第2話『時ノ時劫ノ過去』
──此処は黄泉。
「…はぁー…また薊は勝手に現世行って…ったく。」
独り言を呟きながら、左手で護身用の太刀を腰にあるのを確認し、現世へと続く鳥居へ向かう。ふと風が吹き、来ていた服の袖と袴を靡かせる。門を潜ると現世の山奥に、彼はいた。
彼の名は時劫。《時ノ神》である。
「何処に行ったのやら…。とりあえず近くの村や集落で情報を得ないと。」
目を閉じ、神通力を発動させて周囲の状況を確認する。すると、更に山の奥から刃物──短い枝に鋭利な黒曜石を括り付けたモノを咥えた少女が時劫に向かって迫ってくるのを感知した。
「グルルル…!」
威嚇しながら、口に咥えた刃物を彼に向け、突進する。
「おっと。」
容易く攻撃を躱す。すると、続けて白く大きな狼が二匹襲いにかかる。
「…遥か未来に映画として出てくる『も○のけ姫』と似たような展開だな。」
再び独り言を呟き、鞘にしまった太刀を、襲いかかる狼に向かって振り下ろし、叩き落とした。
「ギャッ!」
何かが折れる音がした。二匹のうち、一匹の左前足の骨を折ったのだ。
「…ッチ…!」
少女は舌打ちをし、狼の背に乗って山奥へと消えていった。時劫は彼等の背中を見守っていた。
「…何ださっきの。突然襲ってきて。それより…。」
視線を下ろし、骨折した狼を見る。太刀を腰紐に通し、その狼の元に向かう。
『さぁ、殺せ!喰え!我等の親が復讐に向かうぞ!』
狼は時劫に意思を伝える。その顔は嘲笑っていた。
「んなことするか。大体、俺は何もしてねぇぞ。お前等が突然襲ってきたんだろうが。てか、俺は狼肉なんて食わないからな。…大人しくしてろよ。」
時劫は左手で折れた箇所を触れる。痛みが走り、狼は彼の腕を噛もうとするが、右手で狼を撫で、落ち着かせた。
「此処か。…ふぅ」
息を吹き掛ける。すると、忽ち怪我が治った。狼ははち切れんとばかりに目を見開き、彼を見た。
『貴様、どういう気だ?どうやって治した?』
「簡単なことだ、其処の時を折れる前に時を戻しただけだよ。」
『時を戻した、だと?貴様、何者だ?』
彼を睨み付ける。彼は溜息をつき、言った。
「俺は時劫。《時ノ神》だ。」
◆
「クソッ…私は彼を仕留める事が出来なかった。そのせいでお兄ちゃんは…!」
『落ち着きなさい。そう怒っていては視野が狭くなる。』
彼女は、狼の母の背に凭れ掛かり愚痴を吐いていた。それを慰めるように、狼は傍に寄って彼女の頬を舐める。
「…有難う。…彼奴、復讐してやる!絶対殺してやる!」
そう呟いたところで近くの草叢から物音がした。
「何だ?」
『…。』
其処から出てきたのは、時劫と狼だった。彼女は後退り、地面に置いていた刃物を構える。
「貴様…!」
「有難う、案内ご苦労様。」
時劫は、傍にいた狼に向かって言う。狼は頷くと、母の元に向かう。そして何かを伝えると、母は彼女に向かって言った。
『娘よ、その者は敵ではない。息子の怪我を治してくれた者だ。敵意は感じない、そうだろう?』
「…。」
『其処の者、我が息子を助けていただき感謝する。何せ、まだ若いもので敵か味方か判断出来ないみたいで。』
「そうか。」
時劫は、母の言葉に違和感を感じた。
「…気になったんだが、その子はお前が産んだのか?
