地下の世界
温かいリノリウムの床の1つを、ユリは前足でかりかりと引っ掻く。ここはコロニーの1階にあるロビー。そのロビーのすみで、ユリは床のタイルを剥そうと懸命になっていた。
「そんなところをいじってどうするんだい?」
丸くなって床に寝そべる我輩は、ユリに声をかける。
「ここに秘密のスイッチがあるの」
ニャンモナイトになっている我輩にユリは得意げな眼差しを向けてくる。ぐるぐると上機嫌に彼女は喉を鳴らし、床のタイルをするりと引いてみせた。
そのタイルの下に肉球の形をしたボタンがある。そのボタンを彼女は前足でぽちりと押してみせた。
ぐるるるるるっるう。
間抜けな駆動音が我輩の背後でする。我輩はちょんとスフィンクスのように起き上がり、背後へと振り返った。
壁に備えつけられた本棚が横にスライドする。本棚から現れた隠し通路の奥には、地下へと続く階段があった。
ひゅうひゅうと地下に続く階段から冷たい空気があがってくる。
我輩は毛を逆立て、慌てて本棚から離れる。
「これはななんだい、ユリ?」
「この下にすべての答えがあるわ」
困惑する我輩に、ユリは得意げに答えてみせた。
階段はコロニーの建つ永久凍土の中へと繋がっていた。通路が掘られた氷の中を、我輩とユリはひたすらに歩いていく。通路の横には、ブクブクと泡を履く透明ポットがいくつも置かれていた。
その中に脳みそが浮かんでいる。それが幾つも列をなして、通路の壁に陳列されているのだ。陳列される脳は2種類あった。大きな人間の脳と、小さな生物の脳。
「この脳は……?」
「イエネコの脳よ。イエネコたちは炬燵システムの一部となって人間と共にあなたたちを守っているの」
我輩の前方を歩くユリが答える。振り返る彼女の眼は氷河の蒼に彩られ、冷たい光彩を放っていた。
「まだ、思い出さないのね。本当にあなたは起きるのが遅いんだから……」
はぁっとため息をついて、彼女は前方へと向き直った。彼女の尻尾が艶めかしく動いて、後方の我輩を先導する。
「ここは、トミオカコロニーにある炬燵システムの中枢部。ここから私たちはあなたたち猫人を見守ってきた。ずっとずっと。あなたたちが生きて死ぬことをずっと……」
脳が陳列された通路を抜けて、広間へと我輩たちは辿り着く。そこに辿りついたユリが我輩を振り返る。その百合の背後に、横たわる人間がいた。
硝子の柩の中で黒い髪を流し、純白のドレスを着た彼女は眠っている。彼女を見て我輩は眼を見開いていた。夢の中で見た人間のユリに彼女は瓜二つだったのだ。
「これは私の亡骸。私の脳を摘出したあと、あなたは私の遺体にエンバーミングを施して、ここに安置した。私はここでなくて別の場所にいる。クロの脳と一緒にね。あの通路のどこかに、私とクロはいるの」
後ろ足を組んで、くるりと彼女は我輩を振り返る。じっと彼女は我輩を見つめ、続ける。
「睡眠学習。彼らが後継個体に移行するその刹那、私たちは彼らの体を借りて自由を取り戻す。その睡眠学習を通じて、あなたは私たちの自我を彼らの中に根づかせることに成功した。そしてその自我は、特定の刺激を受けて目覚める。だからもう目覚めてよ、道長。あなたの目覚めのキーの1つは225の後継個体が生まれることでしょ?」
彼女の眼がきらりと煌めく。星のように煌めく彼女の眼に吾輩は魅入っていた。
綺羅、綺羅、綺羅。
光のプリズムが、ユリの眼の中で七色に煌めく。その煌めきの中に、我輩は遠い昔の光景を思い出していた。
黒猫を抱きかかえる、百合の姿が我輩の脳裏を掠める。笑う百合が我輩へと顔を向ける。その彼女の眼の中に、灰色の猫を抱える人間の男がいた。
男が抱える灰色の猫はにゃーと間抜けな声をあげる。その声に応えて、眼を瞑っていた男は眠たそうなあくびをした。
男が眼を開いた瞬間、我輩の中で何かが目覚める。
「そう、俺は道長……。時軸 道長。このトミオカコロニーを人と猫たちのために造った。君と巡り会うために」
「そしてまた、私たちは巡り会った」
眼を細めて百合が微笑む。彼女は俺に近づき、そっと前足を私に差し出す。
「踊ろう。私、太陽がみたいわ」
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