炬燵コロニー
我らの住むコロニーは炬燵と呼ばれている。万年雪に抱かれた谷間に位置する炬燵の周囲には、かつてトミオカという人間たちの町があったらしい。
そこでは近代文明によって発達した製糸技術を生かし、イエネコたちを崇拝するための儀式が日夜おこなわれていたという。
繭を鼠から守る猫たちは神として崇められ、姿絵を拝む農家もあったそうだ。
我らのように人間はもふもふの毛に包まれていない。裸猿たちには身を守るための人工の毛が必要だったのだ。
それを人間たちは服と呼んでいた。特に服についての形状の豊富さには驚かされるばかりだ。服の種類は多岐に渡り、なぜ人がそのように多彩な擬似的体毛を欲したのかまったくもって不明だ。
中には下着泥棒といって、直接肌に纏う服を盗む輩もいたらしい。その下着が欲しいから盗むのではなく、性的な興奮を得るために盗むというのだ。
この、性的興奮というものが我輩にはとんと理解できない。我輩たちの寿命は30年ちょっとだが、人間たちの残したクローニング技術により我らは子孫を残す。我らの中には偉大なるイエネコの遺伝子が眠っているのだ。
偉大なる神の遺伝子を後世に伝えるために、遺伝子を掛け合わせて子孫を残す性行為などもってのほか。進んだ科学力を持ちながら、人は絶滅寸前まで自然交配に拘ったという。
「まったくもって、意味不明だ」
そうぼやいて、我輩は『猫にもわかる! 保健体育』と書かれた本を本棚の中へと戻す。
我輩は先代から命を引き継ぎ早10年となるが、人間がよく分からない。絶滅の危機に瀕してまでなぜ彼らは崇拝の対象であるイエネコを守ろうとしたのだろうか。 我輩はぐるりを見つめる。
我輩の周囲には本の森が広がっていた。正確には本と、劣化して黄色く変色した資料の山が所狭しとリノリウムの床を覆っている。壁には棚が設置され、本が所狭しと突っ込まれていた。壁の本棚は建物の天井高くまで設置されている。その壁の周囲に螺旋階段が設置され、本棚に面した階段の踊り場は絶好の閲覧場所となっていた。
天井では温かな人口太陽が光り輝いて、我らの棲むトミオカコロニーを照らしている。そのぽかぽかな陽気にやられたネコビトたちが思い思いに体を伸ばして、リノリウムの床で丸くなっていた。
まるでアンモナイトのように丸まる彼らの姿態は、ニャンモナイトと呼ばれ人間に親しまれていたイエネコの恰好そのものだ。
それもそのはずだ。我輩たちネコビトはイエネコとほとんど変わらない外見をしている。彼らと違う所といったら二足歩行できる部分と、人のように声帯が発達し独自のイエネコ語が話せるというところだ。
かつてこのジパングで使用されていた言語は、人間たちのいう中央アジアやチベットで使われていたアルタイ語系の言語であるとも、どこの系統にも属さない独立言語であるとも言われている。
トミオカコロニーができて恐らく数十世紀のときが流れているが、我輩たちの言語とジパングで人間たちが使っていた日本語には大きな相違がある。
これは他のコロニーでも同じことが言える。もともと日本語を話していた猫人たちの言語が、数十世紀のときをえて違うものになりつつあるらしい。
なんとも興味深い現象だ。同一の文化をもって生き残った我々が、隔絶された地域で接触もなく生活する内に異なる文化を持つ存在になろうとしている。
我ら猫人たちのコロニーは、それぞれ独自の文化を持つ小さなクニになろうとしているのである。
かつて人間が文化を築き、それが人類の移動と共に多様化し、その中でも大きな力を持った文化が文明へと発展していったように。
あと数世紀もすれば、我々は人に代わる新たな文明を生み出す存在へと変貌しているのかもしれない。
これでは偉大なるイエネコというより、我らは人間に近い存在ともいえる。
これは一体、どういうことなのか。疑問に我輩は眼を細め、顎に前足を充てていた。柔らかな肉球の感触が心地よく、ついついごろごろと喉を鳴らしてしまう。灰色の我輩の毛が喉のごろごろに呼応して震える。
「にー! にー! 大変なことが起こったよ!!」
我輩の深淵なる思考を騒がしい声が遮る。我輩は眉間に皺を寄せ、近づいてくるミケネコを睨みつけた。中猫ぐらいの彼女は223号。通称さー。因みにさーが言っている『にー』とはコロニー内での私の通称だ。222番だからその最後の番号をとってにーと呼ばれている。
「なんだ? さー。吾輩は今、忙しいのだ。深淵なる思考の邪魔をするとは何事だっ。そもそも我らの務めは――」
「そのお勤めに関係あることだよー。またヒトモドリが出たよ!」
ぴこぴこと髭を上下に動かし、さーは私に訴えてくる。
「よもや、我輩もヒトモドリと関わるとは……」
さーの言葉を聞いて、私は思わず唸り声をあげてしまっていた。我が深淵なる思考と関係のある事象が起こったからだ。
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