第1話 妖精と『守護者』と銀翼と
電子魔導書籍端末『Leaves』から顔を上げ、草薙葉太はつぶやいた。
「……これはひどい」
机の上に『Leaves』を放り出すと目を伏せてため息をつく。
葉太の今いるあばら家にはただ木製の机とベッドがあるだけ。他には人も物もない。
しかし不意に、虚空にポンッと軽やかな音が響いて小さな雲のような煙が立つ。ふわりと広がった煙から落ちてきたのは、少女だった。
「あいたっ」
青銀の髪を肩まで伸ばした少女は、尻もちをついて悲鳴を上げた。
葉太は椅子を引いて少女の方を向くと、冷たい目で見下ろす。
「……ラブリス。毎度毎度、なんで普通に出てこられないんだ?」
「いやぁ、だって急にすーっと現れたら幽霊みたいじゃないですか」
「妖精も幽霊もたいして変わらんだろ」
「変わりますよー! 幽霊っていうのはもっとじめーっとして、おどろおどろしいドロドロのやつですよ」
ドロドロしてはいないと思うのだが。
葉太は眉根を寄せて首を振った。
少女――ラブリスは胸を張って続ける。
「妖精っていうのはポップでキュートな愛され系マスコットなんですー! だからちゃんとそれっぽい登場の仕方をしないといけないんですよ。今は軽やかに宙返りしてしゅたっと着地できるよう特訓中です!」
「……まあ、俺をイライラさせない程度に頑張れ」
「みなさんの声援が私の力です!」
まるで皮肉が通じない。だいたいみなさんって誰だ。
ため息をつく葉太。それをよそにラブリスは無理やり話題を切り替える。
「それで、今回のそんなにひどいんですか? "
「まあな」
葉太はラブリスを見る目を細め、バスケットボールを回すような要領で『Leaves』を人差し指の上で回した。
「精一杯マイルドに言って、首が折れて手足の先が壊死した全裸の少女の遺体ってところだな」
「うわぁ……」
「しかも死因は背中からの大量出血」
「えっ、首じゃなくて?」
「そうだ。背中の羽を引きちぎられたらしい。まあ全裸ってところから察するべきだな。体が冷たくなってもお構いなしに蹂躙し続けるような、魔物相手なら何してもいいと思ってる外道が犯人だ」
「うげぇ」
ラブリスは顔をしかめて舌を出した。
「早速出よう」
「え? まだ24時間はあるのにですか? ヒーローは遅れて登場するものって何かで読みましたけど?」
「俺はヒーローじゃない」
葉太が言うと、ラブリスはにやりと笑った。
「これは失礼しました、魔王様」
「誰が魔王だ。教授と呼べ、教授と」
葉太は辟易してため息をついた。
ラブリスはくつくつと笑ってうなずいた。
「ねー? 誰も殺してないどころか、救った命の数で考えたら天使と言っても過言じゃないレベルなのに」
「天使……むかつく呼び方考える天才か、お前は」
「えっへへ、あんまり褒めないでください」
やはり皮肉が通じない。
葉太はしわの寄っていた眉間を指で無理やり伸ばした。
ラブリスの暴走具合に葉太が慣れていくのと、ラブリスの暴走が悪化していくのが比例しているので、結局いつまで経っても慣れないのである。
「さて、それでは早速行っちゃいましょうか!」
ラブリスは意気揚々と言うと、ようやく真面目な顔になってうなずいた。
「葉太さん、準備はいいですか?」
「ああ」
「アー・ユー・レディ?」
「ああ」
葉太が同じように抑揚なくうなずくと、ラブリスは不満そうに唇を尖らせる。
「……アー・ユー・レディ?」
葉太は苛立ちを押し殺すようにまぶたを下ろした。
「……イエース」
「ヘイヘイヘーイ、ノッてるかーい!?」
「口剥ぎ取るぞ」
「ひぃっ、ごめんなさいちゃんとやります!」
咳払いを挟んで気を取り直したラブリスは、胸の前で祈るように両手を組んだ。
鋭く息を吸い込み、大きく目を見開く。
「MYTHALY Decimal Classification: 549, Title: "
ラブリスが唱えた瞬間、『Leaves』の画面からまばゆい光が放たれ葉太を包む。
バチバチッと雷が爆ぜるような音とともに、葉太の体が幾筋かの細い稲妻をまとう。
直後、葉太の姿はその場からこつ然と消えた。
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ルズディル王国東方の辺境にある村、リートビク。
その中心部の酒場で、大柄な男が骨付き肉に豪快にかじりついていた。
「いやー、やっぱりここの山賊焼きが一番うめえなぁ!」
大声で叫んで、木製の机の上に骨を放り投げる。
齢40手前というところだろうか。決して若いとは言えない髭面の男。
しかし筋骨隆々のその体は、歴戦の猛者の身分証明としては申し分のないものだった。
「相変わらず豪気な飲みっぷりだな。さすがはこの村出身で初にして、未だ唯一の『守護者』様だ」
その大柄な男を取り巻いているうちの1人、赤髪の男がおだてるように言う。
大柄な男は肩をすくめた。
「別にいいもんじゃねえよ、『守護者』なんて」
「でも給金はいいんだろ?」
「そりゃ王サマに雇われてんだからな。だがろくに息抜きもできねえままあっちこっち行かされて、やれ犯罪集団つぶしてこいだの、魔物狩ってこいだのとボロ雑巾みてえにこき使われまくってるんだから、まったく割りに合っちゃいねえよ」
「そう言うなって。子どもたちはみんなあんたに憧れてんだぜ」
「へっ、ひと月に1回も故郷に帰ってこれねえ仕事なんてするもんじゃねえよって言っとけ。――マスター、おかわりくれ!」
大柄な男が机の上に乗っていた空の瓶を掲げる。
カウンターの奥から初老の男が愛想よくでてきて、できたての肉料理を置いていく。
「その貴重なひと月の1回なんだ。遠慮なく食ってくれよ」
赤髪の男の言葉通り、大柄な男は肉を鷲掴みにして獣のようにかぶりついた。
「かはーっ! うまい! あとは酒さえ飲めればなぁ!」
「酒も禁止っていうのは厳しすぎるよな」
「まあしょうがねえ。今日中に王都に戻らなきゃならねえからな。バレたらクビだけじゃなくてとんでもねえ額の罰金になる」
吐き捨てるように言って木製のジョッキに注がれた水を一気に煽る。
「ちと小便してくる」
男は言って立ち上がり、大きな体を揺らして店の外へ出た。
そのまま店の裏手に広がる夕暮れの森へと踏み入っていき、少し奥まで進んでから手近な木の根に向けて放尿を始めた。
「……あん?」
男はその視界の隅に、何か薄ぼんやりと光るものを見た気がして顔を上げた。
その方向に目を凝らす。しかし何もないし、誰もいない。
目の錯覚か――と思った途端、木陰からまた淡い光が漏れた。
「……羽?」
銀色、あるいは灰色の光を放つ翼。しかも大きい。大鷲くらいの大きさはあるだろう。
しかし大鷲がこんな森の中で豪快に羽を広げているものだろうか。
疑問に思った男は小用を足し終えると、光の見える方向へ歩いていった。
距離にして約30メートル。程なくしてその木までたどり着く。
それなりに幹の太い大木を回り込み、裏にあるものを見定める。
「は――」
男は思わず間抜けな声を上げた。
それもそのはず。そこにあったのは――否、いたのは、背中から大きな羽の生えた少女だった。
腰まで伸びる金色の髪が、羽の燐光を反射して輝いている。
しゃがみこんでいた少女が男の声に反応して顔を上げると、宝石のような碧眼が男の髭面を捉えた。
「誰……?」
小さく形のいい唇がか細い声を紡ぐ。
それを聞いた瞬間、男は身震いして下卑た笑みを浮かべた。邪悪な三日月に歪んだ口は、ため息とも唸りともつかない声を吐き出す。
「こりゃたまんねぇなぁ……」
ごくりと生唾を飲み込んだ男が、躊躇なく少女に向けて太い腕を伸ばす。
「い、いやっ!」
とっさに身をよじり男の腕をかわす。
男の口元の三日月が、狂気をはらんで一層歪んだ。
「安心しろよ、こう見えて魔物相手は慣れてんだ。意外と魔物のメスってのは美形が多くてなぁ……。もちろん禁忌中の禁忌だし、全員事後にはぶっ殺してやってるが」
少女は恐怖に唇を真っ青にして、男から逃げるように駆け出す。
男は舌打ちをして指を鳴らした。
瞬間、男の足元から巨大な蔦が飛び出し、少女へと伸びる。
大木の根のような太さの蔦が少女の背後に迫る。
その気配に思わず振り返った少女の両腕、両足、そして首に蔦が巻き付いてその動きを封じた。
「がっ、あ、あぁ……」
蔦に吊り上げられ、首を絞められた少女は息苦しそうにあえぎながら身をよじる。
「ったくよぉ……抵抗しても痛い思いするだけだぜ?」
呆れたように言ったあとで、こらえきれなくなったように嘲笑を漏らす。
「ま、抵抗しなくても痛い目には合うんだがな……!」
「――はあ……まさかこんな絵に描いたような悪人が存在するとはな」
突如、呆れ返ったような声が樹上から降ってくる。
瞬時に身構えて周囲を見渡す男。
それをあざわらうように、黒髪黒目の青年が男の背後に軽やかに着地する。
「教育が必要だな」
言い放った青年は、顎を上げて見下すように男の背中をにらんだ。
「――なっ!?」
声に反応し、男は機敏に距離を取りつつ振り返る。
それを見て、青年――草薙葉太は愉快そうに笑った。
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