第3話 女の子の純情

 次に二人はおもちゃコーナーのある四階へ上った。

 迷子のおじいちゃんが、おもちゃフロアを歩いている可能性は低いだろうが、探すにこしたことはない。


 おもちゃ屋さんは、ここぞとばかりにあらゆる商品を並べ、クリスマスプレゼントを買わせようとしている。クリスマスの音楽とともにたくさんの人形サンタがダンスをしていた。


 航平はそんなのものに全く興味がなかったが、朱花さやかは興味津々だった。やっぱりまだまだ子どもなんだな、と思いながら航平は、朱花をおじいちゃん探しに専念させるのに一苦労した。


 そうしてヒーロー物のフィギュアコーナーを通りがかったとき、二人の耳に男の子の泣き声が聞こえた。


「この人形が欲しいのー」


 お母さんらしき人に対して、駄々をこねている。


「今は我慢しなさい。いい子にしてないと、サンタさん来てくれないわよ」


 お母さんはそう言って、五歳くらいのその男の子をなだめる。


 なんてクリスマスらしい会話だ、と航平が思っていると、その親子の前を通り過ぎながら、朱花が航平に、「ねえ、こうちゃんは、サンタさんって本当にいると思う?」と小声で尋ねた。


 尋ねる朱花の瞳は、この世のものとは思えないほど、きれいで純粋で真っすぐで、航平は少し狼狽えてしまった。


 ──こういうときは何て答えるのがいいのだろう。

 サンタさんはいないというのを小五の女の子に教えるのは酷だろうか。


 答え方に困って、航平は、「朱花ちゃんはどうなの?」と、聞き返した。


「あたしは、信じてるよ。サンタさんなんかいないって、イジワルなこと言う友達もいるけど、サンタさんはいるよ。」


 朱花に迷いはないようだった。


 そうか。航平は、朱花の迷いのない答えを意外に思った。小学五年生にもなれば、普通だいたいの人がサンタがいないことに気づき始めるだろう。あまりに純粋な目でサンタの存在を確信している朱花に、航平は同級生の男の子と同じように、イジワルを言ってみたくなった。


「あのね、サンタさんは、本当はいないよ。子どもの頃は信じてたけど、大人になったら分かるよ。毎年プレゼントとか、手紙が届くかもしれないけど、それは多分、朱花ちゃんのご両親が用意してくれてるんだと思う」


 それを聞いた朱花は航平の思ったほど落胆せず、やっぱりかと笑った。


「こうちゃんも、そう思うんだ」


 二人はちょうど、クリスマス用のカードがずらっと陳列されたコーナーの前で立ち止まった。


「こうちゃんは、いつからサンタさんはいないって思うようになったの?」

 朱花が航平に尋ねた。


 さて、いつ頃だっただろう……。別に小さいときに親がプレゼントを置きにきたのを見たことがあるわけではない。特にきっかけがあったわけではなく、いつの間にかその事実を航平は理解していた。


「うん……。あんまり覚えてないや。中学生くらいからかな?」


 航平はあやふやな返答をした。すると、航平の答えを聞いていたのか、聞いていなかったのか、朱花は、サンタと赤い鼻のトナカイのイラストが描かれたクリスマスカードをぼんやり見つめながら言った。


「あたしね、最近思うんだけど、サンタさんがいることを信じられないのって、悲しいことじゃない? なんか、クリスマスの夢とか希望とかワクワクとかを味わえなくなっちゃうってことだよね。こうちゃんみたいに大人になった人は、みんなサンタさんのこと信じてないんだよね? それって、なんだか残念じゃない?」


「残念だって思ったことはないよ。大人ってそういうものだと思うんだ。いつの間にか、サンタがいないということも含めて、たくさんの真実を知っていって、たくさんの現実と向き合って、そうやってみんな大人になるんじゃないかな。本当と嘘を見極められるようになるんだよ。悲しいとか、残念とかじゃなくて、どうしてもそうなっていくんだよ。そんなこといちいち気にしてたら、きりないよ」

 航平は、自分自身でその言葉を噛みしめた。


「へぇ。じゃあ、大人になったらもっと、いろんなこと知って、頭が良くなれるんだね。親の言うことを聞かなくてもよくなって、自由な時間も増えるよね」

「そうだね。大人になるのも悪いことばっかりじゃないんだよ。やりたいことが、結構自由にできるし。俺が小さいときは、早く大人になりたいって思ってたよ」


 航平は、一日中外で遊んでいても怒られなくていいように、早く大きくなって、一人暮らしがしたかったのだ。


「あたしの友達にも、早く大人になりたい、って言ってる子、たくさんいる。あのさ、あたしね、将来の夢はみんなの人気者のアイドルになることなんだ。その夢も、大人になったら叶うのかな?」


 サンタの次は夢の話か。朱花は、いきなり話す内容が大人っぽくなったり、子どもっぽくなったりする。


「そりゃ、頑張って努力すれば、どんな夢だって叶うんじゃない?」

 我ながら模範解答だ、と航平は自分に感心した。


「こうちゃんはどうなの? こうちゃんの夢って何?」

 先程から質問が多い。航平の言葉は流されたようだ。航平は記憶をたどる。


「俺はね……。小さい頃はサッカー選手になるのが夢だったよ。誰よりも自分が一番上手いと思ってたから。でも、中学とか高校になると、俺なんかより上手なやつはいっぱいいてさ、周りからもサッカー選手になる夢をバカにされるようになって、その夢はあきらめた。自分でも途中で向いてないって気づいたし」

「じゃあ、今の夢は?」

「そうだな、手堅く公務員かな」

「なんか、あんまり夢のない夢だね」

「ほんとだね」


 何で少し前に会ったばっかりの小学生とこんな会話をしてるんだ?

 普段大学の友達とも話さないようなことを話している。夢のない夢。ほっといてくれ。航平は少し拗ねた。


 さっきまでカードを凝視していた朱花が航平の方を見上げて言った。


「ほら。てことはさ、やっぱり大人になるのって悲しいことじゃない? 大人になるってことは、いろんなことを信じなくなることでしょ? サンタさんも、自分の夢も。大人の人って、かわいそうだよね? あたし、そんなんなら、大人になんかなりたくないな。ずっと無邪気にいろんなことを信じてられる子どものままがいいな」


 朱花の言葉は、まるで明日遠足の子どもが、雨の予報を聞いて「明日晴れるといいな」と言うようにさりげなく、それでいて心の底からの願望であるように航平には聞こえた。


「でもさ、朱花ちゃん。いつかは誰だって嫌でも大人になっちゃうよ」

 航平がそう言うと、朱花はいっちょまえに、思案顔をした。


「そう。それが今のあたしの一番の悩み。まいっか。このことはまた後で考える。あ、でもね、サンタさんは本当にいるんだよ」


 まだ言うか。もう勝手にしろ。

 航平は苦笑いに近い笑みをこぼした。


 朱花は、少し前まで見つめていたサンタとトナカイのカードを一枚手に取ると、航平に差し出した。「これ、あたしにプレゼントして」という意味のようだ。しかたがない、クリスマスプレゼントだ。二人はレジへ向かった。

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