第2話 『MYTHALY』

 葉太は笑みを引っ込めると、10メートル弱の距離をおいて向かい合う男に言う。

 

「まずはその子を離せ」


 葉太の脳裏に、これから起きる「はず」だった惨状がよぎる。

 男は険しい顔付きで葉太をにらみつけた。

 葉太は一歩踏み込んでにらみ返す。

 

「この状況で、まず距離をとって何より身の安全を優先できるくらいだ。場馴れはしてるようだし、お荷物抱えたまま倒せるほど甘い相手かどうかくらい判断できるだろ?」

「……てめえも『MYTHALYミザリー』持ちか?」


 それを聞いた葉太は挑発するようににやりと笑った。


「そうだとも言えるし、違うとも言える」


 『MYTHALY』――それは、「ここでないどこかにあり得る異能」の顕現。

 

 ここではない世界の過去、現在、未来。

 そのいずれかにおいてすでに神話と化した逸話、あるいはいずれ神話となる逸話。それらに内包される奇跡や災厄を己が力とする――それが『MYTHALY』だ。

 この世界に生きるものに、ある日突然与えられる天啓の力。

 男が操る蔦も『MYTHALY』の産物と見て間違いないだろう。

 はぐらかすような葉太の台詞に、男は露骨に舌打ちした。

 

「なめてんのか、この野郎」

「正確に答えようとすると長くなる。それじゃその子がかわいそうだ」


 葉太は男の足元から伸びる5本の蔦に絡め取られた少女を見上げる。首の締め付けは窒息に至るほどではないようだが、十全な呼吸はできていない様子。

 男は葉太をにらんだままで口を開く。

 

「力づくでやってみろよ」

「言葉こそ人間の最大の武器であり力だ」


 笑みを崩さない葉太に対抗するように、男は口の端を吊り上げた。

 

「はーん? さてはできねえんだな? 蔦も切れないような、切ろうとも思えないような貧弱な『MYTHALY』使いってわけか。それでこの俺に喧嘩を売るとは笑わせる」

「間違ってはいない。全面的に正しいとも言えないが」

「……おちょくるのもいい加減にしろよ。ハッタリで切り抜けられると思ったら大間違いだぜ」


 男は強気に言うと、険しい顔つきで葉太を見据えた。


「いいか? 俺は王家直属独立遊撃治安連隊所属――つまり『守護者』だ。この王国でほんの一握りの猛者ってやつだな。今までに人も魔物も数え切れねえくらい殺してきた。悪いことは言わねえから、いきがりたいなら別の機会にしな」


 葉太は長たらしい自己紹介に呆れのため息をついて肩をすくめる。

 

「じゃあ俺のことも殺せばいい」

「……正気か?」

「もちろんだ」


 葉太は鷹揚にうなずいた。

 男が舌打ちして目つきを鋭くする。


「……何を企んでやがるか知らねえが――いいぜ。後悔するんじゃねえぞ?」


 男は少女を絡め取っていた蔦を地面付近まで下ろすと、右足に巻き付いている1本を除いてすべてほどいた。

 右足の1本は枷のつもりだろう。

 ようやく気道を解放された少女が地面を転がって咳き込む。

 葉太は口の端を吊り上げ唇をなめた。

 

「――さて」


 勝とうと思えば赤子の手をひねるよりも簡単に勝てる。しかし葉太には他に目的がある。その目的を達するためには、敵の『MYTHALY』を突き止める必要があるのだ。

 首を回しつつ、葉太が挑発的に笑う。

 

「ケチなことしてないでもっと蔦を増やしたらどうだ?」

「黙れ。てめえにはこれで十分だ」


 ――はったりだな。蔦は最大で5本か。

 男は続けて威圧するように叫ぶ。

 

「さあ見せてみろ、てめえの『MYTHALY』を!!」


 蔦が間髪入れず虚空をのたうちながら葉太へと殺到する。

 頭上、右、右下、左下、左――5方向から迫る蔦。

 葉太はそれを、迎撃するどころか避ける素振りもなくただ立って待っていた。

 

「はっ、馬鹿め!」


 男が勝ち誇るような声を上げると同時、葉太は先程の少女と同じように蔦にがんじがらめにされて宙吊りになっていた。両手両足をそれぞれ4本の蔦に縛られている。

 

「なんだ、意外と締め方が優しいんだな」


 葉太は失笑して男を見下ろした。

 男は舌打ちして右手で拳を握った。それに呼応して葉太に巻き付いていた蔦がその締め付けを強める。

 葉太は余裕の笑みを崩さない。

 

「おいおい、首を絞めなきゃ殺せないだろ? それとも蔦から触れただけで死ぬような猛毒でも分泌するのか?」

「……けっ、そのにやけ面を崩さないまま殺すのは業腹だな」


 ――これも図星か。5本の蔦、毒なし。あとは……。

 

「――よし、決めた。てめえには観客になってもらう」


 唐突な男の発言に葉太は一瞬意味をはかりかねて眉を上げる。

 しかし男の下衆な微笑みを見てすぐに理解し、ため息をついた。


「……なるほど、趣味が悪いな」

「趣味が合わなくてよかったぜ、正義の味方様。存分に不愉快な思いしてくれよな」


 正義の味方か。魔王呼ばわりも心外だがそれも違う。

 葉太は自分の信念に基づいて、魔物たちを助けているだけだ。それが善であるか悪であるかは関係ない。

 口に出すことはせず、代わりにただ肩をすくめた。

 男はそれを気にした様子もなく、かすれた笑い声を漏らした。

 

