第2話
一5年前一
まるで、真っ青なキャンバスに白い絵の具で雲を描いたかのような幻想的な空を眺めながら、さくらは自席で、この空には似つかわしくない、重い溜息をついた。
「こんないい天気の日にな〜に暗い顔してんのよっ!ほら!笑って笑って〜」
そんなさくらの背中を叩いて明るく話しかけて来たのは二条もも。
さくらの一番の親友だ。
「一条」と「二条」、「さくら」と「もも」。
名前が似ている事がきっかけとなり、二人は高校に入学してすぐに仲良くなった。
一年生、そして二年生となった今年のクラスも同じで、二人で抱き合って喜びあった。
好きな色はピンク、好きな食べ物はいちご、好きな季節は春。
誕生日も四月で、二人には共通点がとても多かった。
なんなら見た目も似ているらしく、周りからは「本物の双子みたい」と言われるのも、もう慣れたものだ。
そんな二人の唯一の相違点が、性格。
さくらはおっとりとしていてマイペースで感情の起伏があまり激しくない、どちらかと言えば大人しいタイプだった。
ももはというと、明るくハキハキした性格で、リーダーシップがあり、いつも笑顔で、周りまで笑顔にしてしまう、そういうタイプだ。
そんな、自分にないものを持っているももに、さくらは憧れていた。
「もも〜」
「ん?どしたどした〜?このもも様に話してみなされ!」
ももは自分の胸を叩いて、いつもの笑顔でそう言った。
「う〜ん…ちょっと進路のことでね…」
「えっ!まだ二年生になったばっかだよ!?もう進路の事考えてんの!?」
ももはオーバーなジェスチャーを交えてそう言った。
「まだ時間はあるんだから、たっぷり悩めばいいよ!こんなに天気のいい日にそんな暗い顔して重いこと考えてちゃ勿体無いって!」
ももはさくらの背中をバシバシ叩きながら明るい口調で言った。
「も〜痛いって〜」
さくらは笑って言った。
ももの笑顔を見ていると自然と笑顔になれる。
ももと話していると自然と明るくなれる。
そんなももが大好きだからこそ、今回ばかりは、さくらの心は沈んだまま浮かんでこない。
つい先日の事だ。
さくらとももは二人ともバスケットボール部に所属していた。
さくらは小さい頃からバスケをやっていた為か、一年生の頃から試合に出ていた。
バスケ部の中で一番上手い、と言っても過言ではない腕前だった。
それに比べてももは、普通だった。
決して目を引くほど上手くないし、かと言って特別下手というわけでもない。
要するに、並。
そんなももの将来の夢がバスケの選手だった。
「私には才能がないから、その分は練習と努力で補う」と、ももはよく言っていた。
諦めることはせずに、常に努力し続け、練習も人の二倍、三倍の量をこなすももを、さくらはずっと見てきていた。
しかし、結局一年生では試合に出る事は叶わなかった。
そして今、二年生に上がり、まだ先ではあるが、三年生引退後の事を考え始める、そんな時期。
さくらの元に、顧問の先生から大学へのバスケのスポーツ推薦の話が来た。
元々バスケは趣味で、そこまでして続けていくつもりのなかったさくらは一度は断ったが、先生も中々諦めが悪く、結局まだ決着は着いていなかった。
先程ももは「ゆっくり考えればいい」と、言っていたが、実際ももは既に、将来どうしたいかを決めている。
そして…さくらは知っていた。
それは、きっとももには無理なことを。
現在、三年生はまだ引退していないが、時期部長はももに決まっていた。
バスケの一番上手いさくらと、リーダーシップのあるももとで、かなり揉めたらしいが、結局ももが部長に選ばれた。
さくらは自分の事のように喜んだが、当の本人はあまり嬉しそうではなかった。
「私はさくらがなるべきだと思うんだけどなぁ。バスケ部内で一番上手いし…」と、ももはもう何度も口にしていた。
その度にさくらは、いかに自分が部長に不向きで、ももの方が向いているのかを力説する羽目になった。
そんな事があった矢先に、このスポーツ推薦の話だ。
ももがバスケの選手になるのは無理かもしれない。
けれど、もしかしたら、ほんの一パーセントでも可能性があるなら…。
さくらは、一縷の望みを掛けて、まず最初に先生に聞いてみた。
