたってのに」

「まぁあなたはなんというか……いつも通りね……」

「……何よ」

「別に……」

「お二方、来ますよ」

 サクラの声を聞き、二人は会話を止めて再びエヴァの方に注意を向ける。

 エヴァは銃弾がかすった右肩を払うように左手を動かしながら、こちらに歩いてきた。

「会話を楽しむ気は無さそうね。シルビア」

「当たり前よ。あんたと話す事なんか何も無いわ」

「そう……」

 呆れたように小さく笑うエヴァ。それを最後に、彼女は三人の前から姿を消す。

 再び辺りの警戒に入ろうとする三人であったが、今度はすぐに現れた。

 エヴァはシルビアの背後に現れるなり、突然彼女の首を右手で掴む。

「――ッ!」

「もう良いわ。まずはあなたに死んで貰うとしましょう」

 エヴァの右手に、ぎりっと力が入る。

「お断りよ――!」

 シルビアは肩の上から銃を背後に向け、狙いを確認できない状態のまま引き金を引く。

「そんな銃弾が当たるとでも?」

 虚空へと消えていく銃弾。ニヤリと笑い、更に力を入れていくエヴァ。

 しかし、そこでふと、違和感を覚えた。

 脇に居るハズの二人が妙に大人しい。

 突き動かされるように、エヴァはサクラが居るハズである左側に顔を向ける。そこには、刀を振り上げているサクラの姿があった。

「(危ない危ない……)」

 エヴァは空いている左手を引いて力を溜め、サクラの身体を突き飛ばそうとする。

 渾身の力を込めて押し出そうとしたその時、引いていた左手をがしっと強く掴まれた。

「つーかまーえたっ」

 まるで鬼ごっこで遊んでいる子供のような無邪気な声。声に反して力は強く、絶対に逃がさないという意志が伝わってくる。

「……」

 恨めしそうにゆっくりと、その声の主の方に顔を向けるエヴァ。

 シャルロットは溢れんばかりの笑顔を浮かべて、エヴァの左手を両手でがっちりと掴んでいた。

 次の瞬間、シルビアの首を掴んでいた右手の感覚がすっと消える。

 それと同時にエヴァの左手を掴んでいたシャルロットもすっと力を抜き、拘束が解けたエヴァは反射的に後ろに下がる。

 しかし、右手はシルビアの首を掴んだままであった。

「――え?」

 後ろに下がったハズなのに、右手はその場に残っている。

 シルビアが振り返り、その右手を首から剥がしてエヴァに投げ渡す。

「ほら、忘れ物よ」

 目の前の地面に落ちた、先程までは自分のものであった右手。エヴァはその右手と、シルビアの隣で刀を鞘に納めているサクラを見て、全てを理解した。

「……やってくれたわね」

「ふふ……。やってやりました」

 にこっと可愛らしい笑顔を見せるサクラ。

「さて、片手を失った事がどう響くか。見物ね」

 シャルロットの嘲笑。

 エヴァは俯き、どくどくと血を出して地面に血の海を作っている自分の右手を見つめた。

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