「ちなみに言っておくが、こいつがズタボロになるまでは終わんねえから覚悟しとけ」


 言い放った男は、何か考え事をするように視線を明後日の方角へ向ける。


「ああ、長くなるって意味じゃないぜ? 俺はよ、めちゃくちゃにぶっ壊すのが好きなんだ。だからこいつがぶっ壊れすぎて俺が興ざめするまでって意味だ」

「…………」


 その果ての惨状をすでに見知っていた葉太の表情から、とうとう笑みが消えた。男は嬉々として高笑いする。


「そうそう、そういう顔してくれなくちゃな」


 満足気に言った男は葉太に背を向け、ようやく呼吸の落ち着いたばかりの少女へと歩み寄っていく。

 葉太は舌打ちしてため息をついた。


「ちっ……『反動』は我慢するか」


 想像以上に下衆だったようだ。さすがに方針を転換せざるを得ない。

 向こうの『MYTHALY』を特定してから倒すことに変わりはないが、受け身はここでおしまいだ。こちらから畳み掛けよう。

 

「おい、おっさん」

「なんだ? 今更詫び入れたっておせえぞ」

「お前の母親はどんな顔だ?」


 脈絡のない質問に、男は立ち止まって振り返った。

 

「何言ってやがる、急に」

「いや、男っていうのは母親に似てる女に惹かれるって話があったのを思い出してな」

「それがなんだ」

「その子がお前の母親の若い頃に似てるかどうか気になった」


 男はその台詞につられるようにして思わず少女の顔を見てから、渋面になって舌打ちした。

 

「全然似てねえよ。気色悪いこと想像させんじゃねえ」

「本当にそうか? 全体と言わなくても、目元とか鼻筋とかあごとか、どこかしら似てるんじゃないか? よく母親の顔を思い出してみろ」

「……くそったれめ。それ以上しゃべるな」


 男は盛大に舌打ちすると、葉太の右足に巻き付いていた蔦をほどいて首の方へやった。

 少女にそうしたのと同じく、窒息はしないまでも自由な呼吸は許さないように、声を発することができないように首を締める。

 

「これから一発やろうってときに母親の顔思い浮かべさせるとか、嫌がらせの仕方が陰湿なんだよ。てめえの方がよっぽど趣味がわりい」

 

 その瞬間――待ってましたと言わんばかりに葉太が笑みを浮かべた。

 

「――ラブリス!!」


 少しかすれ気味の声で、葉太は司書の名を呼んだ。

 

Instantly脳電気信号経由で accept受諾!」

 

 声が聞こえると同時、軽やかな破裂音が鳴った。吊るされている葉太の更に遥か頭上で雲のような煙が立つ。

 

「MYTHALY Decimal Classification: 549, Title: "Withering 落葉 Beak短刀"――」


 唱える声とともに、ラブリスが上空から降ってくる。そして葉太とすれ違う直前、手にしていた電子魔導書籍端末『Leaves』を葉太へかざす。


「――Quote開け!!」


 叫んだ瞬間『Leaves』の画面がまばゆい光を放ち、葉太を包み込む。

 ラブリスはそのまま華麗に宙返りして着地した。


「な、なんだ!?」


 狼狽する男の声が響いてすぐ、光が止んだ。

 再び姿をさらした葉太は、自由になった右足の指で器用に短刀を握っていた。

 それを見た男は怪訝に眉をひそめたあと、短刀に目を留める。そしてしばらくまじまじと見つめてから、ぷっと吹き出した。

 

「くっ、ははは! それがてめえの『MYTHALY』か? おいおい冗談だろ? それで戦う気かよ。その短刀――錆びてるじゃねえか!」

「ああ、錆びてるからなんだ?」

「俺の蔦は『守護者』仲間の剣術の達人の得物を折ったこともあるんだぜ。錆びたナイフごときでどうにかなるもんじゃねえよ!」


 葉太はため息をついて目を伏せた。

 

「おめでたい頭だな。ただの短刀じゃなくて『MYTHALY』だってのに」

「はっ、錆びたナイフ振りかざしていきがっても滑稽なだけだぞ。生涯にたった1つしか与えられない『MYTHALY』が錆びたナイフってのは、いくらなんでも哀れすぎるな」


 男の愚かさに呆れ果てた葉太は問答をあきらめた。

 それから体操の吊り輪の要領で勢いをつけ、ナイフを握った右足を右腕の高さまで上げる。そして手首に絡みつく蔦にその切っ先をこするように当てた。

 

「ははははっ! こいつは傑作だ! のたうちながら錆びたナイフ使って、必死に蔦を切ろうとしてやがる! てめえ大道芸の才能があるぜ!」

「そいつはどうも」


 森に男の下品な笑い声がこだまする。

 あざ笑うように鼻から息を吐きだしつつ、葉太は自由になった右手を振って称賛の声に答えた。

 

「……あ?」


 見れば蔦は、短刀がほんのわずかかすめただけの部分を境にして見事にちぎれていた。

 蔦のその断面は、まるで枯れてしまったかのように茶色に変色している。

 

「はっ、なっ……何ぃ!?」

「本当に馬鹿だな、お前は」


 男が呆然としているうちに、うまく体の重心を動かして首、左足、左手の蔦にも短刀で傷をつけていく。

 いずれも切っ先の当たった部分はたちどころに枯れていく。やがて蔦は葉太の体重をささえきれなくなってちぎれた。

 そして葉太は軽やかに地面に着地する。

 

「な、なぜだ……その短刀はなんだ!?」


 目を点にする男に、葉太は肩をすくめた。

 

「――では、講義を始めようか」

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