第4話
さくらがキツネを『佐藤太郎』と名付けてからどれくらい経っただろうか。
この部屋には時計がない。
というか、時間という概念が存在しないらしく、具体的に何時間、何分、というのはよく分からないらしい。
さくらは、自分が死んでからここに来るまでの事、生きていた時の事、人間界の事、色々な事をキツネ…佐藤太郎に話して聞かせた。
誰かと話をするのが久しぶりだった為、自分の話に反応が返ってくるのが嬉しかった。
佐藤太郎は興味深そうに聞いていた。
いや、もしかしたら興味のあるフリをしているだけだったかもしれない。
そんな事も考えたが、さくらは佐藤太郎のその優しさに甘える事にした。
初めて見た時は、物静かで、接しにくい人…キツネだと思ったが、実際話してみるとそんなことは無く、お茶目でよく笑い、とても優しいという事が分かった。
かなり長く話していたと思う。
さくらが一息ついてお茶を飲もうと湯呑みを持った時、ノックの後扉が開き、アルマジロが入ってきた。
「失礼します〜。お話、終わりましたでしょか〜?」
アルマジロの問いかけに佐藤太郎が頷いた。
「ほな、ご飯にしましょか〜。お嬢はんもお腹すいてますやろ?」
アルマジロの言葉を聞いてさくらはふと自分の手元を見た。
その動作に気づいた佐藤太郎は首を傾げ問うた。
「お嬢さん?どうかしたかい?」
佐藤太郎の質問にさくらは目線を上げないまま答えた。
「あ…いや…。私は死んでから何も飲まず食わずでここまで来ました。お腹が空くことも、喉が乾くことも無かったですし…。それに、私はあの世界にあるものに触れることが出来なかったから…。」
そこまで言って、さくらは湯呑みを机に置いて顔を上げた。
「でも、ここに来て、アルマジロさんからお茶を出してもらって…何も、本当に何も考えずに湯呑みに口をつけてお茶を飲んだんです。しかも、ちゃんと飲めた…。…最初、扉を叩いた時も思いましたが、ここのものは実態のない私でも、触れることが出来るんですね。貴方達を含めて…」
さくらの真っ直ぐな目に見つめられて、佐藤太郎は目を細めて言った。
「そうだね。言うてみれば、ここはお嬢さんが生きていた世界とは全くの別次元に存在するからね。今まで人間界で生きてきたお嬢さんの物差しでは測れない様な事がここには沢山あるんだよ。私達を含めて、ね。」
それを聞いたさくらは、心がぽわりと暖かくなるのを感じて微笑んだ。
佐藤太郎の言う事を全て理解するのは難しい。
しかし、彼の話す言葉には不思議な魔力のようなものがあるのか、意味がよく分からなくても何故か安心する。
そんな二人のやり取りを見守ったアルマジロは、突然右手で空中をなぞり始めた。
何を空に書いているのかは分からなかったが、アルマジロがその手を引っ込めるのと同時に、佐藤太郎の座っている椅子の後ろ側の壁に一枚の扉が現れた。
さくらは唯々、その光景を口を開けて見ているしか無かったが、アルマジロに扉に入るように促され、口を開けたままその扉のドアノブを回した。
扉の中に入ると、先程佐藤太郎と話していた部屋とはまるで違う、どこにでもある一般家庭のダイニング、といった出で立ちのテーブルと椅子のセットが出迎えた。
長方形の木のテーブルには花柄のテーブルクロスがかけられており、椅子にも可愛い花柄のクッションが敷いてあった。
ちょうど扉と真向かいの壁には暖炉が備え付けられている。
今までいたちょっと和風でシンプルな部屋とは真逆な感じの装飾にさくらが戸惑っているとアルマジロがさくらの隣をすり抜けて説明し始めた。
「基本的に、家事全般は僕が担当してるさかい、食事に関する部分の装飾やらなんやらはぜーんぶ僕が決めさしてもろたんですよ〜」
和風で落ち着きのあるものを好む佐藤太郎と、暖かか味のある、ファンシーなものを好むアルマジロとでは全然趣味が違うらしく、部屋ごとに全く雰囲気が異なるらしい。
アルマジロに椅子に座るように言われ、さくらは左側の一番奥の椅子に座った。
その真向かいに佐藤太郎が座る。
さくらが部屋の中をキョロキョロ見回している内にもアルマジロはどんどん料理を運んで来ていた。
パッと見普通の家庭料理、と言ったところだろうか。
グラタンらしきものや、何らかのお肉を焼いたであろうもの、パスタと思しきもの…。
意外と洋風だ。
一通り並べ終えたアルマジロは佐藤太郎の横に座った。
「さぁさぁ!食べましょか!!遠慮せんと、たんと食べてください!!」
佐藤太郎が両の手を合わせて「いただきます」と言ったので、さくらとアルマジロも「いただきます」と続けた。
料理自体もそうだが、いただきますの挨拶等も人間のそれとほぼ同じ事にさくらは少し驚いたが口に入れた料理のあまりの衝撃にそんな事はすぐに吹き飛んだ。
「なにこれ………すっごく美味しい…」
グラタンらしきものを口に入れた途端に広がる優しいくて、柔らかくて、とても暖かい味。
今まで食べたグラタンとは比べ物にならないくらい美味だった。
というよりも、これはさくらの知っているあのグラタンでいいのだろうか、とさくらは小首を傾げた。
「せやろせやろ〜。僕、料理は得意なんですわ〜!お口に合ったのなら良かったです〜」
さくらの言葉を聞いてアルマジロは照れながらも得意気に言った。
「あの…この料理ってなんですか?今まで食べた事無い味がするんですけど…」
さくらの問いにアルマジロはふふ、と笑って答えた。
「そらそうですわ。さっきお師匠さまが言うてはったように、この空間にはお嬢はんが今まで生きてきた中で経験してないような事がぎょうさんあるさかい。この料理も、名前はないし、きっとお嬢はんが生前過ごしていた人間界にも、この料理はないと思いまっせ〜」
佐藤太郎は料理の説明はアルマジロに任せっきり、と言った感じで、ただ黙々と料理を食べ進めていた。
アルマジロの言葉にさくらは納得したようなしないような微妙な気持ちになったが、料理を食べ進める内にそんな事どうでも良くなった。
美味しい。
ただそれだけで良かったのだ。
さくらの持ち合わせている知識と語彙力だけではこの料理の素晴らしさは説明出来ないだろう。
強いて言うならば、お肉を焼いたものだと思って口に入れたらお肉よりももっとふわふわした、口に入れたら溶けてしまうような食感に、優しい甘さと程よい酸味の効いた、少しピリ辛な味のする料理。
みたいな感じだろうか。
今まで食べてきたもの、どれにも当てはまらないようなものばかりでさくらはとても楽しんで食事をすることが出来た。
口に何かを入れるのも久しぶりだった。
それがこんなに楽しく、面白く、そして優しいものである事に、さくらは心からの感謝を述べた。
「本当に美味しかったです。こんな素敵な料理まで出してくれて…本当にありがとうございました。」
深々とお辞儀をするさくらを見て佐藤太郎は食後の珈琲らしきものを口にしたあと言った。
「確かに、あの子の作る料理は絶品だ。だけど、まだお嬢さんの願いは叶ってはいないよ。お礼はその後でもいいのではないかな?」
それを聞いたさくらは安堵の笑みを浮かべた。
不思議と不安はない。
この人達ならやってくれる、そういった確信すら持てた。
「信じています。宜しくお願いします。」
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