第24話

 その頃――

 屋敷の二階にある書斎に、一人の女性が現れる。

「失礼します」

 柔らかな表情、黒紫色の髪、エヴァであった。

「状況はどうだ」

 薄暗い部屋の奥から、女性の声が返ってくる。

「ノア、イリス、サクラ、全員やられてしまいました。残るは私と、フォートリエ様だけですわ」

 エヴァの報告を聞き、部屋の奥で高級感溢れるアンティークな造りの椅子に深々と腰を掛けていたフォートリエ家当主、オリヴィア・フォートリエは、ゆっくりと立ち上がってエヴァの方に向き直った。

「"鍵"はどうなっている?」

 威厳を感じられる厳しい目付きをエヴァを向けるオリヴィア。エヴァはその視線に少し怯みながらも、平静を保って答える。

「前回の報告通り、所有者は変わらずヴァンパイアハンターです。ですが、一つ想定外な事が……」

「何だ」

「アリス様とマリエル様が、この屋敷に来ています」

 オリヴィアは眉をひそめた。

「二人が?」

「理由はわかりかねますが。それと、お二人の護衛を務めたのは、どうやらサクラのようなのですが、奴の度重なる勝手な行動に対する処罰はいかがなされますか?」

「サクラはまだ生きているのか?」

「えぇ。気配がまだ残っています。弱々しい気配ではありますが」

「瀕死という事か。ならば放っておけ。それでも我々に刃向かうようなら、その時に殺せば良い」

「承知しました」

 用件を伝え終えたエヴァは、踵を返して部屋を去ろうとする。

「エヴァ」

「……はい?」

 呼び止められるとは思っていなかったエヴァは、回し掛けていたドアノブから手を離し、少し驚いた様子で振り向く。

「何を考えている?」

「――と、おっしゃいますと?」

 エヴァは質問自体にも驚いた。

「ヴァンパイアハンターの二人ならここで待っていれば来るハズだ。お前は何処に行こうとしている?」

 オリヴィアは鋭い視線でエヴァを睨む。エヴァは少し間を空けてから、こう答えた。

「……私の部屋に戻って、ヴァンパイアを召喚してきます。ほとんどがヴァンパイアハンターに倒されてしまいました故、少々戦うには数が足りないのではないかと思いまして」

「……そうか」

 オリヴィアは再び椅子に腰掛け、エヴァに背を向けるように座る。

「失礼します」

 エヴァは一言だけそう言って、再びドアノブに手を掛ける。

 扉を開けて部屋から出ていく際、エヴァは口元を微かに歪め、怪しい笑みを浮かべた。

 そしてそのエヴァの後ろ姿を、オリヴィアは首を少しだけ後ろに向け、怪訝そうに横目で見つめていた。



 一方――

「さて、残るはこの階段だけね」

 サクラとの交戦を終えたアルベール姉妹はホールに戻り、二階への階段の前に立っていた。

「結局全部倒しちゃったわね。最初から階段を選んでおけば楽だったのかしら」

「先に倒すか後で倒すか、それだけの違いよ」

「それもそうね」

 階段を登り始める二人。

「この先に、フォートリエが居んのか……?」

 二人の背後から恐る恐る階段を覗き込んでいたエマがそう訊く。尚、アリスはその隣に居たが、マリエルだけは負傷しているサクラを放っておけないと言い、先程の部屋に残っていた。