「あの…その推薦の話、二条さんに…っていうのは…」
その言葉を聞いた先生はフッと笑って言った。
「二条は…確かに時期部長かもしれないが…スポーツ推薦をあげられる程の腕前じゃあないだろう?」
なんとなく分かっていた事だったが、こうもすぐに、そして明確に否定されると、さくらも言葉が出なかった。
その後、さくらは推薦を受ける気は無い事を伝えてその場を去ったが、それからも何回かその話を出されては断り…を続けていた。
そんなことが続いているせいで、まだ二年生になったばかりで、皆新しいクラスメイトと親交を深めているというのに、さくらはどうも気分が乗らず、まだクラスに溶け込めていなかった。
それでも今までと変わらず話しかけてくれるももに感謝と、それとなんとも言い知れぬ罪悪感を抱いていた。
ももに励まされ、少し元気を取り戻したのも束の間。
その日はバスケ部の練習もない日だった。
放課後、さくらはまたしても顧問の先生に呼び出された。
溜息を付きながら職員室の扉を開けた。
「失礼しま〜す…」
入ると、入口からそう遠くない席に座っていた顧問の先生が手招きをしていた。
さくらは素直に従って先生の元まで行った。
「最近よく呼び出して悪いな。」
全く悪びれる様子もなく先生は口だけでそう言った。
これだから大人は嫌いだ、とさくらは腹の中で悪態をついたがそんな様子を少しも出さずに淡々と言った。
「それで、用件というのは?やっぱり推薦の…」
「あぁ、まぁ…それもそろそろ前に進めたいんだが…そうじゃなくてだな、次の試合の話だ。」
さくらは思っていたのとは違う答えが返ってきて少し拍子抜けした。
「インターハイを控えている俺たちにとってかなり大事な試合になる。」
この学校のバスケ部は去年からインターハイ、ウィンターカップと、続けざまにかなりの好成績を残していた。
それも、さくらの入部のおかげだと囁かれており、その為、さくらの元に推薦の話が来た訳だ。
「はぁ…それは分かっていますけど…何を悩んでいるんですか?」
さくらはさも不思議そうに尋ねた。
三年生の引退はまだだし、出場する選手も当然今までと同じメンバーだと思っていた。
「二条の事だ。」
突然親友の名を出され、さくらは戸惑った。
「え…ももが…どうしたんですか?」
「次の試合で、スタメンに選ばれなかったら、部活を辞めるという話をされた。」
あまりに唐突過ぎて、言葉を失う。
「…………………………どういう、事ですか…?」
「俺も薄々は気づいてはいたんだが…二条は自分が時期部長になる事に疑問を抱いている。スタメンにもなれない、試合に出られないキャプテンになんの意味があるのか、と。」
いつも明るくて、真っ直ぐで、強くて、バスケが大好きで…。
そんなももが本当は、そこまで…部活を辞めることを考えるまで追い詰められていたなんて、さくらは知らなかった。
先生の話もろくに聞かずに、さくらは職員室を飛び出していた。
後から先生の呼び止める声がしたがそんなの今はどうでもいい。
さくらは今までに無いくらい廊下をダッシュした。
教室の扉を開けると、誰もいない教室にただ一人、ももだけが窓辺で外を眺めていた。
「もも…」
ももはこちらを振り向いて笑った。
「…おかえり、さくら」
さくらは先程聞いた事を問いただそうとしたが口を開いただけで、言葉は出てこなかった。
そんなさくらの様子を見て、代わりにももが言葉を発する。
「聞いたんだね、先生から。」
いつもと同じように笑顔で話すももに、さくらは自分の目頭が熱くなるのを感じながら何とか声を押し出す。
「な、んで…なんで?もも、なんで…」
今にも泣きだしそうなさくらを見てももは俯き加減で答える。
「私ね、分かってたんだ。どんなに努力しても、どんなに練習しても、才能のある人には追い付けないって事。私さ、バスケ中学から始めたって言ってたでしょ?あれ嘘なの。本当は小学校入ったばかりの頃からやってた。」
さくらはももの話をただ聞くことしかできない。
「さくらは小学校からやってたから、他の人よりも経験があるから一年生なのにスタメンに入れてる…って、みんなそう言ってた。でも違うんだよ。経歴なんて関係ない。才能なんだよ。さくらにはバスケの才能があるんだよ。」
