第4話 俺は魔王じゃない

 葉太が男の視線を黙って受け止めていると、男は唐突に何かを思い出したように目を見開いた。

 

「悪魔……いや、ちげえな。聞いたことがある。冒険者や騎士が魔物を狩っているときに突然現れ、1人で全員を相手取り、圧倒する男……通称、魔王」

「まあ、俺のことなんだろうな。その呼び方は不本意極まりないが」


 何より「王」という言葉が気に食わない。

 葉太は魔物たちの上に立つ気など毛頭ない。ただその姿に人間との違いがあるというだけの理由で、当たり前のように傷つけられる彼らに手を貸しているだけだ。

 当然魔物を束ねて国を興そうだなんて、微塵も考えていない。

 

「『守護者』の一団がやられたって話も聞いた。それもかなり上位の部隊が、だ。次々と異なる異能を繰り出されて、傷一つ付けられずに敗走したとかなんとか。敗北の言い訳に都市伝説を持ち出したんだとばかり思ってたが……」


 葉太は記憶を手繰って、それらしき戦歴を引っ張り出す。


「ピュリエル平原のあれか? あれは多少骨が折れたな。何しろ途中で魔物を人質に取られたからな。どっちが悪魔やら魔王だかわかったもんじゃない」


 肩をすくめる葉太を見て、男は両手を上げて盛大に溜息をついた。

 

「今更言うまでもないが、降参だ。二度とこんな真似はしねえし、有り金だって全部くれてやる。だから見逃してくれ」


 葉太はまぶたを下ろして首を横に振った。


「そんなものはいらない」


 葉太が言った。男は緊張したように喉を鳴らす。

 

「そんなに俺の首が欲しいのか? やっぱりてめえの方が悪趣味だぜ」

「お前の首なんて犬も食わない」

「……じゃあ何がお望みだ?」


 葉太はまず、呆然と地面に座り込んでこちらを見ている少女を指さした。

 

「要求は2つ。まず彼女に謝れ」

「もう一つは?」

「いいからまず謝れ」


 有無を言わさずにらみつける葉太。男は渋面でうなずいた。

 

「……わかった」

「俺の故郷に最大限の誠意を示す、土下座という謝り方がある」

「どうやればいい?」


 男は完全に無駄な抵抗を諦め、一刻も早くこの悪夢から覚めたい一心で自分から葉太の指示を仰ぐ。

 

「まず彼女の前まで行ってひざまずけ」


 男は屈辱的な要求に歯噛みしながらも、言われた通り少女の目の前に膝をつく。

 少女は困惑の表情で、目の前の男と葉太との間で視線をさまよわせていた。

 

「そのまま尻を落として座る。そうしたら頭を下げる。額が地面につくまで」

「くっ……」


 悔しげな声を漏らしながらも、ここでたてつくことの意味を知らない男ではなかった。

 言われた通り、黙って森の土に額をこすりつける。

 

「すまなかった」

「謝罪が軽い」

「……申し訳ございませんでした」

「何について謝ってるか具体的に」

「性的な暴力をふるおうとして、本当に申し訳ございませんでした」

「顔を上げてよろしい」


 体を起こして立ち上がった男の、恥辱によって深いしわの寄った額から土がポロポロと落ちていく。

 

「2つ目の要求についてはそう身構えるものじゃない」

「なんだ」


 仏頂面で言う男を横目に、葉太は手振りでラブリスを呼んだ。

 

「こいつに例の神話を」

「了解でーす」


 ラブリスが応じて『Leaves』を差し出すと、画面から光が飛び出す。

 その光は、今度は葉太を包むのではなく手のひらに収まった。光がまとまり、葉太の手の上で直方体をかたどっていく。

 気づけばそれは、1冊の本の姿をとっていた。

 

「お前の扱う『MYTHALY』の原典となる神話だ。貸与期間は1ヶ月。過ぎれば自然に返却される。それまでに読め」

「……なんでそんなことを要求する」


 怪訝そうに目を細める男。葉太は愚問だと言わんばかりに笑った。


「ただの趣味だな。それが俺がここに来た理由であり、強力な『MYTHALY』を使わずにあえてお前の『MYTHALY』を見極めてから倒そうとした理由だ」

 

 もっとも、見極めてから一発で確実に倒すということについて言えば「反動」を回避したかったという理由もあるが、わざわざそれを言う必要はない。

 男は怪訝そうに眉をひそめた。


「……趣味だと?」

「そうだ」


 だから葉太は善でも悪でも、正義の味方でも魔王でもない。


「1人の読書家としてただ面白い物語をすすめたい。それもあるが、それ以上に俺はこの世界の在り方が悲しい。お前らの在り方に哀れみを感じるんだ」


 葉太は肩をすくめてゆるゆると首を振る。


「この世界には物語を知らないやつが大勢いる。しかも自分の持っている力にまつわる物語を読んだことがないどころか、その存在すら知らないやつがな」

「別に困りゃしねえよ」

「物語は人の心を豊かにするものだ。困らないからといって豊かさの追求を捨てるべきじゃない。心の豊かさとは他人への共感だ。物語からは共感が得られる。それが自分と共通点を持つものの物語ならなおさらだ。例えば持っている力という共通点を、な」


