第35話
「ちょっと。落ち着きなさい、シャル」
「あら、私はいつだって冷静よ?シルビア」
エヴァと素手で殴り合うなどと言い出したシャルロットをすぐさま止めようとするシルビアと、そんな彼女の制止の声を気にもせずに冗談を返すシャルロット。
「あんたねぇ……」
シルビアは呆れた様子で、シャルロットを追い掛けるように歩き出す。すると、シャルロットはわざとらしい咳払いをしてからシルビアの元に戻っていき、彼女の両肩に自分の両手をばしっと置いた。
「な、何よ?」
「いいから、ここは私の考えに任せなさい。普通に考えて、あんな奴と素手でやり合っても勝ち目なんかあるワケ無いじゃない」
「はぁ?」
釈然としない様子のシルビアに、シャルロットは一度ちらっとエヴァの方を気にするように見てから、小さな声でこう言った。
「私が何とか奴の動きを止めるわ。そしたらあなたが奴に銃弾を叩き込む。良いわね?」
「……」
シルビアは気が抜けたように溜め息をついた。
「騙し討ちってワケ?それに、奴のスピードを見たでしょう?それを承知の上で言ってるの?」
「確かに奴は速いわ。でも魔法とかじゃなくて格闘なら、攻撃する際に必ず私の身体に手が触れる。そこを掴むのよ」
「随分と簡単に言うわね……」
「やってみなきゃわからないじゃない!それに、他に策なんて無いと思うけど?」
「……」
シルビアは目の前のシャルロットから、その奥に居るエヴァに視線を移す。それから、目を閉じて鼻で笑って、こう言った。
「……まぁいいわ。殺されんじゃないわよ」
「任せなさい」
呆れた表情のシルビアに対し、シャルロットは涼しい顔をしている。そして、そんな自信に満ち溢れた表情のまま、踵を返して再びエヴァの元へと歩き出した。
「意見は纏まった?」
ずっとその場で腕を組んで見ているだけであったエヴァが、こちらに歩いてくるシャルロットにそう訊く。
「えぇ。お陰様で。待たせたわね」
エヴァの人を見下すような嫌味っぽい笑みに対抗するかのように、シャルロットも同じような笑みを返す。
「そう。じゃあ、始めましょうか」
「――そうね」
シャルロットの表情が、きりっと引き締まる。対してエヴァは、表情を崩す事なくシャルロットに襲い掛かった。
「(さぁ、来なさい!)」
ニヤリと笑い、身構え、エヴァの攻撃を待つシャルロット。どんな攻撃でも必ず受け止めて見せると言わんばかりの、余裕すら見て取れる表情だ。
しかし、結果は無情であった。
「へぶっ」
という情けない声と共に、シャルロットの身体が地面に転がる。
エヴァが放ったストレートは、難なくシャルロットの頬を捕らえた。
「……シャル」
「えーと、言いたい事はわかるわ。わかってる。だから何も言わないで頂戴。大丈夫よ。今のはちょっと油断したって言うか、思ったよりも速すぎてびっくりしたって言うか――」
殴られた頬を手で抑えながら、そそくさと立ち上がるシャルロット。
「……本当に大丈夫なの?」
「大丈夫よ!心配性ね!いいから私に任せなさい!」
「……あっそ」
相変わらず呆れた様子のシルビアであったが、無理に止めようとはしない。止めた所で彼女はやめないという事は、姉であるシルビアが一番知っている。
シルビアは銃の弾倉を抜いて装填数を確認する素振りを見せてから、シャルロットに視線を戻す。"行きなさい"という意味が込められたその視線を受け、シャルロットは小さく頷いた。
「さぁ、第二ラウンドよ。次はさっきみたいに簡単にはやられないわよ」
「やれやれ……。懲りない子ね」
指を鳴らしながら近付いてくるシャルロットに、困惑気味の微笑を浮かべて見せるエヴァ。
「諦めは悪い方なの。勘弁してね?」