だんだんと、ももの声が震えてくる。
「私だって小学校からやってたよ。でも、入れなかったじゃん。結局、一回も本当の試合に出させて貰えなかった。それなのにキャプテンに選ばれちゃってさ。惨めにも程があるでしょ。試合に出られないキャプテンって何?そんなの、ただのお飾りでしょ?都合のいい存在でしかないじゃない。」
震える声とは裏腹に、あまりにも淡々と話すももをさくらは見つめる。
ももは、泣いていた。
夕陽の逆光で良くは見えないが、確かにももは涙を流していた。
ももの涙を初めて見た。
どんなに辛い練習でも、努力したことが認めて貰えなかった時も、一度も弱音を吐かずに、笑顔を貫いてきたももが、涙を流している。
「分かってたのよ。私なんかがバスケの選手になんてなれる訳ないって。でも、夢くらい…見たかった…夢は叶えるものなんて、そんなの才能のある人が言うセリフよ。努力は裏切らない?綺麗事ばっかり。努力したって叶わないものは叶わないの!追いつけないの、どうしてもっ!!」
今までずっと下を向いていたももが顔を上げた。
さくらを見つめて、ももは落ち着いた声で言った。
「ずっと…ずっと羨ましかった。バスケの才能があるさくらの事が。」
さくらは自分の足元に目線を落とす。
どんな顔をすればいいのか分からない。
「どうして才能があるのにそれを活かそうとしないのか、どうして、その才能があるのがさくらなのか…何回も思った。羨ましかったし、妬ましかった…」
目の前が霞む。
堪えきれない涙が、自分の上履きの上に落ちた。
足が震え、自分の体じゃないような感覚に襲われる。
どうしてこうなってしまったんだろう。
どうすれば、この状況に陥ることを回避出来たのだろう。
さくらの頭の中で、その二つだけがぐるぐるまわっている。
「さくらに、バスケのスポーツ推薦の話が来ていることは知ってたよ。きっと受けないんだろうなぁって思ってた。さくらは、そう言う子だもんね。」
ももが自嘲の笑いを含めて言った。
「きっと、私に悪いなぁとか思ってたんでしょ?自分はバスケ続けていくつもりなんてないのに、そんな自分がスポーツ推薦なんて貰ったら、ももはどうなるの〜?…とか、思ってたんでしょ?」
ももの言葉に何も返せない。
こんな時に、俯くことしか出来ない自分が心底嫌になる。
「…今日だってあんな事言ったけど、実際私だって将来どうするか決められてないんだよ。バスケの選手になりたい、なんてただの夢、机上の空論よ。あれは自分に言い聞かせるための言葉でもあったのに、さくらってば嬉しそうな顔しちゃってさ…どんどん自分が惨めになっていくだけだった。」
そんな事ない。
ももは惨めなんかじゃない。
そう伝えたいのに言葉が上手く口から出てこない。
「でも…私は…」
それでも、嗚咽混じりに出た唯一の言葉。
必死に紡ぐ、今一番伝えたい言葉。
「それでも、私は…ももが大好きだよ…」
やっと出た一言。
その言葉を聞いたももは涙声で叫んだ。
「私はっ…私はさくらのそういう所が大嫌いよっ!!」
それだけ言うと、ももは自分の鞄を掴んで教室から出て行った。
さくらは、追うことも出来ず、その場で泣き崩れた。
声を上げて泣いたのは何年ぶりだろう。
家に帰っても、先程のことを思い出すだけで涙が出そうになる。
「…明日…どうしよう……」
今まで、友達と喧嘩は勿論、些細な言い合いでさえ経験してこなかったさくらは、仲直りの仕方で頭を悩ませていた。
ベットの上で寝っ転がりながら考えていたせいか、それとも久しぶりに声を出して大泣きして体力を使ったせいか、はたまたその両方か…。
さくらはいつの間にか眠ってしまっていたらしく、気づいたら朝になっていた。
憂鬱の気分のまま朝食を済ませ、身支度を整え家を出た。
少し行くと、大きな十字路がある。
ちょうど信号が青になったので渡ろうとした次の瞬間。
大きなブレーキ音と、ドンッという鈍い音。
それが、さくらの聞いた最期の音だった。
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