 男は黙って葉太をにらむ。葉太は諭すように静かにうなずいた。

 

「お前らの弱者をいたぶる野蛮はお前らのせいじゃない。他者への共感の不足だ。教育の、物語の不足だ。だから俺は蛮行に及ぶお前らに、お前らの物語を与えにいく。それがお前らの心を育み、無意味に魔物を襲う者を減らし、ひいては世界を平和にする。そのために、俺はお前らの『MYTHALY』を特定してから倒すことにこだわる。己の力を知るための物語を貸してやるためにな」

「……はんっ、世界平和ときたか。耳が腐る戯言だな」

「確かに戯言かもしれない。だが最初に言ったはずだ。言葉は武器であり力だと。戯言もまた力だ」


 葉太は迷いなく断言して続ける。


「お前の首を絞めて言うことを聞かせて何になる。お前の何が変わる。変えなければいけないのはお前の行動ではなく、お前の心だ。唯一それをなすことができるのが、言葉であり、物語なんだ」

「…………」

「だから読め」


 葉太が男に差し出すと、男は口を半開きにして首を横に振った。

 

「わけわかんねえ野郎だ……」

「それがわかるような人間になれ」

 

 男は差し出された本に手を出そうとしない。

 葉太はそれを見て大きなため息をついた。

 

「何か勘違いしてないか? いいか、さっきも言ったがこれは要求だ。お願いじゃない」

「…………」


 急に冷たさを増した葉太の口調に、男は身を固くした。

 

「読め。読んで変われ。お前にそれ以外の道はない」

「無茶言うな。俺はこういう人間だ」

「……まだわからないのか? 俺は世界平和を目指しているが、徹頭徹尾、無血で成し遂げられるなんて甘い考えは持ってないぞ」


 男はじりじりと増していく葉太の圧に、思わず喉を鳴らして1歩下がる。

 葉太はゆっくりとまぶたを下ろして嘆息する。

 

「お前が変われないなら、お前がまた俺の手を煩わせるような蛮行に及ぶのなら――」


 言って目を見開き、氷の刃のごとき視線で男を射すくめる。


「――次こそ俺は、躊躇なくお前を殺すぞ」

「……っ」


 男が息を呑む。そして震える自分の手を見つめて、続いて打ち震える体を見下ろす。それで男は、自分の全身が本能的な恐怖にわなないていることを自覚した。


「そう怯えるな。脅すのは本意じゃない。きっと真剣に物語に触れればお前だって変われる。俺はそう信じてる。だから読め。さもなきゃお前は変われない。このままではまた人を傷つけ、俺に殺されるのがオチだ」


 葉太は肩をすくめておどけてみせた。


「ま、つまりは――Dead or Readってところだな」

「……クソ、本物の魔王だよ……てめえは」


 強がるように言う男の顔は、しかし恐怖に引きつっていた。

 葉太は今までで一番実感のこもった「魔王」呼ばわりに、あきらめ気味に苦笑した。

 

「もう好きなように呼べ」

 

----------

 

「えー、見逃しちゃうんですかー?」


 男の背中を見送っていると、ラブリスが口を挟んだ。

 

「今回のは一発アウトでもいいレベルの外道じゃないですか? 惨殺しましょうよー、惨殺ー!」

「おねだりする子供みたいに惨殺言うな」

「でも軽いノリで人を傷つける人は軽いノリで粛清しちゃってもよくないですか?」

「よくない。心を入れ替えれば誰かの役に立つ可能性がある。誰かを幸せにする可能性がある」


 ちぇっ、と不満をあらわにしたラブリス。しかしそのまま顔に下衆な笑みを浮かべる。


「でもでもー? もしあの男がまた同じことをしようとしたらー?」

「殺す」

「はい、即答いただきました! さすが魔王様!」


 ラブリスは囃し立てるように軽快に指を鳴らして言った。


「だから魔王はやめろって」

「でもさっき好きなように呼べって」

「お前に言ったんじゃないから」

「でも『お前を殺すぞ』って言ったとき、すっごく悪い顔してましたよ?」

「そんなことはない」

「無自覚ときましたか。さすがナチュラルボーン魔王様は違いますね」

「うるせえ」


 葉太は面倒くさくなって適当に返すと、ラブリスの肩を手の甲ではたいた。

 いないと困るのは間違いないがいてもやっぱり困るという、いかんともしがたい妖精なのであった。

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