第9話


ふと気がつくと、ももはあの公園のバスケットコートのフェンスの前に立っていた。

さっきまで明るかった空はもう暗くなり始めている。

「あれ…私……さっきまで……なんで……」

混乱している頭で必死に記憶を辿る。

大学の門を出たところで不思議な男の子二人に会ったのは覚えている。

しかしそれからの記憶がまるでない。

どうやってここまで来たのだろうか。

怖くなり踵を返し公園の出口に向かおうとしたももを何者かが呼び止めた。

「…二条もも。キミが二条ももさんか。成程…強い後悔に心が捕らわれているね。今のキミは、まるで手枷と足枷のついた不自由な籠の中の鳥だ。」

その声に振り返ると、バスケットコートの中の休憩用のベンチに誰かが座っていた。

さっきまで気づかなかった。

というよりも気配が無い。

話しかけられて初めて存在を認識出来た。

暗くてよく見えない。

「…どうして私の事を知ってるの?…貴方、誰?」

「その前に、此方へおいで。キミは自らこのコートの中に入るべきだ。」

ももは迷った。

さくらが死んでから、この公園に来たのは今、この時を含めて二回。

コートの中なんて、さくらが居なくなってからは一度も入っていないのだ。

どうしても、勇気が出ない。

フェンスの前で止まっているももを見て、コートの中の誰かは笑う。

「ふふ…。怖いかい?勇気が出ない?…大丈夫。キミの中にあるここでの思い出は、決して怖いものではない筈だろう?」

その言葉を聞いて、ももは決心した。

フェンスの扉をそっと開き、ももはコートの中へと歩みを進める。

久しぶりにに入るコートは、公園同様あの頃と何も変わっていなかった。

なのに、着ている服は練習着やユニフォームではなくスーツだし、コートを踏みしめるももの足元を飾っているのはバスケットシューズではなくスーツと共に買い揃えた黒いパンプスだ。

合わない。

あまりにも不似合いだ。

この大切なバスケットコートに入る格好では無い事にももは自嘲の笑を浮かべた。

「所詮、今の私にはこのスーツがお似合いよ…」

「そうかな?私はそうは思わないけれどね」

小さい声で呟いた筈なのに聞こえていたらしい。

先程話しかけてきた謎の人物がゆっくり此方へ近づいてくる。

「…それで、貴方は誰?どうして私の事を知っているの?」

街灯に照らし出されて漸くその人物の姿がハッキリ見えた。

生糸のような金色の髪は綺麗に編み込まれ、片方の肩に掛かりキラキラと輝いている。

背はスラリと高く、着物がとてもよく似合う。

年はももと同じか、もしくは少し上くらいだろうか。

ももを見つめる瞳は光の加減により様々な模様を映し出しているように見える。

錯覚なのかもしれない。

しかし、この数秒の間に、ももはその瞳の中に確かに沢山の模様を見た。

一言で言うならば、月。

一日づつ、形を変え、模様を変える月。

ももが、その余りにも浮世離れした美しい容姿に魅入っていると、月のような瞳がスっと細められ三日月を描いた。

「一条さくらさんを知っているね?私は彼女の願いを叶えるためにここにいる。」

もういない親友の名を出され、ももは見るからに狼狽える。

「え…さくらって…どうゆうこと?さくらは死んだの。なんで貴方がさくらを…」

「キミは随分と質問の多いお嬢さんだねぇ。取り敢えず細かいことは後だよ。私がキミに聞きたいことはたった一つ。まずはそれに答えて貰おう。」

「な、なによ…」

「一条さくらさんに会えるとしたら、キミはもう一度彼女に会いたいと思うかい?」

「え……」

突然のありえない質問に、ももは戸惑った。

会える?

いや、もうさくらはこの世にいない。

それにもし会えたとしても、今のももの状況を見たらさくらはガッカリするかもしれない。

失望するかもしれない。

でも、たとえそうだとしても…。

「……会いたい。ちゃんと会って、しっかり顔を見て謝りたい」

涙ぐみながらも強く言ったももを見て、目の前の美しい青年は微笑んだ。

「キミ''たち''の願いを叶えよう。忘れ物を、見つけておいで」

そう言うとその青年はももの額に手をかざした。

次の瞬間、暖かい熱がももの身体全体を包んだ。

「っ!?」

熱と同時に発せられた光に思わず目を瞑る。

段々と暖かいものが引いていく感覚がある。

ゆっくりと目を開けると、ももが立っていたのは今まであの青年と話をしていた公園のバスケットコートで間違いはない。

間違いはないのだが、空は青く綺麗に晴れている。

先程までは夜だったはずだ。

青い空に桜の花弁が舞う。

コートのフェンスの周りを取り囲むようにして立っている桜の木が、風が吹くとサワサワと音を立てる。

木々のざわめきの中で、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「ももっ」

聞き慣れた、しかしどこか懐かしい声。

その声に振り返る。

「…え………さくら……?」

そこには、あの頃と全く変わらない姿の親友が立っていた。

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