「気にする事無いわ。自分の身を案じなさい」
「あら、優しいのね」
「そう思う?」
首を傾げてニヤリと笑ったかと思うと、エヴァは突然シャルロットに接近した。
「――ッ!」
身構えるシャルロット。
エヴァの右手が再び頬を狙い、風のような速さで動く。
シャルロットは瞬時にエヴァの攻撃の軌道を読み、顔の前で腕を交差させ、攻撃に備える。
しかし、衝撃が走ったのは顔でもそれを防ぐ為に交差させた腕でもなく、腹部であった。
「ッぁ――!」
声にならない悲鳴と共に、シャルロットは前のめりになる。
フェイントをして腹部に重い一撃を入れたエヴァはそのまま間髪入れずに、俯き気味になっているシャルロットの顔面にアッパーを繰り出す。
それは見事に命中し、シャルロットは大きく仰け反ったが、何とか倒れずに持ちこたえる。
しかしそれだけであり、反撃の余地などは当然無い。
「(バカ……!)」
シルビアは見ていられなくなり、駆け寄ろうとする。それよりも早く、エヴァの右ストレートがシャルロットの顔面に放たれた。
「シャル――!」
殴ったとは思えない、破裂音のような音がその場に鳴り渡る。
シルビアの方からはシャルロットの姿は背中しか見えず、何が起きたのかは見る事ができない。
代わりに目に入ったのは、エヴァの驚愕している表情であった。
「いい攻撃ね。これ貰ってたら、確実に死んでたわ」
シャルロットの声が聞こえる。
彼女は寸前で、エヴァのストレートを片手で受け止めていた。そしてその手を、ギリギリと捻り上げる。
「――ッ!」
歯を食い縛りながら抵抗を試みるエヴァであったが、関節が極まっており、力が入らない。
「シルビア!今よ!」
エヴァの腕を極めたまま、シャルロットがそう声を上げる。
その時には既にシルビアは銃を構えており、その銃口はしっかりとエヴァに向けられていた。
「貴様――!」
「残念だったわね!」
睨み付けてきたエヴァに、シャルロットはニヤリと笑って見せる。
そこで、銃声が鳴り響いた。
「……避けた?」
ぼそっと、シルビアが呟く。
「いいえ、当たったわ。……一応ね」
シルビアの言葉に、シャルロットが苦笑を浮かべながら答える。
エヴァは気が緩んでいるシャルロットの隙を突いて彼女の腹部を軽く殴り付け、同時に腕を振りほどく。
その時にエヴァの左肩から血がぽたぽたと地面に垂れたのを見て、シルビアはシャルロットが言った"一応"という言葉の意味を悟った。
「全く……。やってくれるわね……」
エヴァが寸前で身体をずらした事により、銃弾はシルビアが狙った急所である心臓からは外れ、左肩に当たっていた。
「作戦失敗――か。さて、どうしたものかしら……」
深くは入らなかったものの、腹部を殴られたシャルロットが、エヴァを視界に捉えたまま後退りをしてシルビアの元へと戻っていく。
「ごめんなさい。狙いは確かだったハズなんだけど……」
「あなたのせいじゃないわ、シルビア。銃弾を避けたあいつが悪いの」
仕留め損ねて責任を感じているシルビアを慰めるシャルロット。そして、こう続ける。
「――それに、少しは傷を残せたみたいよ?」
「……え?」
慰めの言葉にしては冗談が過ぎると思い、半信半疑でエヴァを見てみるシルビア。
エヴァは撃たれた肩を右手で抑えながら、荒い呼吸を繰り返していた。
「本当に……厄介ね……。銀の銃弾ってものは……」
そう呟き、力無く鼻で笑うエヴァ。
「ただの人間、ただの銃弾なら、ただの傷で済んだかもしれないわ。でもあいつはヴァンパイアで、喰らったのは銀の銃弾。一発でも当たりさえすればこっちのもんよ。奴をじわじわと、中から殺せるわ」
シャルロットはシルビアに説明するように、そう言った。
