VOL.3

 翌日、午後10時である。

 

世田谷の経堂。


 高級住宅が並んでいる中では、それほど大きくもないが、かといって決して粗末でもない。


 清水邸の門の前に俺はいた。


『本当に彼女、出てきますかね?』

 

 運転席から俺に声をかけてきたのは、タクシー運転手の『ジョージ(仮名)』である。


 彼とはもう長年の付き合いだ。


『黙ってろよ』


 俺が言うと、彼は何も言わずに首をすくめた。

 え?

(何で自分で運転しないんだ)って?


 俺だってこう見えても一応自衛隊にいたんだ。


 免許だって持ってないわけじゃない。


(内訳は、普通自動車、大型二輪、第一種大型免許ってところかな)

 

 だが、人に自慢できるほどのテクがあるわけじゃない。


 従って尾行でどうしても車の運転をする時には、いつでも彼に応援を頼むんだ。


 勿論プロの仕事だ。


 ちゃんと料金は払う。


 問題は警察に見とがめられないか、それだけだ。


 何しろ住宅街だからな。

 

 どこも駐車禁止で、ちょっと駐めているだけで近所からの通報がいって、お巡りがすっ飛んでくる。


 幸いなことに、この日はさほど待つまでもなく、清水邸の門が開いた。


 しかし、俺は出てきた彼女の姿を見て仰天した。


 昨日までのあの和服姿の清楚な奥様、清水ますみの姿はどこにもない。


 黒いレザーのコートに、下にはド派手な紫色のワンピース。髪を下ろし、化粧も派手で、同じ人物とは到底思えなかった。


 彼女は俺たちの車の方には目もくれず、まっすぐ大通りの方に向かって歩き、

そこでタクシーを拾った。


『セントラル無線だな。ありゃあ、ライバル会社ですが、電波は拾えますよ』


ジョージが目を輝かせる。


彼は無線マニアだ。


車中にはいつも小型のトランシーバーを携帯していて、空中に飛び交う電波を拾って傍受するのを趣味としている。


 あまりいい趣味とはいえないが、こっちもそれを時たま仕事に利用させて貰っているから、偉そうに忠告もできないのだ。


 彼女の乗ったタクシーは、まっすぐに渋谷に向かった。

 

その間もトランシーバーからは、ひっきりなしに彼女が携帯をかけている声が入ってくる。


 彼女・・・・いや、それは彼女の声であって、明かに彼女ではない。


 別の誰か・・・・そう、もっと別の誰かの声としか思えなかった。


(はい、あたし?え?道玄坂のホテル〇〇?いいわよ。お客はどんな人?やだ。またマザコンなの?まあいいわ。はい、それじゃね)


『ジキルとハイドだな、まるで・・・・』


『え?なんです?』ジョージが言った。


『何でもない。それより、見失なうなよ』


 俺はそう答えて、彼女の乗っているであろうタクシーを目で追い続けた。 





 








 

 

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