 つまり、今階段を登っているのは、アルベール姉妹の二人と、アリスとエマの四人。

「あの子、大丈夫かしら……」

 シャルロットが階段を登りながら呟く。

「マリエルの事?それともサクラの事?」

「マリエルに決まってるでしょうが!あんな女どうなろうと――」

「はいはい……。いくら瀕死とは言え、その辺の下級ヴァンパイアにやられるような奴じゃないハズよ。あなたの言う"あの女"はね。だから、マリエルも大丈夫なハズよ」

「そうだと良いけど……!」

 シャルロットは不機嫌に、そっぽを向いてそう言った。


 階段を登った先には、広く長い廊下があった。

 赤い絨毯、キラキラしたガラス細工の照明。リナとルナの部屋への通路と似たような、豪華な廊下であった。

「アリス。フォートリエの居場所はわかるかしら?」

シルビアが廊下の先を見通しながら、アリスに訊く。

「お母さんはいつも書斎に居た。こっち」

 アリスはそう言って、書斎を目指して歩き出す。シルビアはそれについていく。

 その二人の後ろを、シャルロットとエマは少し遅れてから歩き出した。

 数歩歩いた所ですぐに、先程から落ち着かない様子のエマが口を開く。

「なぁシャル、今更だけどよ……」

「どうしたの?」

「フォートリエってやっぱり強いのかなって思って……。お前ら、本当に勝てるのか?」

 それを聞いたシャルロットは吹き出すように笑った後、答える。

「あなた本当に心配性ね。まぁ、大丈夫なんじゃない?」

「おいおい、随分余裕だな」

「今更撤退する気なんてないからね。ダメならダメで、当たって砕けろってヤツよ」

「とんでもねぇ奴だな……」

「あら、ありがとう」

「褒めてねぇよ……」


 廊下を歩き始め、二分程が経過した。

 何も言わずに歩き続けていたアリスが、不意に立ち止まる。

「ここだよ」

「そのようね」

 そのシルビアの返答に、アリスは驚いた表情で彼女を見た。シルビアはアリスの顔を見て、彼女の疑問に答える。

「強まっていく気配でわかったわ。間違いなく、この扉の向こうね」

「……そっか」

 驚愕の表情から寂しそうな表情になって、俯くアリス。自分の母親が強大な気配を醸し出すヴァンパイアになってしまったという事には、やはりショックは隠し切れなかった。

「……ここで待ってる?」

 シルビアは再び彼女の心中を察して、珍しく優しい声調でそう訊く。

 しかし、アリスは首を横に振って見せた。

「私も行く」

「……そう」

 シルビアは軽い気持ちで扉を開ける。全てのヴァンパイアを統率する程の相手が、小賢しい罠を打つようなマネはしないだろうと踏んでの行動であった。

 そしてその考えが間違っていなかった事は、部屋に入った時点ですぐに判明した。

「待っていたぞ。ヴァンパイアハンター」

 実に威風堂々と、オリヴィアは椅子に腰掛けていた。


「ディミトリの復活、なんとしても阻止させて貰うわよ」

 ホルスターから銃を抜き、それをオリヴィアに向けるシルビア。おちゃらける事が好きなシャルロットも、流石に敵の親玉を前にしては口を開く気にもなれず、何も言わずに銃を構える。

 すると、オリヴィアは椅子から立つ事も無く、椅子の肘掛けに右腕を置き、ニヤリと笑ってこう言った。

「まぁそう慌てるな、シルビア・アルベール。我々は今から、先祖が三百年前に起こした偉大な戦いの続きをやろうとしているのだ。あっさり終わってしまっては興醒めというものだろう?」