「それに彼女は私と違って、半人ではなく完全なヴァンパイア。効果は絶大と言えますでしょう」
シャルロットの言葉ではない。二人は声が聞こえた背後を振り返る。
そこにはいつの間にか、サクラが立っていた。
「あんた……!」
「ふふ、遅れて申し訳ないです。突然数が増えましてね。一掃するのに時間が掛かりました」
喫驚しているシャルロットに、サクラはくすくすと笑ってそう答える。
「それにしても、よくあの女に弾を当てる事ができましたね」
「そんなに凄い事なのかしら?」
シルビアが訊き返す。
「銃弾を見切る反射神経は、私よりも上ですから。それに、頑丈だけが取り柄のノアよりも生命力がありますし、頭の中に魔導書が丸々入ってるようなあのリナよりも魔法に長けていて、速さだってあのすばしっこいルナ以上です」
「至れり尽くせり――ね」
「そこまでの力を持っていながら、何故フォートリエ様に仕えていたのか。――ずっとわからなかった事でしたが、ようやく判明しました」
そこまで言って、エヴァを睨み付けるサクラ。
「反逆の時を待っていた――というワケです」
サクラは怨恨に満ちた視線を向けながら、そう言った。
「その反逆も、もう直終わるわ。奴がどんなに力を持っていたって、三対一じゃ勝ち目は無いでしょう」
「三対一?」
シャルロットの言葉に首を傾げたのはサクラ。
「そうでしょう。私と、シルビアと、あんたよ。三人でしょうが。それとも何?あんたあっちに付く気?」
「ふふ……まさか」
「じゃあ何なのよ」
「六対一です」
「……は?」
シャルロットが残りの三人を訊こうとしたその時、エヴァが居る方から突然ヴァンパイアの気配を感じた。
振り返るシャルロットとシルビア。
「フォートリエ様の仇はボクが討つ……覚悟しろ!」
またしてもいつの間にか、自分達とエヴァの間にノアが立っていた。
「あいつ……どこから……?」
「そこの建物の屋根の上から、ずっと様子を見ていましたよ?私がここに来た時には居ましたが……」
シルビアの呟きに、サクラが答える。
「それじゃ、あと二人ってのは――」
「私達だよ」
今度はサクラの後ろから二人の少女の声が聞こえ、再びそちらに身体を向けるアルベール姉妹の二人。
そこにはやはり、リナとルナの二人が居た。
「あなた……あのヴァンパイア達はどうしたの?」
シルビアがリナに訊く。
「倒した。だから来たの」
「倒したって、全部?」
「うん」
「……そう」
リナのどうだと言わんばかりの得意気な表情を、シルビアは微笑ましく思い、小さく笑う。
一方で、ルナはシャルロットに話し掛ける。
「遅れてごめん――とでも言っておこうか?」
「そんな言い方なら言わない方が良いんじゃないかしら」
「ふむ。間違いないね」
自分達のやり取りをおかしく思い、くすくすと笑い合うルナとシャルロット。
その時、ずっと一同の顔を見回してじっとしているだけであったエヴァが口を開いた。
「随分と和気藹々としてるわね。あなた達」
一同の視線が、彼女に集まる。その中で、シャルロットが返答をした。
「あなたもいい加減意地張ってないで、投降したらどう?今謝れば、許してやらない事もないかもしれないわよ?」
その言葉を聞き、エヴァは吹き出すように笑い出す。
「投降?冗談はやめて頂戴。どうして投降する必要があるのよ」
「……何ですって?」
「確かに銀の銃弾を貰った事はそれなりに痛いわ。でも、私はまだ戦える」
肩を抑えていた手をゆっくりと下ろし、歩き出すエヴァ。
「一人ずつ……仕留めていきましょうか……」
その表情は、不気味なまでに落ち着いたものであった。
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