『ああ、産んだのだ。昔、人間共に捕らえられてな。…《獣姦》というのかね。それをさせられたのだ。人間の雄共に。』
獣姦。人間が人間以外の動物と行う性行為のこと。
「…成程な。少し前に、彼の世でも流行っていた。神獣共が滅茶苦茶逃げ回ってたな。」
彼は苦笑した。
『彼の世でもあるのか。それは大変だな。…それで、私は子を授かった。だが、人間の子を授かったのは例外だった。』
「…っ…。」
『だから私は人間の言葉を教え、一人立ちしても良いように狩りの仕方を学ばせたのだ。もし、信頼出来る人間に逢ったとき、話せるようにな。』
「ほぅ。」
時劫は納得し、彼女を見る。一瞬目が合うも、彼女は目を逸らす。
『…そうだ、我が娘を引き取ってくれないか?私もこの身だ。いつ死んでもおかしくない。それに、我が息子の怪我を治し、無事に帰してくれたのだ。』
「…は?」
「何を言ってるの母さん!」
二人は驚く。彼女はほんの少し頬を赤らめさせている。他の狼も、
『何を言うのだ母さん!?』
『人間を信用するのか!?』
口々に反対意見を言う。
『その者は人間では無いぞ。《時ノ神》だな?』
「ああ、そうだ。《時ノ神》時劫だ。」
彼女は再び驚き、時劫を見る。彼は不敵な笑みを浮かべていた。
「……しかし…やっぱり私は…」
そう言ったところで再び草叢から音がする。
『敵だ!』
狼の一匹が草叢に飛び込む。悲鳴が聞こえた。
『…愚かな。』
母は呟く。その瞬間。シュッと風を切る音がした。
「危ない!」
彼女は母を庇う。そして、腹部に矢が刺さった。二本、三本と突き刺さる。鮮血が飛び、母にかかった。
『ッ!』
「お前、大丈夫か!?」
フラフラと倒れ込む。時劫が彼女を支える。矢は腹部を貫通していた。
『大丈夫か!?』
狼は人間が逃げ去って行くのを確認し、傍に寄る。
「…あ……わた…し……は………」
彼女はそのまま意識を失った。
『時劫殿!どうか…娘を救ってくれ!』
「あー、うん。…実はな、時戻しは一日一回までなんだ。で、あの左前足治すので使っちまったから…。」
『そんな…!』
時劫は考える。その間も、彼女の腹部から血は流れる。やがて、一つの結論を出した。
「仕方ないか。お前、ちょいとこの刃物借りるぞ。」
そう言って彼女の握っていた刃物を取り、右手首を斬り落とした。血が流れる。
『何を!?』
「此奴に俺の血を流し込む。半神になってしまうが、救う方法はもうこの一つしかない。」
『……そう、か…』
そして、時劫は彼女に突き刺さる矢を引き抜き、傷口に斬れた右手首を近づける。流れる血が、彼女の体に入っていく。すると、光が現れ、傷口を塞いでいく。
『大丈夫、か?』
「ああ、大丈夫だ。彼女は今意識を失っているだけだ。じきに目を覚ます。血を分け与えたことで、彼女は俺の兄妹になった。」
『…。』
「すまない…このような形になってしまって…。」
『良いのだ。彼女が生きてくれるのであれば…。そして、時劫殿。彼女のこと、お願いしてもよろしいか?』
「…分かったよ。彼女が目を覚ましたら言っておくよ。……そう言えば、彼女に名前は?」
『無い。どのような名が良いのか分からなくてな。』
溜息をつき、ふと思い立った名前を口にする。
「終花(シュウカ)なんてのはどうだ?終わり…死の無い、枯れることの無い花という意味で。」
『ほぅ。…終花、さらばだ。また何処かで会おう。』
時劫は彼女──終花を抱き上げ、去っていった。
その間、彼女の兄弟の狼達は彼等の背中を見守っていた。
◆
「……うん…?」
気が付くと、知らない場所で布団に寝かされていた。
「…此処は、何処だ…?これは何だ…?」
「おっと、気が付いたか。大丈夫か、痛むところはないか?」
縁側から、時劫がお粥を手に持ち、やってきた。
「あ、ああ…特に問題は………あれ、髪が白く…」
