【2-4話】
「兄さん、やっと帰ってきた!」
小さな住宅地にある平屋。居間、キッチン、寝室、小部屋と四つの部屋で構成される少々小さな家。それが僕と妹の暮らす
扉を開けて靴を脱いでいると、小部屋から妹が嬉しそうに出迎えてくれた。
「ごめん、ソラ。風紀委員の仕事が忙しくて遅くなった」
「今日は風紀委員、お休みかと思ってたけど?」
「急に仕事が入ってね。ちょっと残って作業してた」
「大変だね。お疲れ様。けど、連絡の一本は欲しかったな。何かあったんじゃないかって心配だったよ」
「その通りだ。弁解の余地もない。お腹空いたよな? ちょっと待っていてくれよ」
連絡をしなかったこっちが悪いのに、怒るどころか心配してくれるなんて。
いい子だ、ホント。
「いつも出迎えありがとうな、ソラ」
「~~♪」
頭を撫でてやると、ソラは喉を撫でられる猫のように嬉しそうにする。こういうところは、やっぱり子供だ。
僕の家は、僕とソラ――
三年前……僕が十五歳、ソラが八歳の時に両親が死んだ。交通事故だった。
車で家族旅行に行った時のことだ。高速道路で逆走してきた車に追突して僕の両親は死んだ。僕はその時、定期考査の勉強で旅行に行かなかったために無事だったが、ソラはそうではなかった。命は取り留めたものの、背中に大きな重症を負った。
どうして僕だけが無事で、両親は死んでしまったのか。どうして何も悪くないソラが手術を受けているのか。悪いのは、サービスエリアから逆走してきた相手の車のはずだろう。
手術室の前で、泣きながら考えたものだ。
だが、ソラは今、こうして生きてくれている。僕の目の前で幸せそうに笑顔を見せてくれている。
七個下の妹が生まれたとき、両親は妹に「希望の空」と書いて「
当時七歳だった僕はそれをどうかと思ったものだが、今は両親に深く感謝している。
ソラだけが、僕の希望。両親が守ってくれた、大切な妹だ。
もう絶対に危険な目には遭わせない。ソラは僕が守っていく。
「兄さん、わたしも料理を覚えたい!」
「どうしたんだ急に?」
テーブルで対面して、食事をしていると、ソラが急にそんなことを言ってくる。
「だって兄さん、いつも大変そうなんだもん。わたしの方が帰ってくるのは早いんだし、わたしが作れたら兄さんもちょっとは楽になるでしょ?」
おぉ……! マイシスターよ。なんて純粋で兄想いな心の持ち主なのだ!
「そりゃそうかもしれないけど、ソラはソラで友達と遊んだりとかしたいんじゃないの?」
「遊ぶときは遊びに行くけど、何もない日はどうせ家でやることないんだもん。だったら料理していた方が寂しくないし」
う。やはり寂しがらせてしまっていたのか。責任を感じる。
「けど、ソラにはまだ包丁は早いんじゃない?」
「そんなことないよ! 家庭科の授業で包丁くらい触っているし、わたしだって野菜の一つや二つくらい簡単に切れるんだから!」
「じゃあ今度、かぼちゃでも切ってもらおうかな」
「……兄さんのいじわる」
ぷくっと頬を膨らまし、拗ねるソラ。十一歳にしては大人びてしっかりしたところがあるが、こういう仕草は年相応。まだまだ子供だ。
「悪かったって。よし、分かったよ。今週の休日に簡単なモノを一緒に作ろうか」
「本当に!? やったー!」
横で結んだ髪が拍子に揺れるくらい、ソラは万歳して喜びを表現する。僕はそれを笑って見守った。
「これで、兄さんのお手伝いができるし、」
「あんまり気負いすぎなくていいんだぞ? 別に僕は大変と思ってやっているわけじゃないんだから」
「苦手な食べ物も料理から取り除けるよ!」
「おい」
我が妹、割と策士であった。
「ちゃんとバランスよく食事を取らないと成長できないんだぞ? ほら、今だってそれを残そうとしている。ちゃんと食べな」
「だって、ピーマンって苦くて好きじゃない……」
「だからできるだけ苦味を感じさせないためにわざわざ肉詰めにしているだろ?」
「そうだけどーー」
ソラはピーマンの肉詰めを嫌そうな顔で眺める。この年の女の子って、ピーマン嫌いな人が多いよな。
「……これって、作るの大変なの?」
「え?」
「ピーマンの苦味消したり、お肉を詰めたりして調理するの」
「うーん。それほど大変ではないけど、普通に作るよりは時間がかかるかな」
僕がそう言うと、ソラは苦そうな顔は保ちながらも、やがて箸でピーマンの肉詰めを掴み、勢いよく口に放り込んだ。
「……」
「……」
「……美味しい」
「でしょ?」
ソラの苦そうな顔が変化していく。
「よく頑張ったな、ソラ。偉いぞ」
「えへへ。ありがとう、兄さん。やっぱり兄さん、すごい」
ソラは嬉しそうに笑う。僕は心がほんのり温かかった。
多分、「せっかく兄さんが手間をかけて作ってくれたんだから」とでも思ったんだろう。兄に対してそんなに気遣わなくてもいいとは思うが、それでも僕は妹の持つ優しさを嬉しく思った。
「(ソラはやっぱり、僕の希望だ)」
この子がいるから生きていける。自分を見失わずにいられる。疲れが癒される。
ソラこそがまさに、天使だ。
どこかの胡散臭い堕天使なんかとは全然違う。
僕は、この子のことを守っていこう。できればずっと。少なくとも、ソラが独り立ちできる時まで……。
妹との穏やかなひと時に、僕は家族の温もりを感じながら食事を食べ進める。
今日あった出来事を忘れてしまえる程に、幸せだった。
*
……が、忘れかけていた嫌な出来事は、次の日のホームルームで強制的に思い出されることになった。
「受験も差し迫ったこの時期だが、新たにうちのクラスに転校生が入ることになった」
担任の先生が生徒にそう伝えると、教室はざわついた。
「この時期に?」「可愛い子だといいな!」「どんな人かな?」「エスカレーターで大学に進むのかな?」「うちに編入なんて超優秀じゃない?」等々。
そんな期待や疑問が入り混じった生徒たちに対して、静かにするよう先生が制し、「入ってください」と教室の外にいる生徒に呼びかける。
教室の扉が開き、優雅に歩いてきたのは、女子生徒だった。
整った造形のごとき容姿、女性らしい魅惑の体つき、余裕のある笑みを含めて、白銀色のロングストレートをなびかせながら、転校生は登壇した。
「はじめまして。本日よりお世話になります、
そこに立っていたのは、一見すると美人な帰国子女。
しかしその実態は、掴みどころのない上位の存在。この世界をぶち壊そうと画策していた……
悪魔のような堕天使だった。
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