チート図書館使いの他称魔王、仇の守護聖将を討つ~どっちが魔王だ外道共!~

明野れい

プロローグ

プロローグ 1 邂逅

 早く続きを読みたい――その気持ちが自分自身の物語に刻まれる最後の一行になるなんて、欠片も思っていなかった。

 

「危ない!」


 通っていた高校からの下校途中。横断歩道を渡っていた草薙くさなぎ葉太ようたは、女性のそんな叫び声を聞いて手元の電子書籍端末から顔を上げた。

 声を発した女性と目が合う。つまり、女性の声は葉太に向けられていた。

 

「――え」


 その意味を理解するのと、全身を衝撃が襲うのは同時だった。

 何かが割れ、折れ、砕ける轟音とともに、葉太の体が宙を舞う。

 それとともに、葉太の手から離れた電子書籍端末も高々と空を泳ぐ。

 葉太の眼下では、窓の割れた大型トラックが急ブレーキをかけていた。

 

「あー……」


 死ぬ。

 葉太は引き伸ばされた一瞬の中で理解した。

 意識が遠のいていく。

 魂が抜け出ていく。

 命がこぼれ落ちていく。

 そんな実感を覚えていながら葉太が実際に取り戻そうと手を伸ばしたのは、しかし読みかけの小説が入った電子書籍端末だった。

 

----------


 古びた紙の匂いがした。

 ゆっくりと目を開けると、まず目に入ったのは遥か彼方にある天井だった。


「Good morning?」


 そして耳に届いたのはそんな言葉。体を起こしてみると、葉太は自分が寝ていたのが長テーブルの上だということに気づいた。

 そしてそのテーブルの一角にある椅子に、紳士然とした格好の男が座っていた。

 白人――かどうかは定かではないが、少なくとも日本人ではない。男の視線は手元の本に注がれている。

 周りを見回した葉太は、その場所が何であるかすぐに理解した。

 図書館だ。ただし、尋常ではない広さと、尋常ではない高さを誇る図書館。

 ぐるりと一周見回してみても、どこにも果てが見えない。

 天井も少なくとも普通の建物の5階分くらいの高さがある。あるいはそれも目の錯覚で、もっとずっと遠くにあるのかもしれない。

 男は本から顔を上げて葉太の方を見た。

 

「你早?」

「は?」


 中国語らしき発音で男が何か言う。

 理解できなかった葉太が眉間にしわを寄せると、男は続けて口を開いた。

 

「おはよう?」

「…………」

「안녕?」

「……いや、おはようであってる」


 葉太の母国語を探っていたのだと理解し、葉太はうなずいて答えた。

 

「日本人か」


 男は読んでいた本を閉じると乱雑に机の上に放り出した。そしてどっかりと椅子の背もたれに体をあずける。

 

「君は本に選ばれた。――いや、君が本を選んだと言えるのかもしれないが」


 男はさぞどうでもよさそうに言った。


「なんの話ですか? ……そもそもここはどこですか?」

「有り体に言えば異世界だ。君のいた世界とは別の世界。厳密に言えば、この図書館はその異世界と接続された亜空間だが」

「異世界?」

「まあ引っ越しをしたと思えばいい。ある家から隣の家に引っ越した。その隣の家の敷地内にある家屋と別の建物がここ。我々にしか立ち入れない仮想空間」

「引っ越した……」


 葉太は直近の記憶を掘り起こし、その衝撃的な体験を思い出して背筋を震わせた。

 

「俺、は……」

「死んだ。死んだとも」


 男は葉太の思考を読んだように言う。


「そしてここの本たちが君を、君の魂を求めて転生させた。この異世界の住人として、この図書館の利用者として」


 そして、腕を軽く広げて辺りに広がる本棚の海を示してみせた。

 

「わけがわからない」

「わからなくていい。人間に生まれてきた意味なんてないのだから、転生するのにも意味はいらないさ」


 飄々とした男の態度に、葉太はますます困惑を募らせる。

 

「あなたは?」

「私? 私も君の同類だ。私は空だったこの図書館に招かれてここにやってきた。私がこの本たちを集めたんだ。そしてこの本たちが君を求めた。図書館は本を集める私を欲し、私は本を欲し、本が君を欲した。至極単純な話だろう?」

「いや、正直混乱しすぎて何に驚くべきなのかもよくわからない……」


 そもそも自分は生きているのだろうか。

 転生、というからには生まれ変わっているのだろう。しかしこんな無限に広がっているかのような非現実的な図書館と、死に至る激しい痛みの記憶の両方が、これが現実ではないと声高に訴えている。

 

「なるほど。最初に目覚める場所と会う人間が悪かったのだろう」


 男は特に悪びれも同情することもなく肩をすくめた。

 そして何気なく右手の人差し指を立てると、それを指揮者のように振り下ろした。

 その瞬間、葉太の座っていた机に突如として穴が空いた。

 

「――は?」


 声を上げた直後、自由落下が始まった。

 