遅まきながら、左側の髪が白くなっていることに気付く。
「あー、俺の血がそこまで回っていったか。」
「…は?」
「とりあえず、腹減っただろ?お粥作ってやったから。」
時劫は小皿に少量移し終花の前に差し出す。
「…これは?」
「お粥だ。今まで肉しか食ってなかっただろ。ほら、食ってみ。」
「……どう食えば良いのだ?」
その発言に何度目か分からない溜息をつき、右手に蓮華を持たせ、掬う。息を吹き掛け冷まし、口元に寄せる。
「口開けろ。」
「…あー」
指示され、口を開ける。口のなかに入れた瞬間、
「ーっ!」
初めての味を体験する。
「んまい!」
「しっかり噛めよー。」
そう言う間に小皿に盛られた分を平らげ、差し出す。
「ん!」
「…そこはおかわりと言うんだ。」
「おかわり!」
「はいはい。」
小皿を受け取り、再び盛って渡す。
あっという間に完食する。
「ふー…で、これは一体どう言うことなんだ?」
「…ごちそうさまは?」
「ごちそうさま。…で?」
「…はぁー、長くなるぞ。」
其処から彼は説明した。怪我を治すために自身の血を分け与え、兄妹になったこと、母が時劫に彼女を任せたこと、そして終花と言う名前がつけられたことを。
「…つまり、私は今、半神…ということか。」
「そうだ。…すまない。」
「あー、いいんだ。ところで此処は?」
「此処は黄泉。言わば、彼の世だ。」
そう言った途端、布団から抜け出して外を見る。明らかに今まで居たところではないのを確認する。
「成程…此処が彼の世…。」
「…とりあえず、着替えよう。いつまでもその服でいるわけにはいかないだろう。」
彼女の服は、獣の皮で出来ていた。丈が短く、今にも股が見えそうになっている。
「私はこの服でいいが。」
「あのなぁ、そう言う問題じゃないよ。さ、此方来て。」
「…はぁーい。」
不機嫌そうな顔を浮かべ、時劫の元に向かった。
◆
月日は過ぎ、今から千年前になる頃。
すっかり終花は時劫に懐き、俗に言うブラザーコンプレックス──ブラコンになっていた。
「ねーお兄ちゃん、この服買ってー。」
「この前服買ったばかりだよね、我慢しな。」
「えー、ケチー。」
地獄道の花街で買い物中、いつもの駄々こねを軽くあしらったところで、鳩が新聞を渡してきた。
『閻魔大王、遂に引退す!後継ぎ問題!』
その記事が大きく見出しに取り上げられていた。
「…ん?」
本文を読んでいると、ある文が目に留まった。
『…閻魔大王によると、次の代は《時ノ神》の妹であり、半神の終花に任せるとのこと。十王庁中で反対の意見が出ているものの、強行する予定。代替わりの儀式は…』
「…は?」
足に縋り付く終花を見る。
「どうしたの?」
「お前、閻魔大王になるの、知っていたのか?」
「え、知ってるよ。この前手紙来たから。勿論、お兄ちゃんから離れたくないから拒否したけど…。」
新聞を見せる。
「…お兄ちゃん、閻魔庁に行こう。抗議しなくちゃ。」
ドスのきいた声で言った。
「あ、ああ…。」
「……あのト○ロ擬きめ…。」
そう呟いたのを、時劫は聞き逃さなかった。
「頼もーう!閻魔大王!どういうことじゃコレはー!」
閻魔殿の扉を勢いよく開ける。
「あー、終花ちゃん。閻魔大王お願いね。」
軽い口調で、閻魔大王は終花に帽子を被せる。
そして、其処等中から拍手が響き渡る。
「…え、は?」
「……終花、新聞最後まで読もうね。」
再び新聞を見せる。
『代替わりの儀式は、終花が閻魔庁に来次第行う。』
「…。」
「じゃあ、よろしく。終花ちゃん。」
閻魔大王の証である帽子を被せられ、拍手を受け。
終花は閻魔大王となったのだ。
それと同時に、妹のブラコンに悩まされていた時劫は解放され、薊と共に《箱庭》を作り始めたのである。
了.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます