プロローグ 2 惨劇

 粗末な小屋の、粗末な木のテーブルに次々並べられていくごちそう。それを前にした葉太は、照れくさい気持ちで頬をかいた。

 

「なあ、リルファ。やっぱり俺もなんか手伝うって」


 腰を浮かせながら台所にいるリルファに声を掛ける。

 リルファは笑顔で首だけひねって振り向いた。

 

「いいんです、今日は葉太さんのお誕生日なんですから」

「誕生日っていっても、メスティラとリルファが勝手に決めただけだし……」

「この前も言いましたけど、転生した日だって立派な誕生日ですよ。葉太さんの元の世界とここじゃ暦が違って正確にはお祝いできないんですから、しょうがないです」


 メスティラとリルファにはこの世界に来るまでの経緯はすべて話してある。本来この世界の住人ではないこと、妙な図書館経由で転生してきたこと。

 

「だからってなぁ……ただでさえ居候させてもらってるのに」

「あ、また居候って言いましたね!? やっと最近言わなくなってきたと思ったのに」


 リルファは笑顔を引っ込めてこちらに向き直った。

 

「今日で一緒に生活初めて1年になるんですよ? まだ私たちのこと家族だと思ってくれてないんですか?」

「いや、思ってるけど……それは2人が優しいからそう思わせてくれるだけで、普通だったらいろんな意味でよそ者の俺に、ここまでよくしてくれないと思うしさ」


 それを聞いたリルファはしたり顔でうなずいた。


「そうですよ、私たちは優しいんです。それでいいじゃないですか。他の人だったら、なんて考える必要ありません。たくさん優しさに甘えて、その分たくさん感謝してください」


 葉太は苦笑して頭をかいた。

 

「まあ、そうだな……」


 リルファには敵わない。それはこの1年通してずっとそうだった。

 葉太はあまり明るい性格ではない。どちらかといえば悲観的で、いいことが起きたら悪いことが起きると思うし、いい人には裏があると考えるたちだ。

 それをリルファはこうして、有無を言わさない形でポジティブなスパイラルに引きずり込んでくる。おかげで葉太も以前よりは少し、前向きに考えられるようになった。

 

「メスティラさん、遅いですね」


 リルファはまた新たな料理を机の上に乗せながら、思い出したように首を傾げた。

 

「そんなに見つかりづらいものなのか? 不撓の雪花ってのは」

「そうですね。誕生日に贈られると不老不死になる、なんて伝説があるくらいですから。そこら中に生えてたら誰も死ななくなっちゃいます」

「そんなに苦労して探してくれなくてもいいのに」


 1度死んで、さらにもう1度死を覚悟させられたせいか、今ではそれほど死に対する恐怖というものはなくなっていた。


「そう言わないでください。メスティラさんだって、口数が少ないなりに葉太さんのこと大切に思ってることを伝えたいと思ってるんですよ」

「ちゃんと伝わってるんだがなぁ……」


 本当に2人にはよくしてもらっている。

 この恩をどうすれば満足に返しきれるのか、なんて考えようものならリルファはまた「貸しを作った覚えなんてありませんから」なんて言って怒るのだろう。

 

「あとは温め直すとおいしくなくなってしまう料理なので、メスティラさんが戻るのを待ちましょうか」

「うん、その方が――」


 葉太がうなずいて同意しようとしたそのとき、不意に小屋のドアが開け放たれた。

 「おかえり」の声をかけようと振り向いた2人は、しかしそこにメスティラの姿を見ることはできなかった。

 

「――まさか、ここがそうなのか?」


 小屋の入り口に立っていたのは、きらびやかな軍服を身にまとった長身の男だった。

 

「誰だ、お前は」


 葉太が警戒心もあらわに立ち上がる。

 男はそれを無視して戸外へ振り返った。

 

「おいイカルズ、早くしろ」

「申し訳ございません、聖将」


 外から野太い男の声と、何かを引きずるような音が聞こえてきた。

 

「……聖将?」


 訝しむような声を上げたのはリルファだった。

 

「聖将ってまさか、『守護者』の指揮官の……?」

「なんだ? 山猿も私を知っているのか?」


 嘲弄するように言って肩をすくめる男。

 リルファは動揺して口を半開きにしていた。

 葉太も話には聞いたことがあった。この国には王国の治安を守る部隊があり、それに所属するものは俗に『守護者』と呼ばれる、と。この男がその指揮官だというのか。

 

「すみません、お待たせいたしました」


 そんな声とともに姿を現した大柄な男を見て――否、男が引きずっていたものを見て、リルファが声にならない悲鳴を上げた。

 

「――メスティラさん!!」


 引きずられていたのは、腹部を鮮血に染めたメスティラだった。

 

「その反応、本当にここがこいつの住処なのか。まったく、宝物を隠し持った魔女がいるなどという噂に踊らされて来てみれば……期待外れもいいところだな」


 葉太は動揺に目を見開く。

 リルファは口をパクパクさせながら声を震わせた。


「何……なんで……! 何をしたの!?」


 聖将と呼ばれた男は、ハエの羽音をうざがるように目を細めてリルファを見た。

 

「誤解しないでくれ。私たちは重傷を負ったこの女性をたまたま見かけて、ここまで運んできたんだ。この負傷と我々は無関係だ」

「嘘つかないで! この森にはメスティラをこんなにできる人も生き物もいない!」


 リルファの怒声に、男は肩をすくめて微笑した。


「何事も疑ってかかるのはよくないぞ。それに、私に食ってかかる前にやらないといけないことがあるのではないかな?」


 男が指を振って背後の男に指示すると、大柄な男は1歩前に進み出てメスティラを小屋の中へ放り投げた。

 

「……ぁ、が……」


 メスティラの声から吐息のような声がかろうじて漏れた。生きている、そう断言するのがはばかられるほど、その体は死に近い状態にあった。

 葉太とリルファが慌てて駆け寄って抱き起こす。

 

「メスティラさん、メスティラさん……! しっかりしてください!」


 リルファが必死に呼びかける中、葉太は唇の青くなったメスティラを呆然として見下ろしていた。

 何が起きているのかわからない。目の前で起きていることが信じられない。

 1年前にさっそうと現れて自分の命を救ってくれた人間が、今まさに命を落とそうとしている。

 ――死ぬのなんて大したことではない。

 平坦でつまらない物語に打たれるピリオド。あの取るに足らない大きさの黒い点。死の意味なんてその程度だと、一度死を経た葉太は感じていた。

 だというのに、今目の前で見ている「死」は自分の知っているそれとはまるで違っていて――。

 温かな思い出が、与えられた優しさが、こんなにも死の意味を変えるとは思っていなかった。

 

「住処がどこにあるかさっさと言ってもらえればそこまで時間もかからなかったのだがな。探している間に随分と衰弱してしまった。もう手遅れだろうが善処してくれ」


 冷たい笑みを浮かべて言った男が、思い出したように腰に差していた銀の杖を抜いてみせた。上端に鏡のように光を反射する多面体のついた、メスティラの長杖。


「この杖は危険物かもしれないので回収させてもらう。では、あとは頑張ってくれ」


 男はそれだけ言い残すと、おもむろに踵を返した。

 

「っ……!」


 葉太は間欠泉のように湧き上がってきた怒りに突き動かされて立ち上がる。

 

「――だめ、葉太さん! メスティラさんの手当てしないと!」


 リルファの悲痛な声に葉太の足が止まる。

 男たちは葉太たちへの興味など欠片もないとばかりに、歩調を緩めることなく小屋を去っていく。

 

「薬草探してきます! 葉太さんは止血お願いします!」


 リルファは叫ぶように言って立ち上がり、小屋の外へ駆け出していく。

 その場にはメスティラと葉太だけが残された。

 

「よう……た……」


 風の音のような声が葉太を呼んだ。

 葉太はすぐさま再びメスティラの脇にひざまずいて声をかける。

 

「待ってろ。今止血を……」


 葉太が言っている途中で、メスティラは首を振ってそれを遮った。

 

「リルファに、これを……」


 メスティラは握っていた右の拳から何かをこぼした。

 それは、コインほどの大きさの鏡のようなものだった。

 

「これは……?」


 メスティラは葉太の疑問には答えず続けた。

 

「それと……あの杖……本当はあの子の……」

「杖……? 杖ってあの杖か?」

「取り返して、あの子に……」


 もはやそれは会話ではなかったのかもしれない。

 とうに死んでいたはずの体が、使命感に突き動かされて言葉をつむいでいたにすぎないのかもしれない。

 

「よう、た……誰も憎んじゃ……いけない、よ……」

 

 それを裏付けるように、言うべきことをすべて言ったメスティラの体は、そのままぴくりとも動かなくなった。

 

「メスティラ? メスティラ……!」


 葉太は恐怖に体が凍りついていくのを感じながら、メスティラの体を揺り動かす。

 しかし、メスティラがそのまぶたを上げることは二度となかった。

 

「っ……!」


 葉太はただ、唇をかみしめて嗚咽をこらえることしかできなかった。

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