「興醒めも何も、三百年前と同じ結末を繰り返すだけよ。その運命は覆させやしないわ」

「ほう、口は達者だな」

「口だけじゃ無いって事を精々祈ってなさい」

「面白い――」

 オリヴィアはゆっくりと立ち上がった。

「こんな狭い部屋では面白味に欠ける。屋上に来るがいい。そこで始めるとしようか」

「……上等よ」

 オリヴィアの提案を受け入れ、銃を下ろすシルビア。

 実際の所、相手の実力がわからない以上、シルビアも狭い場所での戦闘は避けたいと思っていたのが本心であった。

 オリヴィアは自分が座っていた椅子の後ろにある窓を開け、そこから屋上まで一気に跳躍する。

「アリス、屋上まで案内して頂戴」

「……うん」

 部屋を出ていくシルビアに、アリスはついていく。

「(アリス……)」

 その時見せた哀しそうな表情を、シャルロットは見逃さなかった。

 視線すら合わせてくれなかった母親。アリスは胸が締め付けられるような感覚に襲われ、必死に涙を堪えていた。


 廊下に戻り、一同はアリスを頼りに屋上へと向かう。

 それぞれの足音だけが聞こえる中、口を開こうとする者は誰一人として居なかった。

 四人は思う。かつてこれ程までの不安と緊張を感じた事があるだろうかと。

 そしてその答えは既に、全員がわかっている。だからこその、沈黙であった。

 行きとは反対の方向へと進んでいき、しばらくした所で、先が薄暗い小さな階段が見えてきた。その階段をアリスが指差す。

「あの階段だよ」

「随分と不気味ね……」

 不安を誤魔化すように苦笑して見せるシャルロット。シルビア、エマの二人は何も言わない。

 階段の前までやってきた所で、先頭を歩いていたシルビアが立ち止まった。

 この先にオリヴィアが居る。滲んできた冷や汗を右手で拭い、シルビアは銃を握り締める。

 先程書斎に入る時には感じられなかった恐ろしい殺気が、シルビアの恐怖心を強く煽っていた。

「(向こうも完全にやる気ってワケね……)」

 ふうっと息を吐いて深呼吸をしてから、シルビアは階段に足を掛ける。覚悟を決めたのか、そこからの足取りは軽快なものであった。

「……行きましょうか」

 次にシャルロットがそう言って、階段を登り始める。

 アリスはすぐにそれに続いたが、エマは恐怖で足が動かなくなっており、その場で三人の背中を見つめるだけであった。

「……エマ?」

 アリスが気付き、振り返る。

 エマが何かを言おうと口を開いた瞬間、シャルロットが先にこう言った。

「ここで待ってなさい」

 普段のものとは全く異なる、厳しい声であった。

「無意味に死ぬ事は無いわよ。ケリは私達で付けるわ」

「……ごめん」

 エマもまた、普段とは異なり弱気な声でそう一言だけ返す。すると、シャルロットはいつものように優しくにこっと笑い、再び階段を登り始めた。

「あなたは良いの?アリス」

 階段を登りながら、シャルロットが顔を正面に向けたまま隣に居るアリスに訊く。

「私はオリヴィア・フォートリエの娘。――覚悟はもうできてる」

「……そう」

 シャルロットはアリスの頭をそっと撫でた。


 十六夜の夜。

 強い夜風が屋敷を囲う森の木々を煽り、葉擦れの音を奏でさせている。

 オリヴィアは屋敷の屋上で、空に浮かぶ十六夜の月を眺めながら、じっとその時を待っていた。

 そしてその時が訪れたという事を、金属製の扉が開く重々しい音が知らせる。

「……来たか」

 現れたアルベール姉妹の二人を見て、オリヴィアはニヤリと笑った。

「待たせたわね。さっさと始めましょう」

「無駄な戦いって事を思い知らせてやるわ……!」

 オリヴィアに歩み寄るシルビアとシャルロット。オリヴィアはこれから起こる歴史的な戦いに喜びを隠せないのか、口元を歪めながらその場で二人を待っている。

 そんな彼女の表情が、不意にすっと元に戻る。

「アリス……」

 その理由は、アルベール姉妹の後ろに居る、自分の実の娘であるアリスにあった。

「……お母さん」

 思わず立ち止まるアルベール姉妹。アリスだけは歩みを止めずに、二人の間を通ってオリヴィアに近付いていく。

 アリスは溢れている涙を溢さないように、必死に耐えていた。

「アリスよ。お前は人間に付くのか?我らヴァンパイアの宿敵である人間に?」

 オリヴィアがそう問い掛ける。すると、アリスはオリヴィアの元まで後三メートル程の場所で立ち止まり、その問い掛けに答えた。

「人間とかヴァンパイアとか……そんなのどうでもいい……。私はただ、平和に暮らしたいだけ……」

「平和だと?三百年前、我らの同胞を殺めた人間達と平和に暮らすと言うのか?愚かな答えだな、アリス。今こそディミトリ様を復活させ、人間に復讐を――」

「そんなのどうでもいいよッ!」

 アリスは自分が出せる最大の声量で、オリヴィアを怒鳴り付けた。

「どうでもいい……三百年前とか、復讐とか……そんなの知らないよ……!」

 オリヴィアは娘が初めて見せたその態度に驚いているのか、黙ってアリスを見つめていた。

「目を覚ましてお母さん!お母さんは、そんな人じゃない!優しくて温かい……私の――」

「くだらん」

 オリヴィアの冷たい声。アリスは耳を疑い、顔を上げる。

 オリヴィアは右手の手のひらをアリスに向け、何かを呟いた。

「アリスッ――!」

 シャルロットがアリスの身体を抱き込み、その場から飛び退く。

 オリヴィアの手のひらから飛び出た黒い球体は、アリスが立っていた場所を通って虚空へと消えていった。

「実にくだらんな。我らの宿命に背き、人間と共存しようなど愚の骨頂」

 オリヴィアは鼻で笑って見せる。

「あんた、娘を殺す気なの?」

 そう訊いたのは、オリヴィアを睨み据えているシルビア。

「我らの宿命に背くような者が娘など、考えたくもないな。最早親子の関係などどうでも良くなってしまったわ」

「……そう」

 わなわなと湧き出てきた怒りの感情が限界に達したシルビアは、ニヤリと口元を歪めた。

 その一方でシャルロットは、アリスを離れた場所まで連れていき、彼女を避難させる。

「アリス。ここで待ってなさい。良いわね?」

「シャ……ル……」

 アリスは母親に殺されかけた事、そして母親の言葉にショックを受け、放心状態になっていた。

 シャルロットはかける言葉が見つからず、ただ黙ってアリスの頭をそっと撫でる。

 そして立ち上がり、シルビアの隣、オリヴィアの正面に向かって歩き出した。


「邪魔が入ったな。だが、やっと始められる」

 揃った二人を見て、嬉しそうに、不気味に笑うオリヴィア。

「これで、何の躊躇も無くあんたを葬れるわ」

 静かな怒りを押し殺しながら、シャルロットはゆっくりと銃を構える。

「覚悟しなさい、オリヴィア・フォートリエ。ヴァンパイアの歴史を今夜終わらせてやるわ」

 そう言って、シルビアも銃口をオリヴィアに向ける。

 オリヴィアは向けられた二つの銃口を見て、高らかに笑い出した。そして、再び二人を視界に捉え、こう呟く。

「三百年前の決着をつけようではないか……。どちらが生きるべきか……死ぬべきか……」

 強い夜風に煽られながら睨み合う、オリヴィアとアルベール姉妹。

 一同を照らしている十六夜の月が雲に隠れ切ったその時、戦いは始まった。

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