「はあああああああああ!?」

「安心したまえ。本来なら1つだけだが、本に選ばれた君はここにあるすべての力チートを使える。この世界で君は無敵だ。困ったらここに来るといい」


 落ちていく葉太とのどんどん距離は離れていっているはずなのに、男の声は少しも変わらず鮮明に聞こえていた。

 落下を続け、落ちてきた穴も見えなくなってきたころ――1つまばたきをしてみれば、黒い空間は突如として青空に変わっていた。


「ちょっ、おいおいおいおおおい!!」


 状況の危険性を察した葉太の悲鳴は、広い空に吸い込まれて消えていく。

 降下の終わりはすぐに訪れた。

 

 ――ガサガサガサガサガサガサガサガサッ!

 

 木の枝がクッションになってくれた。しかも、一体どんな大きさの木なのだろう、などと考える余裕すらあるほど長く。

 やがて地上に達するころには、かなりの軟着陸になっていた。無数のひっかき傷と右足首の軽いねん挫は負ったが、命に別状はない。

 

「いってぇ……って本当にでっか……」


 仰向けに雑草の上に転がった葉太は、高くそびえる大木を見上げて感嘆した。

 それからゆっくりと上体を起こすと、辺りを見回した。

 森。それ以外のに説明の思いつかない、緑に満ちた空間だった。

 

「ここがその異世界ってことか……?」


 困惑しつつもすぐに察してつぶやく。

 やはりまだ受け止めきれてはいないが、異世界でも死後の世界にしろたいした違いはない気がする。どうせこうも非現実的なことばかりなのだから。

 思わずため息をついた瞬間、背後の唸り声のような音に気づいて振り返った。

 

「…………」


 ――グルルルルッ!

 

 唸り声のような音、ではなかった。唸り声そのものだった。

 黒い体毛に巨大な体躯の、狼のような生き物が背後からひたひたと歩み寄ってきていた。

 狼と目が合う。

 狼が歩みを止める。

 そのまま見つめ合うこと数秒。

 

 ――グオオオオッ!

 

 不意打ちに失敗したと理解したらしい狼は、威嚇するように吠えて一気に大地を蹴った。

 

「――――ッ」


 葉太は悲鳴を上げる余裕もなく立ち上がり、大急ぎで大木の陰に隠れた。

 ズドンッ、という大きな音を立てて大木が揺れる。飛びかかった狼が大木に牙を立てていた。

 

「くそっ……」


 こんな形で異世界に来たのだと確信させられるとは思わなかった。

 どうすればいい。当然ただの高校生でしかない自分には、当然対抗手段などない。仮に猟銃などを持っていたとしても太刀打ちできる相手だとは思えないが。

 

『この世界で君は無敵だ。困ったらまずここに来るといい』


 不意に男の言葉を思い出す。

 そして自分が降ってきた青空を見上げた。

 

「どうやって戻れってんだよこのエセ紳士!」


 悪態ををついた葉太は、一も二もなく地面を蹴って逃走を始めた――。

 

「――げ」


 が、その第一歩目として地面についたのは着陸でねん挫を負った右足だった。

 バランスを崩してつんのめる葉太。近くにあった木にもたれかかるようにして、なんとか転ぶのを避ける。

 しかし、それは致命的なタイムロスとなった。

 

 ――グオアアアアアッ!!

 

 もはや振り返るまでもなかった。

 獣の吐き出す、生暖かい呼気が背中に吹きつける。

 死を覚悟したが、そこにもはや恐怖はなかった。

 葉太にとって、死はすでに読んだページだ。もちろん同じ物語を繰り返し読む楽しみはあるが、驚きという点では初読時には到底及ばない。

 まさかこんな短時間で読み返すはめになるとは思いもよらなかったが。

 

「……はあ」


 葉太が観念のため息をついたそのときだった。

 

 ――バシュンッ!

 

 巨大な空気銃で発砲したかのような乾いた音が森に轟いた。それに狼の甲高い悲鳴が続く。

 葉太は驚き、背後を振り返る。

 迫っていた狼の影はそこにはなく、首を動かして見てみれば、右にかなりずれたところに漆黒の体躯が転がっていた。

 狼はすぐさま体勢を立て直し、自分を吹き飛ばした何かの出処へ視線を向ける。

 しかしその途端、瞳の獰猛な輝きが毒気を抜かれたように消え失せた。

 人間が舌打ちするように短い唸り声を上げると踵を返し、そのままその場を去っていく。

 

「大丈夫かい? 少年」


 狼の視線が向けられていた方向、すなわち葉太にとっての左側から、しわがれた女性の声が聞こえた。

 顔を向けてみると、そこには2人の人影があった。

 狼に向けていた銀色の長杖を下ろした老婆、そして赤みがかった長髪の美しい、葉太と同い年くらいの少女だった。

 老婆の名をメスティラ、少女の名をリルファといい、葉太はしばらくの間、彼女らの世話になることになる――。

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